人形アニメーション特集『夢の記憶装置』公開、その作風をめぐって
2018年03月09日
コマ撮り(ストップモーション)アニメーション作家として活躍する村田朋泰監督の短編7作品を集めたプログラム『村田朋泰特集 夢の記憶装置』が3月17日から公開される。東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムを皮切りに全国を巡回する予定だ。個人作家の短編アニメーション集、特に国内で制作された人形アニメーションとなると劇場公開は極めて稀である。美しいイメージで綴られた村田監督の作品をまとめて鑑賞出来る貴重な機会を逃さないよう、ぜひ映画館へ足を運んでみて欲しい。
今回公開される作品群中、特に『木ノ花ノ咲クヤ森』(2015年)、『天地(あめつち)』(2016年)、『松が枝を結び』(2017年)の3作品は、村田監督が東日本大震災以降に取り組んでいる「祈り、信仰、記録」をコンセプトとした「生と死にまつわる記憶の旅シリーズ(全5作品)」に含まれており、最重要作品と捉えるべきであろう。各作品の展開は「アニメ」的明快さとはほど遠いため、「抽象的で難しい」といった印象を抱く観客もいるかも知れない。
村田監督の自主制作作品には幾つかの大きな特徴がある。鑑賞前に以下の3点を理解されたい。
第一に、全作品に台詞がない。キャラクターは何も語らず、状況の中を迷い、漂流する。観客はその一挙手一投足を注視し、音楽や効果音に耳をすませることで、主体的に物語を見出す(または体感する)ことが問われる。
第二に、状況説明や設定解説もない。このため、舞台背景がキャラクターと同等、またはそれ以上に重要な位置を占めている。人形アニメーションはミニチュアセットの中に人形を配置して撮影されるため、広大な空間を表現するのは苦手だ。しかし、村田監督の作品は空間の広さや深さに徹底してこだわり、細部まで作り込まれている(アメリカではグリーンバックで人形を撮影し、3D-CGで作成した背景を合成する技法が盛んだが、村田監督は全てアナログで制作している)。作品のテーマを凝縮した風景は、もう一人の主役と言える。
第三に、物語の進行は象徴的、多義的であり、明解な結末に収束しない。つまり「良かった」「面白かった」の一言に集約されるような即効的カタルシスを感じにくい。代わりに染み入るような遅効性の感情(寂寥感・ノスタルジー・喪失感・既視感・感慨等々)が刺激される。
こうした画期的な作風を、村田監督はどのようにして確立したのだろうか。その経緯を伺うべく、東京都荒川区西日暮里のスタジオを何度か訪ねた。東日本大震災と吉村昭作品の多大な影響、日暮里に暮らす意義など、これまで語られて来なかった意外な制作動機、モチーフの源泉について熱く語って頂いた。(取材協力/「ゆいの森あらかわ 吉村昭記念文学館」)
村田朋泰(むらた・ともやす)
1974年、東京都荒川区出身。東京芸術大学修士課程美術研究科デザイン専攻伝達造形修了後、コマ撮りアニメーション制作会社「トモヤスムラタカンパニー」を設立。代表作に『睡蓮の人』(2000年)、『朱の路』(2002年)、『白の路』(2003年/Mr.Children「HERO」MVに使用)、『森のレシオ』(2009年~/NHK Eテレ「プチプチ・アニメ」にて放送中)、『木ノ花ノ咲クヤ森』(2013年/Galileo Galilei「サークルゲーム」MVに使用)など。目黒区美術館、平塚市美術館、ギャラリー等で個展も多数開催。現在は初の長編(ランダル・ジャレル原作)『陸にあがった人魚のはなし』を準備中。
受賞歴
2002年 第9回広島国際アニメーションフェスティバル優秀賞『朱の路』/森アートミュージアム企画 Young Video Artists Initiative 佳作『朱の路』
2003年 第2回国際アニメーションフェスティバル アニフェス2003 トレボン入選『朱の路』
2010年 第13回文化庁メディア芸術祭/審査委員会推薦作品『家族デッキ』/SKIP シティ国際D シネマ映画祭2010/奨励賞『家族デッキ』
2016年 シュトゥットガルト国際アニメーション映画祭2016 入選『木ノ花ノ咲クヤ森』
2017年 第10回国際アニメーションフェスティバルANCA 入選『木ノ花ノ咲クヤ森』/第72回毎日新聞コンクールアニメーション部門 最終選考『松が枝を結び』/Asians on filmアニメーション部門佳作賞・音楽部門佳作賞『松が枝を結び』
村田朋泰 トモヤスムラタカンパニー公式サイト
『村田朋泰特集 夢の記憶装置』公式サイト
東京・恵比寿「NADiff Gallery」NADiff Window Gallery vol.50 村田朋泰「夢の記憶装置」/2018年4月1日(日)まで開催中
――村田監督は、以前から旅や風景との出会い、記憶の回復といったモチーフを突き詰めていらっしゃいますが、それはどういった経緯だったのでしょうか。
言葉やセリフに頼らず、人形の作り出す仕草や表情、風景の佇まいなどを表現することで、人の記憶や死生観などが滲み出るようなものにしたいと考えていました。一言で言うと、「日本人のアイデンティティーとは何か?」という問いに対する自分なりの答えを模索する作業だったと思っています。今にして思えば、自分自身でも固まっていないモチーフを模索しながらの制作でした。
僕はもともと「アニメ」が好きだったわけではないんです。そうした傾向の作品を作りたいと思った動機は、好きだったヴィクトル・エリセやアンドレイ・タルコフスキーの映画や尾崎放哉、種田山頭火らの自由律俳句への憧れ、文楽の伝統に学びたいという思い、イジー・トルンカやヤン・シュヴァンクマイエルといったチェコの人形アニメーションの影響など色々とあったのですが、特に吉村昭さんの小説やノンフィクションから受けた影響が大きいです。
――吉村昭さんの作品と言えば、東日本大震災の直後に『三陸海岸大津波』(2004年新装文庫化、初版『海の壁 三陸海岸大津波』1970年)、『関東大震災』(1973年)といった過去のノンフィクション作品が改めて注目されたことを思い出します。昭和・大正・明治・江戸と遡って証言とデータを積み上げることで、この国はどれほど天災・人災で壮絶な被害を受けてきたのかを実証された作品でした。一方で、吉村さんは全国各地への旅や近現代の実在の事件を扱った小説も数多く書かれている。村田監督が取り組んでいらっしゃる「生と死にまつわる記憶の旅」に通底するものを感じます。
村田 それは畏れ多い評価ですけれど、そう感じてもらえるのは嬉しいです。軽々しく口にしたくないのですが、密かに吉村さんを「心の師」と崇めていましたので……。
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