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[書評]『現代社会用語集』

入江公康 著

渡部朝香 出版社社員

あたりまえを疑ってみるための用語集(≒詩集)

 もっといろんな考え方、世界がある。価値観は不変じゃない。これまで自分が知っていた世界は、なんて限られた、ちっぽけなものだったんだろう……。大学という場に臨んで覚えた自分の無知への焦燥感は、20年以上経ついまも尾を引いている。

 国語・算数・理科・社会の延長線上にあった高校の教科とはちがう、歴史的な背景をもち、変化の過程にある(ばあいによっては衰退の途にある)学問分野の数々。暗記の対象ではなく、思考の道具として身につけるべきことばの群れ。

 学生だったわたしが、なにから手をつけてよいかもわからないまま頼りにしたのは、中村雄二郎の『術語集――気になることば』(岩波新書)や別冊宝島の『現代思想入門』といったキーワード集だった。もちろん、そうしたキーワード集で知ることができるのは断片でしかない。それでも、つぎに読むべき本のガイドともなり、ありがたいものだった。

 2010年代後半の学生だって、受験勉強を卒業して、自分で考えることが問われる学びの入口に立ったときには、きっとなにかガイドを必要としているに違いない。

 そんな学生にぴったりの本が刊行された。

『現代社会用語集』(入江公康 著 新評論)定価:本体1700円+税拡大『現代社会用語集』(入江公康 著 新評論)定価:本体1700円+税
 著者の入江さんは多くの大学で社会学や思想史等の講義をもつ人気講師。理不尽な奨学金の返済に迫られながら過酷な働き方を課されている非常勤講師のひとりとして、闘うひとでもある。

 この『現代社会用語集』には、1万人以上の学生を惹きつけてきた名物講義をもとに、「ことば」「ひと」「出来事」「シネマ」という部立てで148のキーワードと解説がおさめられている。

 キーワードといっても、アカデミックなジャーゴンでもなければ、かつてのキーワード集の多くがとりあげていたような流行りの思想用語でもない。「階級」「革命」「近代」「言語」「国家」といった骨太の語がならび、「いい子/悪い子」「肉」「夜/眠り/夢」など、日常にとびかうことばも多い。キーワードの選択は、「この『社会』のなかで生きる『われわれ』の『あたりまえ』を疑うこと」(「はじめに」)という目的にそってのものだろう。

 解説は歯切れよく、読者に問いかけ、挑発する。

 「競争させるための言葉。差別の根拠のひとつ」(「能力」)

 「だれの、なんのためでもなく、自由な想像力をやしない、空想し夢想する時間。さあ、怠けよう」(「怠惰」)

 「日本では『民主主義』と訳されるdemocracyも、『-cracy』(統治を意味する接尾辞)を含んでいることから、『なにも変えないため』の装置かもしれない、とうたがってみてもいい」(「統治」)

 「『ユートピアはすぐディストピアに転化する』などといわれる。(略)われわれの生きる現実がすでにじゅうぶんディストピアなのだから、この現実をディスって、ユートピアを語ってもいいはず。(略)『どこにもない場所』をもっともっと想像しよう」(「ユートピア」)

 こうではない違う世界へと意識が向かう。世の中の大勢(あるいは体制)はお天気のようなもので自分ごときには変えられない、傘やレインコートを買って備えて雨をしのぐのは自分の責任、粛々と勤勉であらねばならない……とでもいうような、いまのこの社会に、裂け目を生じさせることばが連なっている。

 キーワードは、アイウエオ順にならんでいる。筋道だって配列されてはいない。あちらへ行き、こちらへ行き。でも、あちらとこちらはつながっていたりする。

 「諷刺」という項目もあるこの本には、全体に笑いと怒りが満ちている。「日本では、いまだグローバルだなんだかんだとうるさく、はっきりいって恥ずかしいだけなのだが、為政者も資本も官僚もどうしようもないからしょうがない」(「グローバリゼーション」)。イカレたことが横行している。笑え。怒れ。抗え。

 随所に挿入されている著者の手描きのイラストも、なんだかおかしくて、たのしい。冒頭に唐突におかれた1頁大の写真に写るのは、野原に一人(一匹)たたずみ、顔だけ横に向け、遠くを見ている猫。かわいい。そして、もしかして、暗喩?

 「詩人」という項目には、こうある。

 「詩人というのはある呪的な伝統を引き継いだ巫覡(シャーマン)――その社会にあってイメージや感情、知識、はたまた死んだ人、怪物、異なる者や革命を召喚し、呼び起こす者――のようなものであるのかもしれない」

 だとすれば、まさにこの本は詩人のことばを編んだものだ。

 「ハインリヒ・ハイネ」の項目では、著者みずからハイネの詩の訳に挑んでいる。誰だって詩を訳していい。誰だって詩人になっていい。

 「学費」を「諸悪の根源、愚かさの象徴」「大学は職探しや企業に都合のいい人材になるためにあるのではない」と説くこの本は、大学とはなにか、学ぶとは、考えるとはなにかを問いなおすものでもあるだろう。制服化したリクルートスーツをぬぎすてる誘惑に満ちたこの本を、学生たちはどう読むだろうか。

 もちろんこの本は、学生たちだけに向けられたものではない。自分のあたまとからだで、考え、感じたい、万人に開かれている。「ここにあげた言葉はべつに特定の考えを押しつけるたぐいのものでなく、思索するための素材だと考えてくれればいい」、「『外』から『社会』をみる視角」は「人生が豊かになることに資する」(「はじめに」)のだから。

 そういえば、この本、読んでいるうちに、どうしたってあるキーワードが頭に浮かんでくるのだけれど、それは項目にない。「支配する者がない」という語源をもつ、そのことば。詩人は、それを、ひとつの語としてではなく、通して奏でられる音楽がもたらすもののように、その思想がもつ響きのまま読者の心に届くことを願っているのかもしれない。

*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。

*三省堂書店×WEBRONZA  「神保町の匠」とは?
年間8万点近く出る新刊のうち何を読めばいいのか。日々、本の街・神保町に出没し、会えば侃侃諤諤、飲めば喧々囂々。実際に本をつくり、書き、読んできた「匠」たちが、本文のみならず、装幀、まえがき、あとがきから、図版の入れ方、小見出しのつけ方までをチェック。面白い本、タメになる本、感動させる本、考えさせる本を毎週2冊紹介します。目利きがイチオシで推薦し、料理する、鮮度抜群の読書案内。

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筆者

渡部朝香

渡部朝香(わたなべ・ともか) 出版社社員

1973年、神奈川県生まれ。1996年に現在の勤務先の出版社に入社し、書店営業、編集、営業(内勤事務)を経て、2014年夏より単行本の編集部の所属に。担当した本は、祖父江慎ブックデザイン『心』、栗原康『村に火をつけ、白痴になれ』、石内都『フリーダ 愛と痛み』、ブレイディみかこ『ヨーロッパ・コーリング』、福嶋伸洋『リオデジャネイロに降る雪』、佐藤正明『まんが政治vs.政治まんが』、赤坂憲雄『性食考』など。