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前を向けというラブソング――「ふりむかないで」

 「ふりむかないで」は、宮川泰によれば、ポール・アンカの「ダイアナ」のイントロに想を得てつくった曲である。また、弘田三枝子や坂本九のヒット曲に学んでいるところもあると感じる。つまり、洋楽カヴァーからの脱出を図るべく、宮川は「洋」のエッセンスを引くだけでなく、“洋っぽい和”を混入させている。その上に乗ったのが、岩谷の詞である。

 Yeah, Yeah, Yeah, Yeah…
 ふりむかないで お願いだから
 今ね くつ下なおしてるのよ
 あなたの 好きな黒いくつ下
 ふりむかないで お願いだから
 今ね スカートなおしてるのよ
 あなたの 好きなタータンチェック
 これから仲よく デイトなの
 二人で語るの ロマンスを
 ふりむかないで お願いだから
 今ね 内緒のお話なのよ
 どうぞ むこうを向いてちょうだい
 これから仲よく デイトなの
 二人で語るの ロマンスを
 ふりむかないで お願いだから
 いつでも腕を組み 前向いて
 きっとね 幸せつかまえましょう
 Yeah, Yeah, Yeah, Yeah…

左が伊藤エミ(姉)、右がユミ拡大左が伊藤エミ(姉)、右がユミ=1962年
 まず、ピーナッツの歯切れの良い歌いっぷりが素晴らしい。デビュー以来約2年、すでに20枚ほどのシングル盤を吹き込んできたのに、彼女たちの歌にはどこか優等生的な抑制があった。それが一気に拭いさられ、歓喜のようなものが迸っている。「ああ、これなんだ!」と歌手も聴き手もこの歌を通して、「ザ・ピーナッツ」に本当に出会ったのである。

 ただしこの歌には、目立たない「意図」がある。歌詞の中に登場する「黒いくつ下」や「タータンチェック(のスカート)」が、フェティッシュな欲望の視線を喚起したと語る言説は少なくないが、それは岩谷の「陽動作戦」にすぎない。むしろ注目すべきは、この歌詞が表出している対話の二重性である。

 歌の構成は典型的なA-A-B-A形式である。まず、最初のA-Aの「ふりむかないで」と繰り返される語りかけに注意したい。近しい関係にある男性に対して、主体たる女性が要求を発している。男性のいる傍で衣服を直しながら、それを「見るな」と禁止することで場面にセクシュアルな緊張感が生まれている。聴き手を引き込むみごとな場面設定だ。

 Bのサビには切り返しがある。歌の主体は、背を向けたままの男から目を外し、観客の方へ向き直って彼女と彼の行動予定を高らかに伝える。「これから仲よく デイトなの 二人で語るの ロマンスを」と。

 問題は、サビ後のAに出てくる「今ね 内緒のお話なのよ」。彼女と彼が構成する場面が保持されているならば、ここで「内緒の話」を交わす相手はいったい誰なのか? また恋人(ボーイフレンド)に聞かれたくない内緒話とはいかなる内容のものなのか? それはどうやら、“ふたりで語るロマンス”とは別種の隠された話柄のようである。

 私が先に、ニッポン放送の「ザ・ピーナッツ」から生まれたオリジナル曲の基調を「ホーム・ソング」としたのは、この歌を含めてのことである。この視点から、やや突飛な仮説を立ててみたい。それは作詞者の意図を超えているかもしれないが、この時代の<社会意識>の枠の中にはすっぽり収まるものである。

 娘は確かに男に向かって「ふりむかないで」と要求している。下半身を包む衣装を直しているからというのが主な理由だが、もう一つの(隠された)意味は、男に対して、もう顧みることをせず前方(娘=私)に注意を集中しろという指令である。

 二つめのサビ後のAの歌詞「いつでも腕を組み 前向いて」は、彼女の意志をよく伝えている。しっかり腕を組んだら振り向くことなどできない。そうやって「前向いて」、幸せをつかまえるのが若い二人の最大の使命なのである。

 そう考えれば、「内緒のお話」の相手が、彼女の将来(結婚)について強い関心を持つ人物であるという推測が成り立つ。その人物は、双子姉妹の一方(エミかユミ)であるか、または彼女たちの母親(ママ)だ。「ホーム・ソング」というのはこうした意味合いである。

 「黒いくつ下」や「タータンチェック(のスカート)」は、確かに聴き手を“ふりむかせる”ために岩谷が仕込んでみせた小道具である。ただ、その役割はセクシュアリティの発信そのものではない。人生の伴侶を確保し、安定したホーム(家庭)をつくりたいという女性側のかなり現実的な欲望に加担するモノたちだったのではないか。

 1960年代初頭は、「家族の戦後体制」がほぼ確立した時代である。落合恵美子によれば、その特徴は、(1)女性の主婦化、(2)再生産平等主義、(3)人口学的移行期世代が担い手、の3つである。分かりやすくいえば、(1)戦後になって(実は)はじめて、女性が専業主婦として家庭に入るのが当然視されるようになったこと(戦前・戦中に専業主婦は少数派)。(2)誰もが結婚して子供を2、3人産むのが当たり前とされる価値観が生まれ、浸透していったこと。(3)それら二つの特徴が実現できた背景に、多産多死世代から多産少死世代(いわゆる団塊世代)への移行が重なっていたことである。

 この「家族の戦後体制」は、1960年代から70年代にかけて完成形に到達し、戦後家族の標準的なライフコースをつくりだした。今からみれば、正規雇用を基盤として、結婚・子育て・退職と順にコマを進める双六のようなライフコースは、1990年代半ばまでの30年間維持されたものにすぎないが、高度成長期には唯一無二の普遍的モデルのように見えた。

 岩谷の詞は、しかと狙いすましたわけではないのに、「乙女」が密かに抱く欲望を言い当ててしまったことになる。一連の「ホーム・ソング」に明るくモダンな生活と風俗を描き込んできた岩谷の詞は、その向こう側にしっかり大衆の本音を掬い取っていたことになる。

 さらにいうまでもないが、「ふりむかないで」は、ピーナッツはもちろん宮川や岩谷にとっても大きな転換点である。初のオリジナル・ヒット曲であったばかりでなく、3者がみごとに時代と出会い、同期し、その本質を表象することに成功した作品であるからだ。

隠された対話――「恋のバカンス」

東京~名古屋の長距離ダイヤル市外通話が始まるのを記念して初通話する歌手のザ・ピーナッツ、伊藤エミ、伊藤ユミ(右)=東京都千代田区拡大東京~名古屋の長距離ダイヤル市外通話が始まるのを記念して初通話する伊藤エミ(左)と伊藤ユミ=1962年11月、東京都千代田区
 「恋のバカンス」が「チャオ」とカップリングで発売された1963年4月、私は小学校の5年生だった。たぶん『ザ・ヒットパレード』で、この曲をはじめて聴いたのだろう。今ふうの言葉で言うなら、まさに“ぶっとんだ”。このような歌が、「茶の間」(2DKのわが家にはなかったものだが)のテレビから野放図に流れ出していいのかと思った。この番組を一緒に楽しんでいた父も母も、妙に鼻白んだような表情を浮かべ、私は顔が熱くなるのを感じた。

 いうまでもなく、これも岩谷・宮川の作品であり、ピーナッツの人気を決定的なものにした1曲である。

 ため息の出るような あなたのくちづけに
 甘い恋を夢見る 乙女ごころよ
 金色に輝く 熱い砂の上で
 裸で恋をしよう 人魚のように
 陽にやけた ほほよせて ささやいた 約束は
 二人だけの 秘めごと ためいきが 出ちゃう
 ああ恋のよろこびに バラ色の月日よ
 はじめて あなたを見た 恋のバカンス

 岩谷の詞は鮮烈だったし、それを口にするピーナッツは、可憐で妖艶だった。従来の歌謡曲にも性愛をほのめかす歌はあったが、このように直截に凛々しく愛のシーンを切り取った歌詞はなかったのではないか。

 小学生の私は性愛について正確な知識を持っていなかったものの、“裸で恋をする”ことの甘美と悦楽のイメージは知っていた。夏の浜辺で繰り広げられる(らしい)、青年男女の恋愛行動がどんなものかについて、多少の認識は持ち合わせていたからだ。

 たとえばその「素材」の一つは、フジテレビの「テレビ名画座」で見た、イタリア映画の『芽ばえ』(1957)だったのではないか。

 16歳の誕生日間近のグェンダリーナ(ジャクリーヌ・ササール)は、富裕な両親とともに海浜の避暑地で夏を過ごしている。彼女は同じ年頃の仲間に囲まれ、王女のように振る舞っているが、一方で関係の冷えた両親を気遣っている。浜辺で男女が戯れる場面では、大人っぽい身体つきの少女たちの中で、グェンダリーナは少しだけ幼く見える。

 やがて彼女は、中流家庭の青年オーベルダンに惹かれる。猟のさなかのグェンダリーナの落水、ピサの斜塔帰りのキス、オーベルダンの試験勉強などのエピソードを重ねて、恋の進行がテンポ良く描かれる。お互いの名前を呼び交わしながら、二人が渚を走るシーンは、今見ても素晴らしい。

 しかし、別離がやってくる。よりを戻した両親と共にロンドンへ旅立つグェンダリーナ。もう夏はとっくに終わっている。雨の駅で呆然と見送るオーベルダン、動き出した列車の壁にもたれて泣きじゃくるグェンダリーナ。鍵っ子の私は、自宅のテレビ受像機の前でひとり深く溜息をついた。

 ただし、『芽ばえ』は秀作ではあるものの、1950年代の一連のビーチ・ムービーの一例である。それらの多数の映画は「恋のバカンス」が生まれた背景でもある。

 海辺の避暑地とロマンスという要素からすると、嚆矢は、1954年公開のフランス映画『青い麦』あたりだろうか。コレットの原作は1922年。少年と少女のすれ違う想いに年上の女の「手ほどき」をからませた原作は、映画とともに少しも古びていない。

 文芸作品をもとにした作品では、フランソワーズ・サガン原作の『悲しみよこんにちは』(1958)は、母の殺害といういかにも“アプレゲール”な装いを持つ作品である。この世界的ベストセラーにはハリウッドが金を出し、ジーン・セバーグという新しいタイプの女優が登場した。

 そして、トロイ・ドナヒューとサンドラ・ディーが演じるカップルが“若すぎる”という過ちを犯し、その両親も不倫の罪を犯してしまうという、海浜リゾートの「恋愛喚起力」を描き出したのが、『避暑地の出来事』(1959)である。パーシー・フェイスのオーケストラがカヴァーした主題歌「夏の日の恋」は、なんと9週連続で全米1位の座にあった。アメリカ中の人々が、「避暑地」に熱狂したのである。

 アメリカではその後、もっと能天気な海浜映画が続々と生み出された。代表的なのは、AIP(American International Pictures)が製作した『ビーチ・パーティ』(1963)とその続編である。フランキー・アヴァロンとアネット・ファニセロの美男美女コンビがほぼすべての作品に登場する。そこには規範や良識を押しつける大人はいない(ベトナム戦争の影もない)。浜辺の出来事はコミカルな珍事と絵に描いたような恋物語ばかり。まるで歴史から切り離されたような浜辺の休日が延々と繰り返されていく。

 もちろん日活映画の『太陽の季節』(1955)や『狂った果実』(1956)も忘れるわけにはいかない。逗葉・湘南の海を背に、登場人物たちは、欧米のビーチ・ムービーの輝くような微笑の代わりに、みな中途半端な屈託か陰惨な冷笑を浮かべていた。『狂った果実』のポスターで、水着姿の身体を寄せ合う石原裕次郎と北原三枝が見せた、どこか怯えた表情は忘れがたい。新人監督・中平康がこの映画で実現した「鋭利にして生き生きとしたカメラワーク」(四方田犬彦『日本映画110年』)がフランソワ・トリュフォーを刺激し、「不機嫌な若者」という共通のイメージのもとにヌーヴェル・バーグへ通じていったことは記憶されるべきである。

 1953年に朝鮮戦争が休戦に至り、いっとき東西の緊張緩和の空気が高まると同時に、世界経済は高度成長への途についた。1950年代半ばからのビーチ・ムービーの世界的流行には、この平和ムードと好景気の波が寄せていたに違いない。

 右肩上がりの日本経済に「所得倍増」のキャッチフレーズが冠せられたのが1960年。その1961年には、「レジャー」という言葉が人々の口から頻繁に出るようになった。「遊び」を非日常の罪悪とみる風潮に対し、「余暇」という日常生活の一部に位置づける価値観が広まっていった。ちなみに加山雄三主演の『大学の若大将』(若大将シリーズ第1作)が公開されたのもこの年である。実は戦後青春映画の歴史で、“遊ぶ若者”が肯定的に描かれた画期的な作品でもある。

 いささか長い余談になったが、こうした世情の変化を追い風に受けて、「恋のバカンス」は生まれたのである。東洋レーヨン(現・東レ)は1963年、「バカンス・ルック」を発表し、トヨタ自工(現・トヨタ自動車)や日本交通公社を筆頭に33社がバカンス・キャンペーンを展開した。前年には、コニー・フランシスの「ヴァケイション」を、弘田三枝子や青山ミチがカヴァーしヒットさせていたから下地は整っていた。この勢いを借りて、宮川の曲にも岩谷の詞にも、旧習を振り捨てるような思い切りの良さが出たのだろう。

 もちろん勢いだけではない。真夏の海辺の喧騒と沈黙、恋人たちの情熱と倦怠、複数の他者の視線と欲望。「恋のバカンス」には、これらの多彩な要素が豊かに流れ込み、濃密なファンタジーを浮上させている。渚の恋歌の要素をみごとなバランスで配し、4ビートの深いリズムに乗せて、やや複雑なメロディの運びが歌唱に陰影を与えている。この曲は、戦後歌謡曲の一つの達成であることは、疑う余地がない。

 曲の構成は、A-A'-B-Cと従来の歌謡曲の形式を破るものになっており、岩谷の詞もこの形式に合わせて強い展開感をつくり出している。ただしその詞句には、注意深く見ると、いくつかの仕掛けがある。

 まず、Aすなわち第1連。結びの「甘い恋を夢見る 乙女ごころよ」の主体は、果たして「ため息の出るような あなたのくちづけ」を受けた当の人物なのだろうか?

 もし実際に接吻を交わす関係が成立しているなら、それは恋の渦中である。わざわざ「夢見る」必要はない。第1連の1行と2行は別の位相にある。1行の官能的な出来事は一個の場面として、2行目のフレーズを呟く主体によって眺められているのである。

 サビに入って、Bすなわち第3連の結びの「ためいきが出ちゃう」にも同じ構造がみてとれる。愛の密やかな約束を交わすという行為を想像しながら、歌の主体はため息をもらしている、とみるのが理にかなっている。しかもこのやや子どもっぽい「出ちゃう」には、相変わらず姉妹間の親密な会話の響きが残っている。恋人たちの大胆な姿に溜息をつきながら見入っている姉と妹は、「乙女」の世界の縁にたどりついている。

 さらにサビを締めるCすなわち第4連では、「はじめて あなたを見た」と、我-彼のやや距離感のある目視体験を語ることで、これらの事情が端的に明らかにされている。つまり、「恋のバカンス」は一般的に信じられているように、浜辺で裸の恋を実践する成熟した女性が、みずからの想いを歌いあげている歌ではない。そのような灼熱の恋に(おそらくは映画の場面などを想起して)憧れる「乙女」の歌なのである。

 岩谷自身は、「彼女たちがもっと大人になっていて肉体的な歌い手さんだったら、さすがの私も照れてしまって書けなかったもしれませんね」(田家秀樹『歌に恋して』、2008)と語っている。岩谷が行ったのは、ビーチ・ムービーのワンシーンを切り取り、そんな情熱的な場の主人公を夢見る「天真爛漫なお嬢さん」(前掲書)を観察者に配置することだった。

 それでも「恋のバカンス」は決定的な転換点となった。そこでは「ホーム・ソング」の枠組みからの脱出が企図されているからだ。「ホーム・ソング」の少女は、好奇心に満ちた目で大人の恋人たちを見つめ、溜息をもらしている。少女はすでに成熟への準備を終え、母への気遣いを乗り越えようとしている。「ふりむかないで」で、自身も振り向かずに前進することを決めた女性は、「恋のバカンス」で性愛の歓喜をわずかな不安とともに凝視している。

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筆者

菊地史彦

菊地史彦(きくち・ふみひこ) ケイズワーク代表取締役

1952年、東京生まれ。76年、慶應義塾大学文学部卒業。同年、筑摩書房入社。89年、同社を退社。編集工学研究所などを経て、99年、ケイズワークを設立。企業の組織・コミュニケーション課題などのコンサルティングを行なうとともに、戦後史を中心に、<社会意識>の変容を考察している。現在、株式会社ケイズワーク代表取締役。国際大学グローバル・コミュニケーションセンター客員研究員。著書に『「若者」の時代』(トランスビュー、2015)、『「幸せ」の戦後史』(トランスビュー、2013)など。

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