「女子アナ」イメージに抵抗する「ジャーナリスト宣言」
2018年04月20日
番組が好評だっただけに『あさイチ』の降板も驚いたが、その後の「フリー宣言」(某局に早速出演するという情報もあるようだが)にはさらに驚かされた。『NHKスペシャル』から『NHK紅白歌合戦』まで硬軟さまざまな看板番組の司会を務めた経歴から、将来はNHKの重鎮として“局アナ道”をまっとうするのだろうと、なんとなく思い込んでいたからである。
局アナがフリーになると、たいがいまずお金の話になる。収入がけた違いに増えるとか具体的な数字入りでまことしやかな記事が出る。有働由美子も例外ではない。ただ、個人的な印象では、そうした意味でのステータスのアップが最大の理由ではなさそうに見える。
では、そもそもどんなアナウンサーがフリーになるのか?
大前提として人気がなければそういう話にはなりにくいだろう。しかし、たとえばTBSの安住紳一郎のように、人気・実力とも申し分ないアナウンサーでフリーにならないひともいる。そういう意味では、ひとそれぞれと言うしかない。とすれば、重要なのはそのひとの個性、生き方なのだろう。
局アナのフリー転身はテレビの草創期から始まっていて、その歴史は意外に長い。その中心にいたのはやはりNHKである。古くは高橋圭三、木島則夫、小川宏など、1960年代からNHKの男性局アナがフリーになるケースは少なくない。1970年代から80年代にかけては、TBSの久米宏やテレビ朝日の古舘伊知郎など大物民放アナのフリー転身も相次いだ。現在もNHK、民放問わずそうした例は枚挙に暇がない。
これら男性アナウンサーに対して、女性アナウンサーのフリー転身も同じくらいの時期からあった。
昨年2017年に亡くなった女優の野際陽子は、そのパイオニア的存在である。1958年にNHKのアナウンサーとなった野際は、1962年にフリーになっている。その間、朝のワイド番組の草分けでもあるNHK『おはようみなさん』の司会などを担当した。そのあたり、有働由美子に似ているとも言える。
そうした魅力を「不良性」と表現した当時の関係者がいた。その人物によれば、NHKで教育を受けたアナウンサーたちは技術的には立派だが、フリーになって成功するにはそれプラスなにかがなくては駄目である。その“プラスなにか”として大事なのが不良性であり、野際陽子もそれを備えたひとりだと言うのである(同書)。
もちろん、ここで言われている「不良」とは、単なる素行が悪いひととは違うだろう。いわば、組織のルールや社会通念に唯々諾々と従うのではなく、そこにまずひとりの個人として向き合う姿勢を崩さないひとのことだ。
野際陽子には、新人局アナ時代のこんなエピソードがある。昭和30年代の当時、お茶くみは女性の役割という考え方はいまよりもはるかに根強かった。しかし野際は、この習慣をきっぱりと無視した。ほかの女性がお茶くみをしていても、いっさい関わろうとしなかった。そのことでたとえ女性の同僚から陰口をたたかれても、その態度は変わることはなかったという(同書)。
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