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公の歴史から消された過去を眺めると

もう一つの現代史が立ち上がってくる

田原牧 東京新聞(中日新聞東京本社)特別報道部デスク

 「歴史とは、ある意味でいえば、死者の声であって、われわれの歴史が豊富になっているのは、どういう死者がどれほどたくさんいたかにすぎないのです」

 作家で思想家の埴谷雄高は、月刊『世界』1972年6月号に掲載された大江健三郎との対談(「革命と死と文学」)で、このように語っている。

 敗戦から70年の今年、戦後を脱却したいと声高に訴える首相とその同調者たちの「右からの革命」運動により、戦後のみならず、あらためて日本の現代史をどう総括するかに関心が集まっている。

 むろん、その内容は総括者の個人的な歩みや立場によって左右されるのだが、少なくとも先の埴谷の言葉に倣(なら)うとすれば、私たちは自分たちの思考にある種の死者たちの姿を蘇(よみがえ)らせねばならない。

言説と事実の隔たりに自覚的であり続けよ

 いうまでもなく、歴史の言説は歴史的事実とは異なり、常につくられる。それは「東京裁判史観の見直し」に奔走する右派のみならず、民衆が犠牲者であることを前提とする左派の多数派にも通じることだろう。そうした中で、私が留意するのは、そうした言説と事実の隔たりに自覚的であり続けることだけだ。

 ただ、自覚するという所作もそうたやすくはない。権威づけられた歴史は、そこから外された記憶、つまりは陰の歴史を消していく。言い換えれば、表である日常の堆積(たいせき)によって、ある種の死者たちはその存在感を薄められ、彼らによって成り立つ常識もまた変質していく。

 とりわけ、権威づける政治権力の対極にいた抵抗者、不服従者の存在は意識的につなぎ留めておかない限り、歴史から抹消されていく。脳裏に刻んでおかねばならないのは抵抗者たちの墓標である。

 嫌な時代になったもので、昨今ではそうした墓標を公然と示しておく作業にすら、ある程度の気合が求められる。

 人気アイドルグループAKB48の「総選挙」の直前、識者たちのコメントを集めた新聞記事を読んだ。どうして、このイベントに注目するのかを自分の専門と絡めて語っているのだが、その記事を読んでいた知人の古参ヲタ(初期からのファン)が「こういう連中のポジショントークくらい、汚らしいものはない」と吐き捨てた。

 この知人も五十がらみで、社会的な体面もある。女性アイドルのファンだと公言すれば、それなりの風当たりがあるらしい。だが、本当のファンなら世間の顔色をうかがうようなマネをせず、潔く「好きなものは好きと言え」という。

 こうした矜持(きょうじ)はAKBのみならず、いまは亡き抵抗者たちを語る場合にも通じる。この種の死者たちは往々にして権力のみならず、「良識派市民」からも忌避される。ポジションという表づらが重んじられる時代ならなおさらだ。しかし、世の中には表もあれば裏もある。

 歴史の裏側を疾走した死者にまつわる10本の「記録」を挙げておきたい。

荒畑寒村の肉声に触れずしみじみと悔やまれる

 五十肩を患うようになって以来、人生の先輩と会える機会ができると、少々は無理をしてでも時間をつくるようにしている。ここ数年、そうした機会を逸し、永遠の別れになるという痛恨事をいくつか体験した。

 最初に挙げる『寒村自伝』の筆者、荒畑寒村が亡くなったのは81年。当時、自分は大学生だった。

 こんな記述がある。「トロツキーは写真だとひどくおっかないような顔に見えるが、実物はなかなか優しい」「ジノヴィエフは私に向かって、大会で一場の挨拶(あいさつ)を述べろという」。語られている現場は23年4月、モスクワでのロシア共産党第12回大会の会場だ。

 寒村はこの年、下関から上海に渡り、満州とシベリア経由でモスクワに密航。この大会で演説している。とうの昔に本棚に仕舞い込まれたものと信じ込んでいた革命直後のロシア。その現場を目撃していた人物が、私の学生時代にはまだ生きていたのだ。いまとなれば、どうして一声、その肉声に触れようとしなかったのか、しみじみと悔やまれる。

 昨今、世相にきな臭さが増すにつれ、「戦前への回帰」が語られがちだが、語る側も明治末期から大正、昭和初期にかけての抵抗者たちの営みについては総じて明るくない。この自伝は、そうした営みの案内役を果たしてくれる。

 文章からは、寒村の先輩格である堺利彦や幸徳秋水たちの息遣いまでが伝わってくる。平民新聞の記者を務めていたころの回想には、自社の新聞や書籍を積んだ「赤い箱車」を引きつつ、地方を行脚する「社会主義伝道行商」なる教宣活動のくだりがある。当時の「主義者たち」の愚直さに思わず平伏したくなる。

 寒村は共産党や社会党の黎明期(れいめいき)にも携わっている。彼が

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