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100年かけて築きあげたバー「サンボア」の美学

徳山喜雄 ジャーナリスト、立正大学文学部教授

拡大にぎわう銀座サンボア(写真はいずれも徳山喜雄撮影)
 大正デモクラシーの時代に産声を上げ、大阪、京都、東京で14店舗を構える老舗バー「サンボア」が創業100年を迎えた。港町・神戸が発祥で、氷を入れないハイボールが名物だ。サラリーマンをはじめ文豪や俳優ら著名人にも愛され、時を刻んできた。

背筋が伸びるようなバー

 東京・銀座5丁目のビルの地下1階にある銀座サンボア(2003年開店)。ドアを開けると、木製のスタンディングカウンターと、棚にずらりと並ぶスコッチウイスキーが目に飛び込む。BGMは流れていない。

 向かってカウンター左側に、ガッシリとした体格で、オールバックの男性が立つ。白のダブルのブレザーに黒の蝶ネクタイ。「映画『カサブランカ』で酒場のオーナーを演じるハンフリー・ボガートが着ていた服を真似てあつらえた」という。

 銀座サンボアと浅草サンボア(2011年開店)、大阪にある北新地サンボア(1994年開店)の3店舗のオーナーの新谷尚人さん(56)だ。

拡大名物のハイボール。炭酸がグラスを駆けめぐる
 ハイボールを注文する。冷蔵庫でよく冷やしたサントリー角瓶を、グラスにツーフィンガー(ダブルの量)、次いで瓶詰めのウィルキンソンの炭酸水を勢いよく入れる。泡がグラスのなかを駆けめぐる。仕上げにレモンピールをサッとひとひねり。磨き込まれたグラスを唇に運ぶ。飛びはねる炭酸とかすかなレモン味が口いっぱいに広がる。

 私にとっては30年以上にわたって慣れ親しんだ味だ。どこのサンボアにいっても味は変わらない。

 25歳のときに全国紙の大阪本社に配属され、先輩に連れられていったのが、大阪・キタにある堂島サンボア(1936年開店)だった。50がらみのしかめ面のバーテンダーがカウンターに立ち、店の第一印象は「正直いって、怖かった」。20代の若造には敷居の高いバーだったが、折り目正しいバーテンの動きと、やけに濃く感じたハイボールの味は忘れられなかった。私のサンボア初体験は酔うのではなく、背筋が伸びたようだった。

「生業(なりわい)はサンボア」

 どこのサンボアも客に気安く話しかけたりしない。黙ってカウンターに立ち、客のペースで静かに洋酒を楽しんでもらう。これが、ハイボールの味とともにいつしかサンボアのDNAとして受け継がれてきたようだ。

 暖簾(のれん)分けでつながるサンボアは店ごとにオーナー(現在12人)が違い、それぞれの流儀がある。しかし、どこかのサンボアで10年間修行をしたうえで、すべての店のオーナーからの許可を得ないかぎり、独立しサンボアを名乗れないというしきたりがある。これが連綿と受け継がれるDNA、言葉を換えれば「バーの美学」ということなのだろう。「それぞれの店で修行した者たちがサンボアを生業(なりわい)としている」という新谷さんの言葉からも、DNAの存在が伝わってくるようだ。

拡大サンボアの3店舗のオーナー、新谷尚人さん
 新谷さんは学生時代の1983年からアルバイトとして大阪・ミナミの南サンボア(1951年開店)で修行を始める。大学卒業後、高校の英語科の講師として教壇に立つかたわら、86年、サンボア・ザ・ヒルトンプラザ店の開業と同時に入店。94年に独立する。

 「バーの役割は、ただ、そこにあること。すばらしい酒を提供することでもなく、高い酒、美しいカクテルを出すことでもなく、毎日毎日そこにあり、客のいるところに私たちはいる」とバー哲学を語り、「煌(きらび)やかなことはない。うちで飲んで明日もがんばる客の背中を見送る。たまたま酒が触媒としてある」と説明する。

文芸誌「ザンボア(朱欒)」が店名の由来

 サンボアは1918年(大正7年)2月、現在の阪急電鉄・花隈駅(神戸市中央区)近くで岡西繁一という人物が創業した。当時の名前は岡西ミルクホールといい、その後サンボアに改称される。

 明治維新や神戸開港から50年になる18年は、米の暴騰によって空前の民衆暴動が日本全土に拡大。神戸の地元豪商の鈴木商店や神戸新聞などが焼き打ちにあうという事件が起こった。一方、大阪から神戸にかけて「阪神間モダニズム」といわれるハイカラな地域文化も開花。23年にサンボアと店名を改めた。

拡大季節感あふれる花を絶やさない。梅雨のいまはアジサイ
 新谷さんは昨年末、100年におよぶ歴史を調べた『バー「サンボア」の百年』を出版。同書によると、岡西は北原白秋が編著を務めた文芸誌「ザンボア(朱欒)」を愛読しており、それがサンボアの由来になったとする。ザンボアとは、果物のザボンの語源でポルトガル語だ。「ザ」が「サ」になったのは、看板にZANBOAと表記するところ、横文字になじみがなかった看板屋が「Z」を逆さにして「S」としてしまったからという。

 堂島サンボアの創業者・鍵澤正男は「サンダイヤ」(24巻)と題された香料を製造する会社の広報誌のなかで、 ・・・続きを読む
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筆者

徳山喜雄

徳山喜雄(とくやま・よしお) ジャーナリスト、立正大学文学部教授

1984年朝日新聞入社。写真部次長、「AERA」フォト・ディレクターなどを経て、2016年に退社。新聞社では東欧革命や旧ソ連邦の崩壊など共産圏を取材。17年から現職。著書に『新聞の嘘を見抜く』(平凡社新書)、『安倍官邸と新聞』(集英社新書)など。