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必見!『ペンタゴン・ペーパーズ』(上)

国民を欺きつづけた米政府

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』拡大『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』の公式サイトより

 泥沼化していたベトナム戦争に関して、米国防総省/ペンタゴンが1967年に作成した機密文書の存在を、ニューヨーク・タイムズとワシントン・ポストがスクープした。1971年のニクソン大統領政権下のことであるが、米政府が長年にわたり国民を欺いて大義なき戦争を拡大しつづけた過程が、明るみに出されたのだ。

ハイレベルな“実話ベースの映画”

 後年「ペンタゴン・ペーパーズ」の通称で呼ばれるこの膨大な報告書には、トルーマン、アイゼンハワー、ケネディ、ジョンソンの4政権—―1945~1967――が隠蔽(いんぺい)してきた、ベトナム戦争の“不都合な真実”が記されていたが、この文書が暴き出される顛末(てんまつ)を、スティーブン・スピルバーグが鮮やかな手つきで映画化した。タイトルもずばり、『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』。国家権力と新聞社の闘いをスリリングに活写した、文句なしの逸品だが、何より舌を巻くのは、基(もと)になった実在の事件/題材が、スピルバーグ一流の映画術によって、ハイレベルな“実話ベースの映画”に変換されている点だ(原題はThe Post <ワシントン・ポスト社のこと>)。

 そして、スピルバーグ作品では珍しい女性主人公、うつ病で自殺した父を継いで1963年にワシントン・ポスト(以下、ポスト)の社主となったキャサリン・グラハム(メリル・ストリープ)、および彼女の部下にして盟友の編集主幹、ベン・ブラッドリー(トム・ハンクス)の葛藤と奮闘と決断を中心にした作劇も秀逸だ(キャサリンはアメリカ主要新聞社で史上初の女性発行人)。

 また、そのメイン・ストーリー(“本編”/1971)に先立って、時代が少しさかのぼり、知られざるベトナムの戦況が、いわば“序章”として簡潔に示される。この導入部もじつに効果的だ。なぜなら、観客はそれによって、ヒロインら個人の実存的な(人生を賭けた)人間ドラマが、まさに“不都合な真実”を隠蔽している国家権力との闘いのドラマ、すなわち、上質なスパイ映画的な面白さを含む政治サスペンスでもあることを体感しうると同時に、“本編”の前提となる一連の事実関係を、時系列のなかでクリアに頭に入れることもできるからだ。見事な物語構成である。

 ――“序章”でまず描かれるのは、ジョンソン大統領政権下の1966年の、銃弾飛び交うベトナムの密林地帯の戦場を短くうつす場面、ベトナム視察から戻る国防長官、ロバート・マクナマラ(ブルース・グリーンウッド)の姿、そして彼にある男が戦争の泥沼化について報告するシーンだ。しかし、記者団から「アメリカの勝利への展望」について質問されると、マクナマラは「飛躍的に進展している」と、作り笑いを浮かべて言ってのける。むろん、ホワイトハウスを忖度(そんたく)して、である(その直前に、かすかに困惑の表情を見せるブルース・グリーンウッド/マクナマラの演技がじつにデリケートだが、マクナマラはこの時すでに、ベトナム戦争が勝算のない戦いであることを知っていて、それを数年後に「ペンタゴン・ペーパーズ」に記すが、民主党のケネディ、ジョンソンの両大統領政権下(1961~1968)で国防長官を務めた彼は、この文書の作成責任者)。

 その後(1969)、男=ダニエル・エルズバーグ(マシュー・リス)は、自らが軍事アナリストを務める米国シンクタンク、ランド研究所の厳重な保管室から「ペンタゴン・ペーパーズ」をひそかに持ち出し、コピーする(やがて、エルズバーグは政府の犯罪的な虚偽を暴くべく、文書に関する情報をニューヨーク・タイムズにリーク/漏洩する――すなわち内部告発する――が、元海兵隊員の彼は、「ペンタンゴン・ペーパーズ」の執筆者の一人でもあった)。以上が“序章”である。

 場面は変わって1971年のワシントン。“本編”の始まりだ――。平凡な主婦からポストの社主/経営者になって数年のキャサリン/メリル・ストリープは、社の株式公開を間近に控え、書類整理に追われていた。経験不足のため役員らに意見を軽んじられながら、会長フリッツ・ビーブ(トレイシー・レッツ)を頼ることも多かったキャサリンは、それでも、男性優位社会の中で少しずつ新聞社経営のノウハウを学んでゆく(その点で本作は彼女の“成長物語”でもある)。――そんなある日、辣腕(らつわん)の編集主幹、ベン・ブラッドリー/トム・ハンクスとの朝食会で彼女は、ニクソン大統領の娘の結婚式の取材をポストの記者が拒否されたことや、女性の読者が減っていることなどを話すが、ベンは指図をするのはやめてくれと言う。編集に口を出されるのを嫌っていたベンが、しかし、社主キャサリンを自由に物が言い合える盟友としても認めていることが、絶妙なニュアンスで示される場面だ。

 そしてこの場面に限らず、スピルバーグの懐刀(ふところがたな)、名手ヤヌス・カミンスキーのカメラによる、柔らかい光線のもとでの薄青さや乳白色やグレーを主調とするスモーキーな引きの画面が、全編を通じて素晴らしい(本作では役者の顔のアップが少なく、よって彼、彼女らの感情表現もシリアスに誇張されはしないが――熱血漢のベンに扮するトム・ハンクスも、声を荒らげて叫ぶ演技をほとんどしない――、またそれゆえ、ここぞというときのアップが生きる)。また、あるときはテンポ良くカットを割り、あるときは長回しぎみに被写体を凝視する描法も卓抜、さらに、透明のガラスで仕切られた新聞社の広いオフィスの奥行きを見通せる縦の構図で、手前に人物を配する古典映画的なショットも目に快い(<付記・1>参照)。

使命感と、特ダネを狙う競争心  ・・・続きを読む
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筆者

藤崎康

藤崎康(ふじさき・こう) 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

東京都生まれ。映画評論家、文芸評論家。1983年、慶応義塾大学フランス文学科大学院博士課程修了。著書に『戦争の映画史――恐怖と快楽のフィルム学』(朝日選書)など。現在『クロード・シャブロル論』(仮題)を準備中。熱狂的なスロージョガ―、かつ草テニスプレーヤー。わが人生のべスト3(順不同)は邦画が、山中貞雄『丹下左膳余話 百万両の壺』、江崎実生『逢いたくて逢いたくて』、黒沢清『叫』、洋画がジョン・フォード『長い灰色の線』、クロード・シャブロル『野獣死すべし』、シルベスター・スタローン『ランボー 最後の戦場』(いずれも順不同)

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