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取材先との出会いを劇的に増やすツイッターの緩やかなつながり【Journalism 8月号より】

朝日新聞報道局デジタル編集部記者 丹治吉順

 朝日新聞が発行するメディア研究誌「Journalism」8月号の特集は「ソーシャルメディアが記者を変える」です。WEBRONZAではこの中から、朝日新聞東京本社報道局デジタル編集部の丹治吉順記者による「取材先との出会いを劇的に増やすツイッターの緩やかなつながり」をご紹介します。なお、「Journalism」は、全国の書店、ASAで、注文によって販売しています。1冊700円、年間購読7700円(送料込み、朝日新聞出版03-5540-7793に直接申し込み)です。

 電子版は富士山マガジンサービス(http://www.fujisan.co.jp/magazine/1281682999)で年間購読が1200円(定価の86%オフ)でお読みいただけます。

詳しくは、朝日新聞ジャーナリスト学校のサイト(http://www.asahi.com/shimbun/jschool/)をご参照ください。

 

取材先との出会いを劇的に増やすツイッターの緩やかなつながり

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丹治吉順(たんじ・よしのぶ)

朝日新聞報道局デジタル編集部記者。1961年東京都生まれ。東京大学工学部卒。87年朝日新聞社入社。高知支局、和歌山支局、アエラ編集部、ASAHIパソコン編集部、be編集部などを経て、12年1月から現職。ツイッターアカウント @tanji_y

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 今年4月末のこと、体験談を取材させてもらいたい人がいた。その人をAさんとしよう。ツイッターでは頻繁につぶやいているが、メールアドレスはわからず、まして電話番号など知りようがない。要するにツイッターでしか連絡が取れない相手だ。

 問題は、私はAさんをフォローしているのに、Aさんが私をフォローしていなかったことだ。ツイッターの仕組みをご存じの方はここでピンとくると思う。ツイッターには、他の人に見られずに私信をやりとりできるダイレクトメッセージ(DM)というメールのような機能がある。しかしDMはフォローと逆向きにしか送れない。この例でいうと、Aさんから私宛にDMは送れるが、私からAさん宛にはDMは送れない。つまり私は、あまりおおっぴらにしたくない内容をAさん宛に送ることができない。むろん、DMをやりとりする(互いに送る)ためには相互フォローする必要がある。

ツイッターを通じて人や情報が集まってくる

 今回の取材依頼は、仮に内容が公開されても特に害はなかったが、それでもそういうやりとりは基本的に非公開でするものだ。そこで私はAさんに「DMをお送りしたいので、フォローしていただけませんか」というメンションを送った。

 メンションというのは、「@」の後ろにその人のアカウントをつけてツイッターに投稿することだ(むろん公開される)。「その人宛の投稿」という意味で、ツイッターの公式ウェブサイトにログインし、左上にある「@つながり」というボタンをクリックすると、自分に関連する動きを選択して見ることができる。「@つながり」の中でユーザーが最も頻繁に使うのが自分宛の投稿、つまりメンションをさがすことだ。

 私がAさん宛にメンションした数時間後、予想外の展開があった。Aさんの友人で、私と相互フォローの関係にあるBさんからDMが来た。

 「実は明日、Aさんを交えて会合を開くことになっています。よければそこにおいでになりませんか」

 ちなみにBさんと私は、そのときまで面識はなかった。相互フォローしているので、ツイッター上で互いの投稿を目にすることはあったが、別にそれ以上のことはない。

 結果はというと、BさんがDMで提案してくれた通り、その翌日に私はBさんの紹介でAさんと会い、その場で取材もできてしまった。今つい「紹介」と書いたが、仲介してくれたBさんとも、前述した通り私はその日が初対面だったのだ。これは「紹介」といっていいものなのだろうか?

拡大「その人宛の投稿」を意味するメンションから面会に至ることも

 ツイッターなどのソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)では、こういうことが全く珍しくない。むしろ日常的な現象だ。

 この原稿執筆中の数日間の出来事を挙げてみよう。私はウェブデザインにも興味を持っていて、ソニーのコンパクトデジタルカメラ「DSC―RX100」という新製品の特設サイト(http://www.sony.jp/cyber-shot/scan-the-compact/)の斬新な見せ方に驚き、6月28日夜にツイッターで「これはこのサイトデザイナーのオリジナルなのか、それとも元ネタがあるのか」と書いた。するとリアルで1回だけ会ったことのあるウェブデザイナーの人が「元々はナイキが使って話題になった手法のはず」と返信をくれた上、どこを調べたらいいかも教えてくれた。どうやらウェブデザインの最新流行の一つらしい。

 それだけでも収穫だと思っていたら、その2日後、当のウェブサイトをデザインした事務所の担当者から直接メンションがあった(図)。やはり独自のアイデアが盛り込まれているそうだ。DM数回のやりとりで面会が決まった。この号が出るころにはたぶん実際に会っているだろう。このように、SNSを介すると、ある時点から人とのつながりが加速度的に増加していく。

ホットラインにもなる「現代の電話」

 むろん、これらは一つひとつを取れば全く些細なことだ。そして気がつくと自分はツイッターのそういう些細な面に一番強く支えられている。年に一度くらいしか会わない取材先の最近の仕事ぶりや動静も、相手のツイッターやフェイスブックをフォローしていればおおむねわかる。従っていざ会ったときには、それまでの間の互いの活動確認など不要で、いきなり本題に入るのが普通になった。会っていない間でも、必要なことがあれば、メンションやDMが、右に書いたようにいつでもやって来る。これらはもはや生活の一部であって、それがないことは今では考えられない。

 実を言うと、「ツイッターを報道に生かす」というテーマで文章を書くとき、たいへん説明しにくい思いをするのがこの「些細さ」だ。ツイッターを報道に生かすと書くと、多くの人は、例えば記者が大事件の現場に急行してその模様をツイッターで詳報するといった派手なイメージを暗に期待するだろう。むろんそういう用途には確実に使えるし、報道機関総体としては使わないとダメだ。ところが自分はそういう華やかな使い方を全くしていない。いないけれど、ツイッターなしでは日々の取材がおぼつかない。この落差は、「電話」にたとえるとわかりやすいだろう。

 電話を報道に使うケースとして、外側から最も華やかに見えるのは事件現場からの現地リポートだ。今でも映像が送信できないような海外からの報告ではたまに目にする。だが普段の電話の使い道はもっと些細で地味だ。事件担当記者なら毎日何回も、県警本部や所轄署に発生警戒の電話をかける。取材したいテーマについて気軽に知恵を借りられる相手がいれば、とりあえず相談するためにアドレス帳から通話ボタンを押すだろう。

 自分にとってのツイッターの主な用途は後者だ。いわば広範囲に常時開放されている通信回線。そこに人は気軽に声を寄せ、こちらからも気軽に語りかける。ソーシャルメディア、中でもツイッターは今、電話と同じように日常的な道具になった。自分はフォロー相手2000人超、フォロワー1万3000人超の人々と日々緩やかに「電話」をかけ合っていて、何かあればそれが、たちまちメンションやDMを使って、「○○の件についてお話を聞きたいのですが、明日あたりご都合はいかがですか?」というホットラインに変わる。それがツイッターの最も強力な機能だと確信している。こうしたつながりは、前述のように加速度的に増すが、大して負担に感じないのはツイッターの「緩やかさ」によるのだろう。これはこのサービスの大きな美点だと思う。

「炎上」も口論も無縁の賢い利用法

 もう一つ尋ねられるのが「炎上」対策だが、実を言うと、炎上はおろか口論めいた展開になった経験すらほとんどない。もちろんこちらが返答しかねるような詰問調のメンションを送ってくる人はゼロではないが、それが多数押し寄せることは皆無といっていい。

 なぜと尋ねられてよくわからない面も多いのだが、やりとりに関して、相手の短所ではなく長所を見るよう心がけている点は挙げてもいいかもしれない。コミュニケーション全般に言えることだが、誰であれ、欠点をあげつらおうと思ったらいくらでも指摘できる。欠点のない人などいないからだ。だが一方で、長所が絶無という人もなかなかいない。そして長所に目を向けた方が、コミュニケーションはたいてい建設的に進む。ブレーンストーミングなどの場合と同様だ。ツイッターに限らず、議論を建設的に進めるコツの一つは、長所に着目することだ。

 次に挙げられるのは「無理をしない」ことだ。例えば自分以外の記者が書いた記事について問い合わせられても、たいていは知識が不十分で責任をもって答えられない。そういう場合は素直にそう書く。もちろん自分の取材蓄積や知識で十分な返答ができるなら存分にやればいいし、たとえ自社記事を否定するような内容だったとしても、それは「有り」だ。ただしその場合は最後までやり抜く覚悟を固め、展開の予想も描いておく。中途半端が一番よくない。

拡大朝日新聞の「つぶやく記者」である筆者のツイッターから

 同様に、仕事に追われているときは返事できないことも珍しくない。そういう際も素直にそう書く。これも社会人だったら皆お互い様なので、文句を言う人はまずいない。そういう緩さを許す雰囲気が出来上がっていることは、繰り返しになるがツイッターの美点だ。

 もう一つは「知らないことに謙虚であれ」ということ。これは朝日新聞の記者ツイッターガイドラインにも盛り込まれている。ツイッターでは虚勢を張って威張ることもできるが、知らないことを教えてもらうこともできる。多くの人にとって賢い利用法は後者だ。

 いずれにせよ、ツイッターに限らず、ソーシャルメディアを使う上で忘れていけないことは、その場にいるのは抽象的な名無しさんではなく、それぞれに生活の場を持ち、社会生活を営んでいる固有の人格ということだろう。日本の社会を動かしているのは、そうしたそれぞれの「現場」にいて、日々起きる課題を解決しながら回している人々だ。

 取材者はつい「長」のつく人に注目してしまうし、実際正面から取材をするとそうした立場の人が出てくるわけだが、現実的な細かいニュアンスなどは表に出てこない現場の人々の方がはるかによく知っている。そういう人たちとつながるチャンスを、ソーシャルメディアは飛躍的に伸ばしてくれている。ジャンルにも大きく左右されるが、自分が触れている範囲では、技術系や医療系、投資・経済系、文化系などの分野は、現場の最前線の人が(匿名や実名などの濃淡はあれど)多く参加している印象を持つ。人間関係のネットワークの中に、ソーシャルメディアは分かちがたく組み込まれてきている。この傾向はこの先たぶん強まる一方だろう。

ツールが進化しても最大の目的は直接会うこと

 ……と、ここまでソーシャルメディアを持ち上げた上で、ぶち壊すようなことを次に書く。例えば今から2年後、ツイッターやフェイスブックが廃れていても自分は全く驚かない。最近の技術やビジネスの動向を見れば、それは普通に予想の範囲内だ。

 例えばiPad初代機の登場は10年5月で、まだ2年少ししかたっていない。それ以前は「タブレット型のコンピューター端末は普及しない」という声が業界内で支配的だったことは、今では業界関係者以外にはうそのように聞こえるだろう。もっと劇的なのは携帯電話だ。あんなに普及していた日本製携帯端末が、これほど短期間で海外製スマートフォンに置き換えられてしまうなど、誰が予想しただろうか。

 こうした例は枚挙にいとまがない。ここではわかりやすく「物」として示せるハードウエアを例に挙げたが、ソフトウエアやウェブサービスの栄枯盛衰はもっと激しい。例えば日本型携帯端末向けに成長した「着うた」は、スマートフォンの普及で大幅に売り上げを落とした。ツイッターやフェイスブックが2年後に廃れていても驚かないと書いたのは、こうした理由だ。

拡大筆者のツイッターから

 ただしたいていの場合、変化はその前の変化を打ち消すのではなく、のみこむ形で訪れる。インターネット普及期、個人がメッセージを発信するには、HTMLを書くか支援ソフトを使って、自分でホームページを作る必要があった。それがいわゆる「ウェブ2・0」の時代になってブログが普及し、ホームページよりはるかに簡単に発信できるようになった。そしてツイッターは、発信のための負担をさらに大幅に下げた(私の知人のブロガーは「見出しをつけずに文章を投稿できるのが衝撃的だった」とツイッターの感想を述べている)。

 ホームページ→ブログ→ツイッターという流れにははっきりとした一貫性がある。発信のコストを減らし、スピードを加速することで、人々のコミュニケーションを強化してきたという点だ。ツイッターやフェイスブックを衰退させる「次の何か」が生まれるとしても、それはこの流れをさらに進めるものだろう。つまり根本にあるのは人々のコミュニケーションへの欲求であり、そのための現時点での有力な手段がソーシャルメディアと見ておくのが正しいといえる。ソーシャルメディアでの経験を積んだ個人や組織は、次の何かが出てきたときにも対応しやすいだろう。逆にいえば、ツイッターやフェイスブックが廃れた段階を想定しつつ、そうなっても生かせるように経験を積んでいくことが重要だと考えている。

 さて、インターネットのサービスはこれからもどんどん便利になっていくだろうが、人と人とのコミュニケーションでは今も、そして当分先も、直接会って話すことを超えるものは現れないだろう。これは再度確認しておきたい。

 この文章の最初の方に挙げた例でも、直接面会を重視していることがわかっていただけると思う。例えば西田宗千佳さんや本田雅一さんら、技術にくわしいITジャーナリストほど、同じ主張をしている。電話やメール同様、ソーシャルメディアは取材という意味では補助的な手段にすぎない。むしろツイッターの価値は、直接会うのにクリアしなければならない事前の障壁を劇的に下げる点にある。人と会うための手続きをツイッターほど簡略化してくれるツールはない。実は私が言いたいことは、ほとんどこれだけなのだ。

 なお、日本のメディアにとってソーシャルメディア関連でもう一つ重要な課題は、コンピューターを駆使して膨大なデータを解析し、可視化する、いわゆる「データジャーナリズム」の流れだ。昨年の例でいえば、ツイッターでの呼びかけの広がりがロンドン暴動に結びついていく様子を英ガーディアンが示したように、今後、ソーシャルメディア上のデータそのものが報道の対象になっていくのは間違いない(http://www.guardian.co.uk/uk/interactive/2011/dec/07/london-riots-twitter)。

 ツイッターはその発信コストの圧倒的な低さによって、人々の感情を知るセンサーの機能すら持つようになっている。だが日本のメディアはこうした動きに完全に乗り遅れている。このテーマは今回とはまた別のお話になるだろうが、最も注視していかなければならない分野だろう。