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『手をなくした少女』心の奥底まで表現した線の色

セバスチャン・ローデンバック監督は語る

叶精二 映像研究家、亜細亜大学・大正大学・女子美術大学・東京造形大学・東京工学院講師

© Les Films Sauvages – 2016『手をなくした少女』の特別先行上映会では、セバスチャン・ローデンバック監督(右)と片渕須直監督とのトークショーが行われた=2018年7月9日、東京・渋谷のユーロスペースにて

『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』
2016年/フランス/76分 原題/La jeune fille sans mains 
監督/セバスチャン・ローデンバック 原作/ヤコブ・L・C・グリム、ウィルヘルム・C・グリム「手なしむすめ」 脚本/セバスチャン・ローデンバック 編集/サンティ・ミナーシ 音楽/オリヴィエ・メラノ
〔声の出演〕少女/アナイス・ドゥムースティエ、王子/ジェレミー・エルカイム、悪魔/フィリップ・ローデンバック、庭師/サッシャ・ブルド
8月18日(土)よりユーロスペースほか全国順次公開中
© Les Films Sauvages–2016 
公式サイト

『かぐや姫の物語』『この世界の片隅に』とのつながり

――セバスチャン・ローデンバック監督は、亡くなった高畑勲監督を尊敬されていると伺っております。高畑勲監督はフレデリック・バック監督を師として大変尊敬されていました。そこにアニメーション制作の志のつながりと申しますか、受け継がれていくものを感じました。

ローデンバック 高畑勲監督の『かぐや姫の物語』(2013年)には心から感動しました。作品ごとに実験的な技法に取り組んでいた姿勢も心から尊敬しています。ただ、『かぐや姫の物語』を観たのは『大人のためのグリム童話 手をなくした少女』の制作開始から随分経ってからでしたので、直接的な影響を受けた訳ではありません。しかし、『かぐや姫の物語』と『手をなくした少女』、そして片渕須直監督の『この世界の片隅に』(2016年)には多くの共通点を見出すことが出来ます。社会によって虐げられた女性の生き様を描いた作品であること、人の手で人物を生き生きと描いたアニメーションであること、飾りの多い流行とは異なる簡素なキャラクターであること、自然の美しさを描いていることなどです。この3作品が同じ時代に生まれたということにも感動を覚えます。

――後半に少女と息子が野原で並んで排泄をするシーンがあります。高畑勲監督の『火垂るの墓』(1988年)で兄妹が小便をするシーンとレイアウトがほぼ同じです。これは意識的なオマージュなのでしょうか。

ローデンバック (当該シーンを観て)本当に似ていますね! すみませんが、私はこのシーンを全く覚えていませんでした。本当に参照はしていませんし、その方法もありませんでした。けれども、人間同士が感情を通わせるために(並んで排泄するのは)とても良い方法だと思っています。

© Les Films Sauvages – 2016© Les Films Sauvages – 2016

自然に囲まれた人物を描きたい

――レイアウトとコンポジット(作画素材を合成して画面を完成させる工程。実写映画の「撮影」に相当)について伺います。キャラクターの演技がメインのシーン、特に会話のシーンはほとんどがFix(カメラを定点に据えて動かさないこと)です。一方、背景がメインとなるシーンにはカメラワークが多用されています。背景の中を移動する人物をカメラが追いかけるという設計は少ないという印象です。

ローデンバック おっしゃる通りです。前提として、すべてのカットで動きを作るということを考えました。人物が動く時はカメラを動かさない、動かない背景を写す時は逆にカメラを動かすという考え方です。動く人物をカメラが追いかけると、この作品のような線描中心だとフリッキング(明滅)が起きてしまい、動きが認識しづらい。それを避けたという技術的な理由もあります。それでも注意しながらいくつかのシーンで試みていますが。

――人物の演技中心のシーンのカメラは半身が写るくらいのミドルショット、背景または背景の中の人物はロングショットが多用されていますね。

ローデンバック ええ、人物の顔のアップはほとんど撮っていません。王子が少女を驚かせる出会いのシーンや出産のシーンくらいですね。その他はもう少し距離をとって人物を撮っています。背景にロングショットを多用したのは、自然に囲まれた人物を描きたいという意図がありました。

© Les Films Sauvages – 2016© Les Films Sauvages – 2016

――全体にカメラワークもレイアウトも抑制的です。その中で、ラストの下から上にカメラがティルトアップ(上昇)するカットがとても強い印象を刻みます。

ローデンバック よく御覧になっていますね! この作品の場合は、映像的な直感に従ったと申しますか、実写映画の撮影現場で役者のフレームイン・フレームアウトを指示しているような気分で作っていたのです。一般的なアニメーション制作では、カメラワークは作画段階の前に決まっているものです。しかし、私の場合はまず作画をしてしまってから、編集とコンポジットの段階でカメラワークを決めています。コンポジットの段階で、色を決めたりカメラを動かしたりといった作業の全てをほぼ同時にやっていました。台詞もその時に決めていたのです。そして、コンポジットでうまくいかない時は、作画に戻ってリテイクをするといった具合に様々な工程を行ったり来たりしていました。私にとって作画とコンポジットは同じくらい重要なものです。コンポジットはリズムを決める作業でもあるのです。

人間は誰しも同じ色であり続けることは出来ない

※資料 『手をなくした少女』のキャラクターと線描色の対比
◯少女=ダークブルー
・悪魔の1回目のアタック後、母と抱き合う時はピンク
・涙で濡れた腕のみ白、切られた瞬間は黒
・真っ暗な洞窟の中では水色に発光
・川を渡ろうとする時は黒
・城に保護された時の夢の中はオレンジ〜赤紫
・婚礼では明るい青
・城内では紺色
・城内の食事・出産時は青緑
◯父=紫、遺体は黒
◯母=ピンクまたは赤
◯息子=うす紫または青緑
◯王子=赤茶色
◯庭師=オレンジ
◯川の神=黄緑
◯悪魔の使徒/豚・犬=黒・紺・緑
◯変身した悪魔/老人・女・少年=緑
◯少女に化けたスケートの悪魔=青
◯水・氷・涙で濡れた腕、白骨=白
◯義手=黄金
◯馬・仔牛=茶色
◯鳩=緑
(制作/筆者)

――先ほどのご発言にありましたように、この作品のコンポジット作業のうちでカラーコーディネイトは極めて重要な位置を占めていると思いました。この作品はキャラクターごとに線描の色が決まっていますね。

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