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保守とリベラルの不毛な批判合戦

不必要な警戒を生み出すリスクに目を向けよ

渡部恒雄 東京財団上席研究員

戦後70年談話について、民主党の辻元清美氏の質問に答える安倍晋三首相=2月4日、国会内で拡大戦後70年談話について、民主党の辻元清美氏の質問に答える安倍晋三首相=2月4日、国会内で
 新しい安全保障法案が5月に国会提出され、審議が続いている。これまで自民党と公明党の与党協議で法案が合意するまでのメディアの報道や議論をみてきて、気になる点がある。それはあいかわらず、保守とリベラルの双方で思い込み、あるいは理解不足による極端な立場からの意見が、メディアの中でも大きな声を持ち、議論がかみ合っていないことだ。

 典型的な例でいえば、集団的自衛権の一部行使を含む新しい安全保障は、日本を戦争する国家に変え、米国の主導する戦争に巻き込まれていく、というリベラルからの不安と批判。そして、それに対して、保守からの見方は、中国の台頭による脅威に対処するために、特に尖閣諸島を代表とする日本の領土を守るために、集団的自衛権を行使しなければ、米国から見捨てられ、同盟関係を維持できない。安全保障法制の改正をしなければ、日米同盟は終焉を迎え、日本の安全保障は危機的な状況に陥るという不安と懸念だ。

 どちらの立場も日本人が安全保障について抱えている懸念と不安であり、どちらの気持ちも偽りはなく実感を伴ったものとはいえよう。実はこのような同盟における巻き込まれの恐怖と、見捨てられの恐怖というのは、何も現在の日本に限られた話ではなく、過去の人類の同盟関係の歴史において常に観察される典型的な二つの相反する立場であり、安全保障学でも理論化されている普遍的なものだ。

 そこで日本人に求められる態度は、「巻き込まれ」と「見捨てられ」の両方の可能性を、現在および将来の日本の安全保障環境から冷静に議論し、日本にはどのような選択肢があり、どれを選択することが、日本および周辺地域の安全に寄与するのかを真摯に議論することである。しかしながら、これまでのところ、メディアでの報道や意見には、二つの相反する概念を冷静に分析して答えを探す、というよりは、これまでの個人あるいは組織の政治的なポジションから、政策的立場を固定し、それに合わせて日本をとりまく現状や将来の予測を都合よく解釈して議論を展開する態度が、リベラルにも保守にもみられる。

集団的自衛権の行使をめぐる不毛な二項対立

 集団的自衛権行使という一点で比較すれば、東京新聞、朝日新聞、毎日新聞は、行使反対であり、産経新聞、読売新聞、日経新聞は、行使容認という色分けが明確になされている。そもそも、これから集団的自衛権を容認するという閣議決定により、具体的な法案を考えていくというのに、その前にそれぞれの新聞の立場が強固に決まっているということ自体が、思考の幅を狭めており建設的ではない。

 その結果、議論を重ねる中で相手を説得し、また相手から説得され、あるいは異なる意見のぶつかり合いから、別の解決策を見出すというような建設的なプロセスが欠如している。ということは、そもそも相反する立場の意見を真摯に聞き、自らの立場を吟味しながら、よりよい選択肢を模索していくという民主主義のあるべき姿を否定することにつながる重大な問題であることに、考えが及んでいないのではないだろうか。

 その点でまず気になるのは、集団的自衛権行使反対の論調を取る新聞の、憲法あるいは憲法の解釈を守ることこそが、民主主義を守ることだというような、独善的な姿勢である。そして、保守側はそのようなリベラル側の独善的な姿勢を批判することに終始し、みずからが支持する政策の妥当性について、プラスの部分だけを提示し、それによるマイナスの部分を客観的に分析して提示していないのも問題だ。

 具体的にいえば、日米同盟強化による巻き込まれの可能性の検討、および日本の安全保障政策の強化策が周辺国を刺激して結果的に軍拡競争を引き起こし、「安全保障のジレンマ」に陥る可能性についての検討の欠如である。

 安全保障のジレンマとは、次のような状況を指す。防衛力の増強や同盟の締結や強化などを通じて自国の安全を高めようと意図した国家の行動が、敵対する国家の目には自国への攻撃能力の増強だと映ることがある。これによって軍事力増強などの措置を促し、実際には双方とも衝突を欲していないにもかかわらず、結果的に衝突につながるような緊張を生み出す。

 そもそも憲法にせよ法律にせよ、人間の作ったものであり、完全無欠なものは在り得ないというのが人類の常識であろう。それが現状にあわなければ、それを不断に見直して変えていくことができなければ、国家としても文明としても生き残ることはできないはずだ。

 リベラル派が喧伝している「民主主義の危機的状況」というのは、あくまでも憲法解釈、改憲あるいは法改正の手続きが、民主的なプロセスを経ないで行われようとしている場合である。少なくとも2014年7月の安倍晋三政権における憲法9条の解釈変更の閣議決定は、選挙の洗礼を受けた議院内閣により行われたものであり、その点での正統性はある。

 ただし、それだけでは国内的にも国際的にも不十分であるので、だからこそ、憲法解釈を反映した関係法が国会により審議され、新しい法制のもとに日本が行動するのである。ここには明確に民主的手続きがある。かつてのナチス・ドイツのように民主的な手続きにより、その後の民主主義を否定しているわけでもない。

 そもそも今回の安倍政権の解釈の変更は第9条の条文を変えたわけではない。そして憲法9条の条文に集団的自衛権は行使できないという文言はない。現在の「集団的自衛権は国際法上、保持はしているが行使しない」という政府解釈は、憲法が成立した頃には存在せず、1970年頃からの政府解釈である。

 もし、今回の解釈変更のプロセスが問題であるということであれば、 ・・・続きを読む
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筆者

渡部恒雄

渡部恒雄(わたなべ・つねお) 東京財団上席研究員

東北大学歯学部卒。1995年ニュースクール大学(NY)で政治学修士課程修了。同年、ワシントンの戦略国際問題研究所(CSIS)に入所。日本の政治・外交、日米関係等を分析し、2003年に上級研究員。05年帰国。三井物産戦略研究所主任研究員を経て09年より現職。著書に『「今のアメリカ」がわかる本・最新版』(三笠書房)など。