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秘密保全の法律がいかに濫用 されたか 現実を直視しよう(『Journalism』12月号より)

外岡秀俊(ジャーナリスト、北海道大学公共政策大学院研究員)

 衆参の過半数を与党が占める「1強」国会のもとで、「特定秘密保護法案」の審議が始まった(本論考は11月26日校了:WEBRONZA編集部注)。国民の「知る権利」や「報道の自由」への配慮を求める公明党の要請に、安倍晋三政権は一定の譲歩を見せたものの、骨格は当初案のまま、秘密保全の強化に向けて審議が進みそうだ。仮に審議未了となっても、同じ動きは将来繰り返されるだろう。

 本稿では、今回の動きを(1)戦前から戦後へと繋がる縦の歴史軸、(2)日米連携強化の深化という横の共時軸、(3)デジタル化・ネットワーク化のメガトレンドにおける情報の攻防、という三つの側面から考察し、秘密保全強化に抗するジャーナリズムの役割を再確認したいと思う。

「何が秘密か、それが秘密だ」

 戦時中の軍機保護法をめぐるえん罪事件に、「宮沢・レーン夫妻事件」がある。1941年12月8日、日米開戦の日に、北海道大学工学部の学生、宮沢弘幸は、師事してきた英語教師のアメリカ人、ハロルド、ポーリン・レーン夫妻とともに、札幌の特高警察に逮捕された。

 旅行好きの宮沢が、たまたま樺太や千島列島で見聞した情報を夫妻に語ったことが、軍機保護法にいう軍事機密の「探知」や、他人への「漏泄」に触れるとされた。

 拷問による自白の末、宮沢は懲役15年の実刑を受けて網走刑務所に送られ、敗戦直前に宮城刑務所に移監された。連合国軍総司令部(GHQ)の指令で釈放されたが、長い拘禁で結核を病み、47年に27歳で亡くなった。

 他方、懲役15年の夫ハロルド、同12年の判決を受けた妻ポーリンのレーン夫妻は、服役中の1943年9月に、日米交換船で帰米した。戦後は再び北大に招かれて教鞭をとり、札幌の墓地に眠る。

 秘密法制違反に問われた戦時中の事件で、量刑からいえば「ゾルゲ事件」(ソ連籍のドイツ人、リヒアルト・ゾルゲが1933年、ドイツの新聞記者の肩書で来日。近衛内閣のブレーンだった尾崎秀実らの協力を得て、日独両国の機密情報をソ連に流したスパイ事件)に次ぐこの出来事は、私が住む北海道以外では、まだあまり知られていない。

 戦後に裁判所などが保管する事件記録が「廃棄」され、司法省は弁護士に対しても焼却を求めた。元自由法曹団団長の上田誠吉氏が、宮沢の足跡を追いかけなければ、事件そのものが闇に葬られたことだろう。

 上田氏は『ある北大生の受難 国家秘密法の爪痕』(花伝社)を著し、札幌では今も市民の手で、事件究明の活動が続く。一緒に事件の調査にあたった藤原真由美弁護士は、同書の解説で、上田氏が口癖のように語った言葉を紹介している。「何が秘密か、それが秘密なんだ」。摘発や審理、判決そのものが秘密にされ、知られないまま消えていく危険性を、見事に射抜いた言葉だろう。

戦前の秘密保全システムの実態を振り返る

 戦前の秘密保全システムとは何か。纐纈厚(こうけつ あつし)氏の『監視社会の未来』(小学館)をもとに、ざっと振り返ってみよう。

 監視と戦争への動員態勢を目指す法整備の第一歩は、1899年、旧軍機保護法の成立だった。これは対ロシア戦に備え、平時においても軍事機密の探知・収集・漏洩を防ぐ法律だったが、何が「軍事機密」にあたるかは条文中で明らかにされず、認定は裁判所の判断に委ねられた。

 同じ時期に、軍事施設周辺での情報収集を防ぐ「要塞地帯法」や、国情探知・収集の目的で外国船が不法入港することを禁止する「船舶法」が公布された。

 その後、1904年の日露開戦に先立ち、防禦海面令や、戦時中は軍機を新聞・雑誌に掲載させない陸海軍の省令を出し、秘密保全態勢を強化した。

 さらに1908年の陸軍刑法の改正により、敵国へのスパイやその幇助、軍事上の機密を敵国に漏泄する行為を死刑に処すと規定し、機密保持を厳格化した。

 第一次世界大戦は、戦争のかたちを根底から変え、国家総力戦の態勢づくりが前面に迫り出す。たんなる軍事情報の保全だけでなく、思想的・精神的団結や、国防意識の昂揚、忠誠心の涵養といった「思想戦・情報戦」への備えが声高に唱えられるようになった。

 こうした時代背景から、軍機保護法は2・26事件が起きた翌年の1937年に全面改正された。

 「軍事上の秘密」は陸海軍大臣が命令で決めることとされ、明確な犯意をもって秘密を探知・収集する故意犯だけでなく、まったくの偶然によって秘密情報を「知得・領有」した民間人も、漏泄した場合には懲役刑にあたる、とされた。

 審議の過程では、「軍事上の秘密」の範囲があいまいで、拡大解釈を招くことや、裁判所の関与が限定的で、人権侵害のおそれがあることなどが指摘された。

 懸念は現実のものとなった。たまたま旅行や業務中に秘密を見聞きしたり、写真を撮影した人々が、近親者に話したり見せたりしただけで検挙の対象となり、一切の軍事情報からの遮断と国民の相互監視が進められていった。

 纐纈氏は、こうした軍機保護法の濫用が、内務省警保局の監視強化や、全国各地の防諜組織の再編と共に進められたことに注意を喚起している。

 1937年の日中全面戦争以降、国民精神の引き締めが本格化し、38年の国家総動員法に続いて41年には、秘密保全システムの集大成ともいえる国防保安法が成立する。これは秘密保護の対象をさらに拡大し、知得・探知・収集・漏洩・公表だけでなく、未遂・教唆未遂・扇動・予備・陰謀などにも重罰を科す内容だった。この国防保安法や軍機保護法などに問われたのがゾルゲ事件だった。

戦後の流れに風穴を開けた法改正

 敗戦とGHQによる占領下で、こうした秘密保全システムは消滅した。

 憲法9条のもとで国家間の紛争解決のために軍事力を行使することを禁じた以上、秘密保持を伴う軍事法制を整備すること自体が、野党や国民の不信を買うことになった。

 その後、自民党を中心に、改正刑法草案に「機密探知罪」を盛り込もうとしたり、76年に成立した福田赳夫政権のもとで有事法制研究を始めたりする動きがあった。さらに85年には、議員立法「国家秘密に係るスパイ行為等の防止に関する法律案」も提出されたが、戦前の軍機保護法や国防保安法への忌避感が根強く、成立にはいたらなかった。

 こうした戦後の流れに風穴を開けたのが、01年9月11日の「同時多発テロ事件」を受けて、翌月に成立したテロ対策特別措置法と、同時に行われた自衛隊法改正だ。自衛隊法第96条(部内の秩序維持に専従する者の権限)に第2項(防衛秘密)が加えられた。

 それまでにも自衛隊法では、「自衛隊の運用や計画」、「電波情報、画像情報」などを別表4に具体的に掲げ、「防衛庁秘」として秘匿対象にしていた。

 この改正によって、防衛庁長官(当時)が「特に秘匿することが必要であるもの」を「防衛秘密」に指定し、罰則規定を設けて漏洩、未遂、共謀、教唆、扇動した者を処罰できるように「格上げ」したのだった。

 今回の「特定秘密保護法案」は、(1)「防衛」のみならず、(2)外交(3)特定有害活動(スパイ活動)の防止(4)テロ活動の防止の4分野で、行政機関の長が指定した「特定秘密」を漏らした公務員らに、最長で10年の懲役を科すことになっている。

 9・11事件後の「反テロ」の風潮を追い風に登場した「防衛秘密」保全の動きを、外交など幅広い分野に拡充し、戦後の秘密保全システムを形成する重大な第一歩となるだろう。

歴史の教訓を汲み取る必要がある

 こうして戦前、戦時中との比較で新法を検討することは、しばしば「また来た道」論と揶揄されがちだ。

 戦前・戦時の暗黒の再来を持ち出し、戦後に築いた民主主義のシステムに過剰な猜疑心を抱き、直面する現代の危機にまったく対応できない時代錯誤の論法であるという批判だ。

 もちろん、時代背景も環境も異なるなかで、立法の類似性だけをあげて警鐘を鳴らすのでは説得力に欠けるだろう。

 だがそれを前提にして、なおも、歴史の教訓を汲み取る必要性がある、と私は思う。

 その教訓とは、立法そのものの様式ではなく、法律の適用の過程で、いかに当初の立法当局の説明や意図すらをも超えて、秘密保全の法律がなし崩しに濫用され、歯止めを失っていったのか、というこの国の現実である。

 軍機保護法の改正にあたっても、政府は「現行法では軍の機密が何かわからないので、それを明確化して国民が法を犯さないようにする」と立法意図を説明し、秘密の範囲は「できるだけ限定する」と約束し、議会は「故意犯・確信犯のみに適用する」という付帯決議をつけて法の濫用に歯止めをかけようとした。

 だが、実際はそのすべてが無視された。

暴走回避の手立てをシステムに組み込め

 そのなし崩しの拡大解釈や濫用の歴史は、もう一つの言論取り締まりの柱である治安維持法の軌跡にぴったりと重なる。

 日本共産党や、無政府主義の結社活動の禁止を目標とした治安維持法は、その後、取り締まりの成果を競うように「外郭団体」や研究会、読書会などの小グループ活動、「類似宗教」や自由思想の取り締まりにまで拡大して言論弾圧に猛威をふるった(『治安維持法小史』、奥平康弘著、筑摩書房)。

 戦後になって、そのシステムはGHQによって解体されたが、執行者である警察特高、思想検察、法曹関係者による自己検証や責任追及が、十分に行われたとはとてもいえない。またマスコミも、その装置の一環に組み込まれた過去を検証したとはいいがたい。

 そもそも、公務員の一般的な守秘義務や「防衛秘密」保護、「日米相互防衛援助協定(MDA)等に伴う秘密保護法」の仕組みがありながら、なぜこの時期に広範な秘密保全システムを構築して罰則を強化する必要性があるのか、政府はそれを明らかにすべきだろう。

 その説明を十全に尽くしたとしても、法案審議においては歴史の教訓がいかされねばならない。

 教訓とは、戦前・戦時において、なし崩しの言論統制の強化がいかに行われたのかを知り、逸脱にいかに歯止めをかけるのか、最低限でも暴走回避の手立てをシステムに組み込むことだ。

実効性が期待できない「歯止め」策

 報道された特定秘密保護法案の内容を見ても、歯止めには実効性が期待できない。秘密指定の権限は行政機関の長に委ねられ、第三者が指定の正当性を判断したり、事後に責任を追及する制度的な保証がない。

 例えばオスプレイの訓練計画や、原子力潜水艦の寄港情報、原発情報などが「特定秘密」に指定されないという保証はどこにあるのだろうか。

 一定期間を経て失効し、見直しをする機会がないことも大きな不安材料だ。

 報道の自由や「知る権利」を侵害しない、という担保も薄弱だ。

 さらに情報開示という点でも、政府が秘密の「聖域」を広げる可能性がある。

紙面1 朝日新聞2013年10月8日付朝刊拡大紙面1 朝日新聞2013年10月8日付朝刊

 報道によれば、11年までの5年間に、「防衛秘密」約5万5千件のうち、約3万4千件が廃棄され、秘密が解除されたのは1件だった(紙面1、10月8日付朝日新聞朝刊)。公文書管理法で、政府の公文書は最長30年が保存期間とされるが、「防衛秘密」は対象外とされる。法案では30年を超える秘密指定に内閣の承認を必要とする文言を盛り込んだが、承認があれば長期間公開されないことになる。情報公開法を改正して裁判所の関与を義務づけたり、不開示の範囲を限定したりするなどの歯止めが欠かせない。

 今回の法案が、「国家安全保障会議(日本版NSC)」設置法案とセットで提出されたことは、法案の性格を象徴している。これまでの「安全保障会議」を格上げしてNSCを創設し、外交・安保における官邸の主導権を強める。その根幹となる米国から情報の提供を受け、政府内で共有するには、厳格な情報保全システムを築く必要があるのだという。

今回の法案の前提にあるもの

 つまり今回の法案の前提にあるのは、情報における日米の連携強化である。

 米国の国家安全保障会議は47年に創設された。NSCは、外交・安保政策の調整を図る最高意思決定機関で、米中央情報局(CIA)はそのNSCに情報を提供する機関として同時に設けられた。CIAは政府や米軍にまたがる情報コミュニティーの一員であり、その統率機関だった。戦時中の日本からの奇襲攻撃を教訓に、情報を事前に察知し、外交・安保政策を強化する仕組みとして生まれたのがNSC・CIAだった。

 冷戦期に米国は多くの西側諸国と同盟を結んだが、通信傍受や情報共有については序列があった。いわゆる「特別な関係」にある米英は48年、情報に関する秘密合意を結び、その後に英連邦に属するカナダ、オーストラリア、ニュージーランドが加わった。

 この五カ国は情報収集、とりわけ通信情報の傍受で協力関係にあり、NATOの他の同盟国や日本とは異なるコミュニティーを形成し、さまざまな情報を収集する「エシュロン」を構築してきたといわれる。

 米国は、日本など他の同盟国に対しては、国内漏洩などを懸念して、選別した情報しか流さなかった。その回路も、大使館―官邸、米中央情報局―内閣情報調査室、米国防総省―防衛省など個別のケースで異なる。最も情報共有が進んでいたのは国防総省―防衛省で、その理由の一つが、防衛省、自衛隊の秘密保全が厳しいということだとされた。

憲法解釈変更路線と軌を一にする動き

 「日本版NSC」を創設すれば、各省庁の公務員が、機微に触れる米国情報を共有することになる。そこで軍事を中心とする情報保全を厳しくし、出席者には保秘に問題がないかどうか適格性の審査(セキュリティー・クリアランス)を施し、漏洩について厳罰で臨む。それが今回の法案提出の直接の背景だと説明されている。

 だがそうであれば、「MDA秘密保護法」のように、日本版NSC出席者に対し、提供された米国情報の秘密保全に限定した罰則を付せば、目的は達せられるだろう。それをなぜ、広範な「秘密」を保全する一般法として通す必要があるのか、政府は答える責任がある。

 この動きは、「集団的自衛権の行使容認」という安倍政権の憲法解釈変更路線と軌を一にしている。

 「公海での米艦防護」や「米国に向かう弾道ミサイルの迎撃」などを認めて日米同盟を深化させ、この機会に日米の情報共有も強めようという狙いだろう。

 だがそうだとすれば、この一連の法案は、国家のかたちを変えるほどのインパクトを将来にもたらす。

 これほどの基本指針の転換にあたっては、「報道の自由」や「知る権利」といった視点だけでなく、外交・安全保障の本格審議や、憲法論争を欠かすことができない。日米の軍事・外交政策の一体化という選択が賢明であるのかどうか、そこを審議の最優先事項にするべきだろう。

 安倍政権は、内外に議論の多い憲法改正を正面から議論することを避け、組織(日本版NSC)や、秘密保全システム(特定秘密保護法案)といった制度上の変更に手をつけて外堀を埋め、解釈改憲という迂回路をたどって実質改憲を目指す路線をとっているのかもしれない。

 そうであればジャーナリズムの役割は、議論を本来の道筋に戻し、その是非を正面から問うことではないだろうか。

デジタル化などをどうとらえるか

 三つ目の論点は、90年代後半から急速に進んだデジタル化、ネットワーク化というメガトレンドを、どうとらえるか、という問題だろう。

 9・11事件によって、情報をめぐる環境は激変した。米国は国内とグローバルな監視網を強化し、「対テロ戦争」の主戦場をサイバー空間に移しつつある。

 その移行を加速させているのが、デジタル化、ネットワーク化という情報技術革命だ。しかも同じ技術を使って、ウィキリークス(以下、WL)などが大量の秘密情報をサイバー空間に暴露する動きを見せ、情報の保全という問題に新たな問題を突きつけた。

 情報技術革命によって、現代の秘密保全システムは、必然的に監視強化を伴うことになるだろう。事後に漏洩源を特定するだけでなく、「秘密」がつねに安全に秘匿されているかを、事前に刻々とチェックする必要があるからだ。

 監視社会を分析しているカナダの社会学者デイビッド・ライアン氏は著書『9・11以後の監視』(田島泰彦監修、清水知子訳、明石書店)のなかで、9・11以後の社会では、(1)バイオメトリクス(生体認証)、(2)ICチップ内蔵のIDカード、(3)顔認識ソフトで強化された監視テレビ、(4)電話やインターネットの監視を含む通信傍受、といった技術が急速に進み、しかも異なるシステムが統合されつつあることを明らかにした。

 ライアン氏の分析をもとにデジタル化、ネットワーク化時代の情報の特色をあげれば、以下のようになるだろう。

 第一は、携帯電話による音声の傍受、位置情報の特定、ネットの検索やクリックの挙動など、大量のデータを収集・蓄積することが技術的に可能になった。

 第二には、フィルタリングや検索技術の進化で、過去に蓄積したデータ群から特定個人を絞り込み、個人や組織の言動を追うことができるようになった。

 第三にはプロファイリング機能の向上で、テロや犯罪に走る蓋然性の高い人物を割り出せるようになった。

 もちろん、こうした技術の進化には裏面もある。膨大なデータを分析するには人も予算もかかり、9・11事件のように、事前に情報はあったのに、事後に分析してはじめてわかるといった「情報の埋没」が起きる。

 第二の個人絞り込みは、一般人のプライバシー侵害と裏腹だし、プロファイリングも、人種や宗教による特定グループの差別を助長する危うい側面をもっている。

技術的な変化から社会意識の変化へ

 こうした技術的な変化は、社会意識にも大きな変化をもたらしつつある。

 第一は、「諜報/防諜」の垣根の劣化ないしは消失である。

 米国では伝統的に、CIAが対外諜報、FBI(米連邦捜査局)が防諜を担ってきた。英国のMI6、MI5と似たような役割分担だ。

 アメリカ人はおおむね、国家の安全保障のために、CIAによる海外での違法な諜報・工作活動には寛容だが、CIAによる国内のアメリカ人に対する監視には厳格な障壁を設けてきた。

 だが、テロリストが国内に潜入し、アメリカの資源(飛行訓練学校など)や制度的な仕組み(留学生や移民に開かれたシステム)を利用して本土攻撃を仕掛けた9・11事件以降、その明確な区分はあいまいになった。

 第二の変化は、「国家/民間」の垣根の劣化ないしは消滅である。特定の個人の言動をデータベースから抽出し、監視する技術は、特定個人に嗜好性の高い商品を薦める広告技術として、すでに商用化されていた。9・11事件以後に表れたのは、「隠すことがなければ、恐れることは何もない」という監視体制への許容であり、民間の蓄積データが、国家の蓄積データと統合され、比較されることへの警戒心の緩みだった。

 第三の変化は、こうした政府の諜報・監視活動に対し、WLなどが仲介するネット上の内部告発が相次いだことだ。

 WLによる米国務省の大量の公電暴露は大きな波紋を広げたが、今年6月には、CIAの元職員エドワード・スノーデン氏が、米政府の情報監視を暴露し、国際社会に激震が走った。

 スノーデン氏は、米政府が極秘の「PRISM」というプログラムを使って、1日に数百万件の個人の通話記録や電子メール、動画、検索サイトなどの個人情報を集めていたことを明らかにした。PRISMのプログラムには、マイクロソフトなどIT大手9社が任意で協力してきたという。

オバマ大統領の弁明は通用しない

 同時多発テロ事件以後、ブッシュ政権は裁判所の令状なしに米国人の通話やメールを傍受して大きな議論を呼び、08年には外国人テロ容疑者について令状なしの傍受を認める法律改正が行われた。

 今回の暴露についてオバマ大統領は、「国外居住の外国人が対象」と弁明したが、それを鵜呑みにする人は少ない。わずか一カ月前には、米司法省がAP通信記者の通話記録を入手していたことが発覚したばかりだったからだ。

 こうした官民あげての監視活動の強化と、それに対する内部告発の激化は、米国にとどまらない。

 日本でも10年10月、ファイル交換ソフト「ウィニー」を通して、イスラム過激派捜査を担当する警視庁公安部外事3課などの内部ファイルがネット上に流出した(警視庁は今年10月、立件を断念)。

 また10年11月には、海上保安官が巡視艇の共用パソコンに保存されていた尖閣諸島沖の中国漁船衝突映像を、USBメモリーに取り込み、ネットカフェから動画サイトに投稿する事件が起きた(保安官は国家公務員法の守秘義務違反で書類送検されたが、東京地検は不起訴処分とした)。

監視強化と内部告発の攻防

 こうした監視強化と内部告発の攻防は、情報技術革命という同じメガトレンドの楯の両面といえる。

 かつては機密として特定の場所に囲い込み、少数だけが共用していた文書や映像は、今やデジタル化、ネットワーク化によって多数の人間がアクセス可能なデータとなり、内部告発者の一瞬の複写やネット公開で、永続的に衆目にさらされる。尖閣諸島の動画公開が、今回の「特定秘密保護法案」整備を促すきっかけになったというのも、そうした時代の流れを象徴している。

 WL報道をめぐって、かつて私は、「表現の自由―責任」「透明性―信頼性」「説明責任―秘密性」という三つの対立軸を提起したことがある(「新聞研究」11年4月号特集「ウィキリークスをどう見るか」所収「鉄則を堅持し、新メディアに向き合う」)。

 WLは「表現の自由」を主張し、「透明性」を確保することが公益にかなうという。これに対し米政府は、「表現にも責任が伴う」として、公電暴露は他国との「信頼性」という国益を損なうと非難し、外交には「秘密性」が欠かせないと主張した。

 WL側の論理は、「秘密を暴露すれば、組織の透明性が確保され、公益性にかなう」というものだ。そこでは「信頼性」や「説明責任」には注意を払わない。

 他方、政府側は、「秘密を暴露すれば信頼性を損ない、国益に重大な打撃を与える」という。つまり、「信頼性」を理由に「秘密性」を擁護し、「透明性」や「説明責任」についての言及はない。

 私は概略、次のように書いた。

 「ジャーナリズムの役割とは何か。それは、第三の『説明責任』と『秘密性』の対立軸に沿って、『公益』に資する報道を行うことである。この場合、ネット上、公共空間上の『責任』を自覚することはもとより、政府の『信頼性』についても一定の考慮を払うことが必要だろう」

 「政府は軍事・外交上、個別の事項を国民に秘密にし、自国民に有利な交渉を進めることがある。しかし、政府にある限度の『秘密』は認めながらも、その理由が失われた場合には、公開することが『公益』であり、民主主義の根幹をなす、という考え方である。もちろん、元々理由がない場合には、直ちに公開しなくてはならない」

ジャーナリズムの指針とは何か

 行政情報はもともと国民のものであり、「原則公開」とすべきだ。

 それが情報公開の理念であり、ジャーナリズムの指針だろうと思う。

 上田氏の言葉をもじっていえば、こうなるだろう。

 「何が秘密か。それを明らかにするのが、ジャーナリズムではないか」と。

     ◇

外岡秀俊(そとおか・ひでとし)

ジャーナリスト、北海道大学公共政策大学院研究員。
1953年生まれ。東京大学法学部卒。朝日新聞入社後は学芸部、社会部、ニューヨーク特派員、ヨーロッパ総局長などを経て、2006年から2年間、東京本社編集局長を務めた。11年、早期退職。著訳書に『地震と社会 上・下』(みすず書房)、『情報のさばき方―新聞記者の実戦ヒント』『震災と原発 国家の過ち』(いずれも朝日新書)、『3・11 複合被災』(岩波新書)、ジョン・W・ダワー著『忘却のしかた、記憶のしかた―日本・アメリカ・戦争―』(岩波書店)など。

 

本論考は、朝日新聞の専門誌『Journalism』12月号(11月26日校了)より収録しました。同号の特集は、「国による情報統制が復活しようとしている 国家・報道・自由」。