メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

必見!『ペンタゴン・ペーパーズ』(中)

ヒロインの葛藤と決断、情報リークのスリル

藤崎康 映画評論家、文芸評論家、慶応義塾大学、学習院大学講師

『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』の公式サイトより

 『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』の核心をなす、キャサリンとベンがポストの社運をかけて文書掲載を決行するに至る経緯は、前述のように、2人が直面する葛藤/ジレンマに焦点を絞って描かれる。

 とくに興味深いのが、上流の社交界/政財界サークルの常連であった“お嬢様”キャサリンが、政権の怒りを買い自らの恵まれた境遇や地位を失うリスクと、報道の自由を貫くこととを秤にかけ、あれこれ思い悩む一連である。とりわけ、キャサリンが古くからの友人であるマクナマラを訪れるシーンは、静かなサスペンスが張りつめる注目すべき場面だ(ここが本作のいちばんの見どころかもしれない)。キャサリンに、文書を公表すればニクソンに報復される、と忠告する国防長官引退後のマクナマラが、先の場面で記者団に虚偽報告をした冷徹な政治家とは別の顔を見せる点も見逃せないが、スピルバーグはこのシーンで、単純な“善と悪の対比”という図式を排し、両者の感情や思いの機微を繊細にすくい上げている(マクナマラについては後述)。

 いっぽう、タフで腕利きの編集主幹ベンは、「報道の自由を守るのは報道しかない」と、確固たる決意で繰り返す。そしてベンは、ジレンマに悩むキャサリンに、文書公表の重要性を熱心に説く。彼はさらに、会社の存続を第一に考え文書掲載に反対するフリッツ・ビーブ会長(トレイシー・レッツ)や、アーサー・パーソンズ取締役(ブラッドリー・ウィットフォード)、また、裁判になればタイムズのように敗訴し記事を差し止められ、社の経営さえ危うくなる、と助言する法律顧問らを、粘り強く説得する。――こうして、ポストによる文書掲載は、社主キャサリンの決断に委ねられるが、葛藤を重ねながらも彼女は、文書を掲載すべきだという思いを徐々に強めていく(こうした状況のサスペンスは、まさしく、キャサリンのジレンマ=未決定状態/suspenseによって生まれる)。

 そしてついに、社の将来を危険にさらす覚悟で、キャサリンはベンに記事掲載の許可を出し、1971年6月18日、ポストに「ペンタゴン・ペーパーズ」の全文が公表される。同日、ニクソンは司法省を通じて、ポストに対する掲載禁止命令と恒久的差し止め命令を要求するも、連邦裁判所判事はその訴えを却下した。同判事による判決には、報道機関は国民に仕えるものであり、政権や政治家に仕えるものではない、という合衆国憲法修正第1条にのっとった文言が含まれている(作中ではこの法廷闘争の経緯も、緊迫感のある裁判劇として描かれる)。

みなぎるスパイ映画的スリル

 ところで前述のように、「ペンタゴン・ペーパーズ」をめぐる情報が、内通者=情報源によってひそかに新聞社にリークされる場面には、クラシカルなと言いうる、スパイ映画的スリル――後述するように内通者とは文字通りスパイだ――がみなぎる。たとえば、ポストの編集局次長/記者のバグディキアン(ボブ・オデンカーク)が、内通者ダニエル・エルズバーグ(マシュー・リス)に電話するシーン。バグディキアンは、人通りの少ない裏通りの公衆電話で情報源に接触を試みるのだが、そこでは、携帯電話もインターネットもなかったアナログ時代ならではのドキドキ感が脈打つ。しかも、バグディキアンは以前ランド研究所に勤めていたエルズバーグの元同僚であったが、そうした情報源と記者の奇縁も、見る者の興味をそそる。そしてまもなく、バグディキアンは、モーテルでエルズバーグと会い、4000頁以上の文書のコピーを入手する――。

 また、そのシークエンスに先立つ、ポスト社の元へ箱に入った極秘の記事を若いヒッピー風の女が届けに来るところでも、別に恐ろしいことは何も起こらないのに、オフィス内を歩く女をフォローするカミンスキーのカメラの、切れ目なく滑走する横移動が画面に鋭い緊張を生む。

“終章”のウォーターゲート事件

 『ペンタゴン・ペーパーズ』を締めくくる“終章”も、すこぶる巧みに設定される。

・・・ログインして読む
(残り:約1855文字/本文:約3618文字)