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続・生徒と教師のための部活改革は進むのか?

教師は生徒の声を、生徒は教師の声を聞かなくてはならない

中澤篤史 早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

試合のハーフタイムに選手同士で話し合う長崎県時津町鳴北中サッカー部拡大試合のハーフタイムに選手同士で戦術を話し合う長崎県時津町鳴北中学のサッカー部員たち=2016年

生徒の声に向き合う

 部活改革は、たしかに必要だ。でも、改革の進め方は慎重になる必要がある。生徒の声に耳を傾けることを忘れてはダメだし、生徒が犠牲になっては本末転倒だ。部活改革で生徒が置き去りにならないように、生徒の声に向き合わなくてはならない。

 さて、生徒の声に向き合う、と言ったものの、それがなかなか難しいことは、私もわかっている。

 現場の教師からは、「生徒の声なんて聞いたら、休みたーいとグチグチ言うだけで、部活をサボって怠けるに違いない」とか、「生徒同士で意見が違うんだから、うまくいくわけないし、トラブルが増えるだけ」とか、「生徒のためにまた教師が苦労しなきゃいけないの? 生徒は何もわかっていないんだから、もう限界!」といった反論が来るだろう。

 ふむふむ、そうだよねぇ、と共感しつつ、そうした反論に対する私なりのリプライを試みてみよう。

生徒が「部活を休みたい」と言ってきたら

 まず、もし生徒が「部活を休みたい」と言ってきたら……その生徒の隠れていた本当の気持ちがようやく聞けた、とポジティブに考えてみてはどうか。

 部活は、授業とは違って「自主的な活動」だ。だから部活は、してもしなくても良い。当たり前だけど、部活よりも授業の方が大切で、だから強制させてでも授業を生徒に受けさせている。授業に比べれば、たかが部活だ。世間のみなさんは部活へ熱すぎる期待をかけるけれども、過剰な期待をいったん冷ましてほしい。

 さて、たかが部活、なんて言うと何だか部活の価値を軽んじているように思われるかもしれないが、そんなことはない。「してもしなくても良い」という緩さがあるから可能なことがある――自分で意志決定することだ。

 部活には良いところがある。みなさんも良く知っているように、スポーツや文化活動を気軽に楽しめたり、その知識や技術を高めたり、それを通じて友だちができたり、などなど。

 それらとはちょっと違う部活の良さとして、私は、意志決定の仕方を学ぶことができる、という教育的意義が部活にあると思っている。

 授業ならば、生徒は好きでも嫌いでも、選ぶ余地無く、強制的に受けなくてはならない。でも部活は違う。部活をするかどうか、いつ何をどうするか、ちょっと休むか、はたまた辞めるか、それでもやっぱり続けるか、とことんまで頑張り抜くか。それを選んで決める自由が生徒にある。

 部活で生徒は、自分に与えられた自由をどのように使うのか、そのための知識や方法を試行錯誤しながら学ぶ。つまり、「自由の使い方」を学ぶことができるのだ。

 だから「部活を休みたい」と生徒がホンネで決めたなら、認めてあげてほしい。他にしたいことが見つかったのかもしれない。休み続けているうちに「やっぱり部活したいかも」と思い直すかもしれない。「休む」と決めた自分自身を反省するかもしれない。後から見れば、何をそんなにグチグチ悩んでいたのか、とふり返るかもしれない。

 それらすべての経験に意味があるのだ。部活で生徒自身が何かを選んだり決めたりすることは、将来大人になってから仕事や家庭や人生で、もっと重要な意志決定を迫られる際の、大切な事前練習のチャンスになる。

 たかが部活、されど部活だ。

生徒同士で意見が衝突したら ・・・続きを読む
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筆者

中澤篤史

中澤篤史(なかざわ・あつし) 早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

1979年生まれ。東京大学教育学部卒業、東京大学大学院教育学研究科修了、博士(教育学)。専攻は、スポーツ社会学、身体教育学、社会福祉学。著書に、『そろそろ、部活のこれからを話しませんか――未来のための部活講義』(大月書店)、『運動部活動の戦後と現在――なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか』(青弓社)など。