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『広辞苑』には、まだ贈答品としての需要がある

「国民的辞典」は世話になった人へのお礼として

中川右介 編集者、作家

1955年5月25日朝刊拡大『広辞苑』創刊の新聞広告=1955年5月25日付「朝日新聞」

 岩波書店の『広辞苑』が1月12日に発売された。

 すぐに読者から誤りが指摘され、同書店もそれを認め、HPで訂正している。

 そして「重版で訂正したい」といっていたが、2カ月たって、重版になったという話はきかない。書店に行けば、まだそれなりの数が積まれている。

 初版は20万部と伝えられるが、まだ売り切っていないのだろう。

半減、半減、また半減

 『広辞苑』の初版は1955年。第2版が1969年に刊行されるまでの14年間に100万部を売ったという。

 私が生まれたのは1960年だが、家には『広辞苑』はなかった。私の父は出版社に勤務していたので辞書は仕事道具のはずだが、家庭では『広辞苑』を必要とはしていなかったようだ。

 だから、この「なんでも載っている辞典」の存在を私が知るのは、中学の図書館だったので、第2版から知っていることになる。

 我が家にはなかったが、第2版は14年間に230万部を売ったという。1年あたり単純計算で16.4万部だ。

 第3版が出たのは、1983年。私は大学生だった。大学生協に積まれているのを見た記憶はあるが、買わなかった。

 この辞典は、国文学を専攻しているのでなければ、大学生にも必要はなかったと思う。持っている友人など、いなかった。

 というわけで、全ての大学生が買ったわけではないが、第3版は、第4版が出る1991年までの8年間に260万部を売った。1年あたり32.5万部なので、第2版の倍のペースで売れたことになる。

 第3版が出た1983年は景気はそんなによくはなかったが、86年から株価と地価が高騰する、いわゆるバブル時代となり、それと関係があるのか、『広辞苑』もよく売れたのだ。

 第4版が出た1991年、私は出版社にいて、専門用語の辞典を作っていた。会社には『広辞苑』第3版があったような気がするが、はっきりと覚えていない。

 第4版は、会社で購入した。

 この第4版はバブル崩壊の頃に出たわけだが、95年くらいまでは一般的には景気はよかったせいもあり、1998年までに220万部を売った。7年で220万部なので、1年あたり31.4万部。第3版とそう変わらない。順調だったのだ。

 出版界全体の売上のピークが1996年だから、その頂点へ向かっている時期に『広辞苑』もよく売れたのだ。

 急落するのは1998年に出た第5版で、2008年に第6版が出るまでの10年間で100万部と半減した。第3版・第4版と比べれば、総部数では半分以下だが、1年あたりだと3分の1になっている。

 そして、第6版は10年間に50万部を売ったところで、第7版に席を譲った。

 その第7版の初版は20万部と伝えられる。半減して、半減して、また半減したのだ。

よくぞ生き残った

 だが、忘れてはならない。 ・・・続きを読む
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筆者

中川右介

中川右介(なかがわ・ゆうすけ) 編集者、作家

1960年、東京都生まれ。早稲田大学第二文学部卒業。2014年まで出版社「アルファベータ」代表取締役として、専門誌「クラシックジャーナル」、音楽書、人文書を編集・発行。そのかたわら、クラシック音楽、歌舞伎、映画、歌謡曲などについて、膨大な資料から埋もれていた史実を掘り起こし、歴史に新しい光を当てる独自のスタイルで執筆。著書は『カラヤンとフルトヴェングラー』『十一代目團十郎と六代目歌右衛門――悲劇の「神」と孤高の「女帝」』『月9――101のラブストーリー』(いずれも幻冬舎新書)、『山口百恵――赤と青とイミテイション・ゴールドと』『松田聖子と中森明菜――一九八〇年代の革命』(ともに朝日文庫)、『戦争交響楽――音楽家たちの第二次世界大戦』『SMAPと平成』(ともに朝日新書)、『歌舞伎 家と血と藝』(講談社現代新書)、『角川映画 1976-1986(増補版) 』(角川文庫)、『怖いクラシック』(NHK出版新書)など50点を超える。

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