メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

無料

[書評]『最終獄中通信』

大道寺将司 著

西 浩孝 編集者

加害の記憶と対峙しつづける

 「実際にひとを殺した人間と、殺していない人間とは、徹底的にちがう」。2017年5月、多発性骨髄腫のため東京拘置所で亡くなった大道寺将司は、死の半年ほど前、面会者にこのように語ったという。

『最終獄中通信』(大道寺将司 著 河出書房新社)
定価:本体1900円+税拡大『最終獄中通信』(大道寺将司 著 河出書房新社) 定価:本体1900円+税
 大道寺将司は1948年、北海道釧路市に生まれた。69年、法政大学文学部に入学し、全共闘運動に参加。そのなかで植民地主義への問題意識を強く持った大道寺は、74年、仲間たちとともに「日本帝国主義の侵略企業・植民者に対する攻撃」を企図し、東京・丸の内の三菱重工本社前に時限爆弾を仕掛けた(死者8名、負傷者165名)。

 彼らは「東アジア反日武装戦線“狼”」を名乗り、その後も“大地の牙”“さそり”を加えた3部隊で「侵略企業」を相次いで爆破。翌75年に逮捕され、79年の一審で死刑判決、87年に最高裁で死刑が確定した。

 獄中生活42年。本書には、母・幸子あてに綴られ、母の死後は妹に向けて発信された1997年から2017年までの手紙が収められている。大道寺の書簡はこれまで『明けの星を見上げて――大道寺将司獄中書簡集』(れんが書房新社)と『死刑確定中』(太田出版)とにまとめられているが、本書はそれらに続くものであり、かつ、「最終」の通信である。例えば2001年のものから任意に引いてみる。

8月30日 三菱重工爆破の際にお亡くなりになった方々に心から哀悼の意を捧げるとともに謝罪します。突然生命を断ち切られた方々の無念さ、悲しみ、怒りを思い、また遺家族のこれまでの27年間の重さを思い言葉を失います。ただ自己批判を深めるばかりです。
9月11日 朝8時。約10名の看守たちがドヤドヤとやってきました。ぼくの房の前にです。遂に来たか、と思いました。でも案外冷静で、“今日は火曜日なのに何故だ?”とか“こんな早い時間に来るのか”などと、埒もないことを考えました。そして身構える間もあらばこそ房扉が開けられ、捜検だと告げられました。人騒がせな話です。9時前に捜検をするのは異常なことですから、「どうしてこんな朝早くからやるのか」と質しました。そうしたら、「命令だから」だと言う。予行演習か?
10月2日 キンモクセイの香りがします。獄中にこの木は見当たりませんので、東拘の裏側の小綺麗な住宅街の庭から漂ってくるのでしょう。この香りがすると秋本番です。
10月10日 先日差し入れていただいた『マイルス・デイビスの芸術』は藤井さんからですか。ありがとうございます。ジャズの本は実に久しぶりでした。マイルスのジャズをブラックパンサーなど米国内黒人革命運動やブラック・アフリカの解放闘争との連関で考察するなど、なかなか面白い内容でした。獄中でジャズを聴くことは皆無に近いのですが、マイルスのトランペットの音は耳朶の奥に残っています。

 大道寺の日々のこころの動きが見えるようだが、それを昇華したのが手紙の末尾にたびたび添えられる自作の俳句である。

目蓋(まなぶた)を過(よ)ぎる茂りのひかりかな
右腕に食器口(しょっきこう)より隙間風
「V NAROD!」と口にしてみる夕蛙(ゆうかわず) *V NAROD=人民の中へ
死囚たることを忘るる風邪ごこち
刑場(けいじょう)の入口に立つ松飾り

 大道寺の句は、折々の心境や風景をうたうだけではない。くりかえし詠まれるのが、自身の「加害」についてである。

死者たちに如何にして詫ぶ赤とんぼ
死は罪の償ひなるや金亀子
いなびかりせんなき悔いのまた溢る

 ひとつひとつが読む者の身体にひびく重みを備えている。大道寺の内省の深さがうかがい知れるだろう。加害の記憶と対峙しつづける覚悟の表明として、これらの句はある。おのれを賭した表現の厳しさを感じさせずにはおかない。

 大道寺は自分がかつて為したことを、心底から悔い、詫びていた。それゆえに、死刑廃止を求めていた。死刑は“人殺し”以外の何物でもない。死刑制度は死刑囚の自己変革を妨げている。死刑囚の反省と償いとは、当時の自分自身と向き合い、一切の虚飾を捨てて事実を抉り出すことだ。そう大道寺は考えていた。

 他者のいのちを奪った当人がこのように主張するのはおかしいと感じるだろうか。だが、「実際にひとを殺した人間と、殺していない人間とは、徹底的にちがう」という彼にして、死刑は人間の精神を頽廃させると確信させたのではないだろうか。

瓦礫なき地の荒寥や秋暑く

 2011年、東日本大震災のことを詠んだ句である。津波被害を受けた土地のことをうたっているのではない。そうではなく、「瓦礫なき地」の「荒寥」としたありさまを、獄中から透視しているのである。この句の射程、想像力に、舌を巻く。いや、戦慄すると言ってもいいくらいだ。

まなうらに死者の陰画や秋の暮

 誤った自己を見つめる。内面の深みに降りていく。大道寺の絶えざる精神的営みを目の当たりにするとき、みずからの、そしてみずからが生きる社会の「荒寥」に、慄然とする。大道寺の句、そして言葉は、私たちの思想や倫理を照らし出す光源のようでもある。

 被害者はいかに癒されるのか、加害者の家族はいかに生きる意味を見いだせるのか、さらに、加害者本人はいかに罪を背負いつつ人生をやり直せるのか。あるいはまた、死刑とは何か、国家とは何か、植民地主義とは何か。大道寺が一生をかけて向き合った問いに、私たちもまた、向き合う必要があるのではないだろうか。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA 「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

筆者

西 浩孝

西 浩孝(にし・ひろたか) 編集者

1982年、富山県生まれ。現在、長崎市在住。2016年9月まで大月書店編集部に勤務。これまで編集した本に、藤井貞和『言葉と戦争』、宮地尚子『傷を愛せるか』、アモス・オズ『わたしたちが正しい場所に花は咲かない』、代島治彦『ミニシアター巡礼』、鎌田遵『ドキュメント アメリカ先住民―あらたな歴史をきざむ民―』、NHK取材班『あれからの日々を数えて―東日本大震災・一年の記録―』、青木深『めぐりあうものたちの群像―戦後日本の米軍基地と音楽1945-1958―』など。