メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

[1]スカート姿が当然視される「女装」

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

マツコ・デラックスマツコ・デラックスさんは最も有名な女装する芸能人の一人だ(所属事務所「ナチュラルエイト」のサイトより)

 最近、女装の話題がネット上に散見される。それは、根強い「ジェンダー規範」に対する社会的寛容が増している事実の現れとも、寛容それ自体を広げる営みとも思われる。またそれ自体、ジェンダーの多様性、ジェンダー(バイアス)フリーなどと呼ばれる社会現象・運動を後おしする文化として、注目してよいと判断される。

多様な女装者と女装文化

 女装について知らない読者も少なくないと思われるので、最初に簡単に記すが、女装者(一時的な場合と恒常的な場合とがある)も、女装者となった事情も、多様である。

 大ざっぱに言って、トランスジェンダーの場合がまずある。近年、性的少数者を表すLGBTという言葉をよく耳にするが、これは、レズビアン(L、女性同性愛者)、ゲイ(G、男性同性愛者)、バイセクシュアル(B、両性愛者)とともに、トランスジェンダー(T)を指している。トランスジェンダーは、性自認において、自らの自然的な性別や文化的・社会的な性別役割に違和感をもっている人を指す。狭義では、違和感をなくすためのホルモン投与や、時には性転換手術を受ける人が、念頭におかれているようである。

 ホルモン投与もましてや性転換手術も受けないが、例えば男性(自然的性別において)の場合、自分の男性性やジェンダー役割に違和感を感じている人もおり(広義のトランスジェンダー)、彼らが女装する場合もある。

 また性的志向性(これは性自認とは別である)から、女装をする人もいる。ゲイの女装者は少なくない。有名どころでは、例えばマツコ・デラックス氏などがそうであろう。一方、女装しないゲイも多い。

 あるいは、性自認や性的志向性とは関係なく、フェティシズム(女性の衣類・装身具などへの愛着)あるいはナルシズム(自己愛)的な傾向から女装をする人もいるし、もっと気楽に単なる「趣味」で女装する人もいる(三橋順子「変容する女装文化――異性装と自己表現」、成実弘至編『コスプレする社会――サブカルチャーの身体文化』せりか書房、2009年、98頁;川本直『「男の娘(こ)」たち』河出書房新社、2014年、55頁以下)。最近では、出版・放送等の商業的な企画にのって女装した文化人・有名人等の例もある。例えば、ここでは取り上げないが星野源氏や志尊淳氏などの女装が、最近話題を呼んだ。

 女装者には、性的少数者の場合と同様に、独自なコミュニティもあり、女装者が集まるサロンが、例えば東京・新宿などにはいくつもあるという。おそらく他の地域・都市も含めて、近年、増えているのではないか。また女装者のイベントやパレードも行われている。東京に限らず、全国的に広がる傾向があるように思われる。女装者がテレビや雑誌等に登場することは、とうにめずらしくなくなっている。

 2000年代以前なら、女装者のコミュニティもイベントも限られていたが、この20年、かなりの変化が見られるようである。それが、性的少数者全般の各種イベントなどとともに、LGBTの権利を主張する運動を後おしし、また後者が前者をより容易にした部分があるように思われる。差別視がなくなったとは依然として言えないが、やはりこの間の変化には瞠目すべきものがある。

「ジェンダー規範」を強めないか?

 女装について簡単にふれたが、私には、若干気になる部分がある。女装文化が、多かれ少なかれ典型的な女性の服装・装飾品・行動様式・話し方等に依拠し、それを広め、ひいては逆に、女性に関わる「ジェンダー規範」を強めてしまう傾向はないのだろうか、という点である。

・・・ログインして読む
(残り:約1245文字/本文:約2713文字)