「死者の声をきく、そして忘れないこと」
2018年03月12日
村田朋泰監督「吉村昭に学んだ震災と日本人」――人形アニメーション特集『夢の記憶装置』公開、その作風をめぐって
前稿に引き続き人形アニメーション作家・村田朋泰監督にお話を伺う。短編7作品を集めたプログラム『村田朋泰特集 夢の記憶装置』は3月17日から東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで公開される。(取材協力/「ゆいの森あらかわ 吉村昭記念文学館」)
村田朋泰(むらた・ともやす)
1974年、東京都荒川区出身。東京芸術大学修士課程美術研究科デザイン専攻伝達造形修了後、コマ撮りアニメーション制作会社「トモヤスムラタカンパニー」を設立。代表作に『睡蓮の人』(2000年)、『朱の路』(2002年)、『白の路』(2003年/Mr.Children「HERO」MVに使用)、『森のレシオ』(2009年~/NHK Eテレ「プチプチ・アニメ」にて放送中)、『木ノ花ノ咲クヤ森』(2013年/Galileo Galilei「サークルゲーム」MVに使用)など。目黒区美術館、平塚市美術館、ギャラリー等で個展も多数開催。現在は初の長編(ランダル・ジャレル原作)『陸にあがった人魚のはなし』を準備中。
村田朋泰 トモヤスムラタカンパニー公式サイト
『村田朋泰特集 夢の記憶装置』公式サイト
東京・恵比寿「NADiff Gallery」NADiff Window Gallery vol.50 村田朋泰「夢の記憶装置」/2018年4月1日(日)まで開催中
――村田監督は東日本大震災を経験した後に、人の死や日本人のアイデンティティーといったテーマをより深く追求したいと思われたそうですね。しかし、震災後にたくさん制作された「犠牲者を悼み、被災者を慰めるために将来の希望を提示して終わる」といった方向性の物語とはかなり違っていますね。直接的な記録とも違う。その土地に染み込んだ人の情念や風景の記憶を発掘しようとされているようにも見えます。
村田 直接被災していない自分にとって、被災者の方々に向けた慰めや希望を語ることには違和感があります。また、吉村さんの記録にも明らかですが、この国は活火山や活断層の上に暮らしているようなもの(※)で、数十年・数百年の単位で津波や地震で壊滅的な被害を繰り返し被って来たわけです。その記憶や痕跡と向き合わないと、この国で暮らしていくことの本質を見失うように思うのです。5幕から成るシリーズの第1幕『木ノ花ノ咲クヤ森』の冒頭で、翁神が舞いを踊って死者と生者の世界を反転させるという前置きを作ったのも、そうした意図でした。
(※)気象庁によると2017年6月現在で日本の「活火山」は111とされている。
――死者が現れて物語るという構成は此岸と彼岸がスイッチする夢幻能の前口上のようで、日本人の伝統的な死生観に連なるような気もいたしました。
村田 その通りです。あの世とこの世を行き来する世界観への入口を提示したかったという意図ですね。
――吉村昭さんも『三陸海岸大津波』巻末の「再び文庫化にあたって」(2004年)で「今も三陸海岸を旅すると、所々に見える防潮堤とともに、多くの死者の声がきこえるような気がする」と記されていましたね。
村田 「死者の声をきく」という表現は、まさにその通りだという気がするんです。私たちに出来ることは聞くこと、そして忘れないことなのではないかと思います。
――吉村さんの作品は取材に基づいて具体的な地名を特定している作品も多いですが、『破船』のようにあえて地名を特定していない作品もありますね。意図して地域をぼかすことで、日本各地で同様のことがあったと想起させる力を得ていると申しますか。村田監督の作品はあえて区分するとファンタジーですから、当然かも知れませんが地域が特定出来ません。新作『松が枝を結び』も、震災と津波を描いていますが、東北と特定できる要素はありませんね。
村田 ええ、そうです。被災地を特定して、ここの被災者を描くのだという意図よりも、誰もがそうなり得るという潜在性・普遍性の方を取りたいと思いました。日本各地で震災はありますし、今後もそうだと思います。だから一過性の慰めで感情的に清算してはならないと思うのです。むしろ「こうであった」という記録が必要なんだと思っています。
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