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[3]平均的な女性とかけ離れる女装者たち

杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)

男の娘アイドルオーディションの合格者、審査員ら=8月末のプロパガンダ東京・新宿で開かれた女装イベント=2014年

文化人男性の女装はステレオタイプにもとづく

 連載第1回にふれたように、女装文化が「ジェンダー規範」を壊す側面があることを私は評価する。いろいろな人たちが女装を楽しむが、型にはまった根強い男性役割の一角を崩して多様性・寛容性を涵養するのに、女装は大きな役割を果たしてもいる。ただ、あまり切実な動機なしに女装を試み、かつこれを、メディアを通じて発信する試みには、女性に対する「ジェンダー規範」を強めるという点で若干の違和感をおぼえる。

 かつて、文化人男性による女装写真集が出されたことがある(神藏美子『たまゆら』マガジンハウス、1998年)。それ自体興味深いが、ここで体験を語った男性たちのジェンダー認識は、少々疑問に思う。「自分が女性をやってみて、はじめて女っていうものがわかったの……これで女性の気持ちがわかってきたから……」とある女装者は記すが(神藏前掲書、証言の1頁;この本にはもともと頁数がないので便宜的に記す)、異性理解とはこんなに簡単なものか。また女装経験を下に、「客とかとってみたいね、円山町(*編集部注・渋谷のホテル街)で立ってて。……社長なんかをだましてみたい」といった感想が述べられるが(同7頁)、こういうことは一時的な遊び――「たまゆら」――にすぎないから言えるということであろうし、またこれは一般の女性の生活実感とは程遠いであろう。

 なぜそういうことになるのか。それは、ここでいう女装は、女性の平均的というよりいわば典型的な姿、特に性的特質に特化した姿への変装をさすからである。しかも、その写真集を見ていて気になるのは、結局女装をしてみた各々の男性が、自分好みの――あるいは自分勝手な――女性像を作り上げているのではないか、と思われる点である。上半身を肌脱ぎにし、下半身を無防備にさらした姿などは、特にそう感じられる。

 亀和田武氏による「グラビアページ」、高山宏氏の「ためらい」、宮台真司氏の「横たわる若妻」、杉本博司氏「夏の日」などが典型的である。亀和田氏はショーツ、ガードルを

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