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自らのリスクとコストを負担できない原子力産業

日本で存続してよいのか

大島堅一 立命館大学国際関係学部教授

1 はじめに

 東京電力福島第一原子力発電所事故をきっかけに、日本のエネルギー利用は転換点にある。

福島第一原発3号機への放水作業拡大福島第一原発3号機への放水作業

 なにより、福島原発事故により、原発には過酷事故が発生する現実的危険性があるということが一般市民にも認識されるようになったことが最も重要な変化である。と同時に、安定をもたらすとされてきた日本の電力供給体制には、原発事故をもたらす根本的欠陥があるのだということも認識されるようになった。

 これによって、再生可能エネルギーに注目が集まるようになり、固定価格買い取り制が導入され、日本社会は、再生可能エネルギーを中心としたエネルギーシステムへと転換する第一歩を踏み出した。他方で、第2次世界大戦後、長きにわたって継続してきた地域独占の電力供給体制が解体されようとしている。

 だが、問題は、福島原発事故後、政治的には民主党政権から自公政権へと政権交代が起こり、その結果、原子力が復権し、再エネ普及、電力システム改革と並んで、原子力もまたこれまで通りに開発するという方向にあることである。本稿では、福島原発事故後の原子力を巡る政策の動きについて振り返ってみることにしよう。

2 民主党政権下におけるエネルギー政策の動き

 エネルギー政策における原子力の位置づけの見直しは、民主党政権下で進められた。これはたまたま民主党政権のときに原発事故が起きたからである。もともと、民主党のエネルギー政策は自公政権のそれと違いがなかった。実際、民主党政権時代の2010年に策定された「エネルギー基本計画」では、原子力に関して次のように書かれている。

 「原子力は供給安定性と経済性に優れた準国産エネルギーであり、また、発電過程においてCO2を排出しない低炭素電源である。このため、供給安定性、環境適合性、経済効率性の3Eを同時に満たす中長期的な基幹エネルギーとして、安全の確保を大前提に、国民の理解・信頼を得つつ、需要動向を踏まえた新増設の推進・設備利用率の向上などにより、原子力発電を積極的に推進する。(中略)核燃料サイクルは、(中略)着実に推進する」

 「まず、2020年までに、9基の原子力発電所の新増設を行う(中略)。さらに、2030年までに、少なくとも14基以上の原子力発電所の新増設を行う」

 これにみられるように、2011年3月11日の数カ月前の段階で、原子力は、供給安定性、経済性、低炭素の準国産エネルギーだと民主党政権は述べ、10年間で9基もの原発を新増設すると言っていた。このようなことは計画策定当初から実現不可能な荒唐無稽のものだった。

政府からの情報を無批判に流したメディア

 原子力に関する記述は詐欺的なものだったが、メディアもこれに正面から異議を挟むようなことはしなかった。新聞各社をはじめとするメディアは、政府から与えられる情報をそのまま無批判に右から左に流すばかりで、原子力に関して立ち止まって考えることは一部の例外を除いてほとんどなかった。ごくまれに行われる批判的な報道であっても、あくまで免罪符的なものであって、基調は「Yes」ないし「Yes, but」だった。

 このような状況では、民主党政権が、自民党政権のエネルギー政策をそのまま引き継ぎ、開発一辺倒になっていたのも無理もない。このことが最終的に福島原発事故を引き起こした原因である。エネルギーや原子力に対する報道のあり方にも問題があったと言えるだろう。

3 民主党政権下での原子力政策の見直し

 2010年10月にはベトナムで原発輸出のトップセールスまで行っていた菅首相であったが、福島原発事故後、民主党政権の原子力に関する方針は大きく転換していった。11年5月には浜岡原発を停止するよう中部電力に要請し、同年7月には「原発に依存しない社会を目指すべき」であると菅首相自らが主張した。これを裏付ける政策的根拠はなかったが、直前には、関係閣僚からなる「エネルギー・環境会議」が設置され、原子力やエネルギー政策をめぐる論点・課題に関して徹底的な見直しが進められていった。

見直しの権限を経産省から取り上げる

 政府内部で検討された論点・課題は、原子力安全行政、エネルギー政策における原子力の位置づけ、原子力委員会、原発の経済性、核燃料サイクル、電力需給、電力システム、再生可能エネルギー普及政策、電気料金の原価の見直し、東京電力の経営財務の調査など、非常に多岐にわたる。検討期間は12年暮れに民主党政権が崩壊するまでの1年半しかなかったが、この時期ほど集中的にエネルギー政策の中身について検討が行われたことはない。しかも、この時期は、原子力開発に反対ないし慎重な意見をもつ人々も直接議論に加わった。歴史上まれにみる時期であったと言える。

 こうした検討を行い得た大きな理由の一つに、エネルギー政策の見直しに関わる権限を経済産業省から事実上取り上げ、エネルギー・環境会議が最終判断するようにしたことがあるように思われる。これによって、政府の各種委員会・審議会のあり方が大きく変わった。従来、政府の審議会は、関係者同士の利害調整の場にすぎなかったが、この時期についてのみ、反対ないし慎重な意見を持つ人々も含めた実質的な議論の場となった。その結果、官僚の描いた筋書き通りに事が進まなくなった。本来、官庁が自らの管轄する政策の大転換を行うことは不可能であるのだろう。この点は、今後エネルギー政策を見直す際の重要な教訓である。

4 民主党政権下の革新的エネルギー・環境戦略

 民主党政権下で進められたエネルギー行政の見直しの結果、原子力規制委員会、原子力規制庁を中心とする新しい原子力安全行政が誕生した。加えて、発送電分離、電力自由化を含む電力システム改革、再生可能エネルギーの固定価格買い取り制が法制度化された。また、原発のコストには相当程度の社会的費用が含まれること、核燃料サイクルには使用済み核燃料の直接処分を含むオプションがあり得ることなど、これまでタブー視されていた諸点が次々に明らかになっていった。

 エネルギー政策に関する諸論点の検討の集大成とも言えるのが、12年9月にエネルギー・環境会議で決定された「革新的エネルギー・環境戦略」である。同戦略の目玉は、原子力を今後どのようにしていくのか、という点にあった。この点については、「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」と書かれていた。

 この方針には二つの意味がある。

 一つは、原発ゼロという文言が、はじめて政府の政策文書の中で語られたことである。これは非常に画期的である。1955年に制定された原子力基本法第1条には、「原子力の研究、開発及び利用(以下「原子力利用」という。)を推進することによつて、将来におけるエネルギー資源を確保し、学術の進歩と産業の振興とを図り、もつて人類社会の福祉と国民生活の水準向上とに寄与する」と規定されている。

 つまり、国家にとって原子力開発は疑いようのない大前提だったのだが、これを全く別の方向に持っていこうとしたのである。原子力政策は、もともとアクセルしか付いていないクルマのようなものだったが、 ・・・続きを読む
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筆者

大島堅一

大島堅一(おおしま・けんいち) 立命館大学国際関係学部教授

1967年生まれ。一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得。経済学博士。環境経済学専攻。環境経済・政策学会常務理事、日本環境会議事務局長、原子力市民委員会座長代理。著書に、『原発のコスト』(岩波書店)、『原発はやっぱり割に合わない』(東洋経済新報社)など。