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矛盾に満ち効果に乏しいアベノミクス

それでも、なぜ国民は支持するのか?

井手英策 慶応大学教授

 昨秋、自民党総裁に再選された安倍晋三首相が掲げたアベノミクスの「新3本の矢」、そして「1億総活躍社会」に向けた緊急対策が発表されたとき、その内容の広範さに驚いた人も多かったのではないだろうか。一目でわかるように、まさに大盤振る舞いだったからだ。

あらゆる政策の動員は単なるパッチワーク?

 まずは簡単に内容を確認しておこう。

 新3本の矢では、(1)GDP(国内総生産)を600兆円にする、(2)出生率を1・8程度に回復させる、(3)介護離職をゼロにする―という3つの大きな柱が据えられた。

 緊急対策はこの3つに対応し、(1)最低賃金の3%引き上げ、法人税率の20%台への税率引き下げなど、(2)保育施設の拡充目標の積み増し(40万人分から50万人分へ)、ひとり親家庭を支援する児童扶養手当の機能充実など、(3)介護の施設・住宅サービスの拡充目標の引き上げ(38万人分から50万人分以上へ)、介護休業給付金の引き上げ(賃金の40%から67%へ)、休業期間の分割取得など―と、それぞれ目玉と呼ばれそうな施策・事業がズラリと並べられている。

 あちこちで指摘されているように、この大盤振る舞いは、おそらくこの夏の参院選をにらんだ選挙対策からくるものだろう。明確な財源の手当てもないうえ内容も総花的で、どのように政策を実現していくのかについて、具体的な見通しはまったく示されていない。

 だが、この提案に驚く人はあまりいないのではないだろうか。すでに、みなが薄々気づいているように、アベノミクスの本質は政策の「総動員」にあるからだ。

 まず、「第一ステージ」では、一方で異次元の金融緩和と機動的な財政出動を組み合わせる大胆なケインズ政策を実施。返す刀で、ケインズ経済学の批判の急先鋒であったサプライサイド経済学の発想を大胆に取り入れ、規制緩和にもとづく成長戦略を訴えた。そして、今回の「第二ステージ」では、育児・保育や養老・介護のサービス拡充を宣言してリベラルが主張してきた施策を先取りしつつ、実態としては保守派の伝統に親和的な施策、すなわち福祉、保育施設の整備(=公共投資)を進めようとする。効果の限界が見えてきた金融緩和から財政出動へと巧みに軸足をずらしながら、総花的な経済政策を実施しようとしている点にこそ、新3本の矢の特徴はある。

 公平に論じるならば、景気を上向かせるためにあらゆる政策を総動員することは、ひとつのやり方ではある。だが政策の効果が現れないからといって、パッチワーク的、対症療法的に次々と施策を施しているのだとすれば、単に失敗を糊塗しているにすぎない。体系性の欠如は別の副作用をもたらすかもしれないし、空前の規模に達している政府債務との関係も気になるところである。

 以下では、アベノミクスの実態を整理したあと、なぜアベノミクスが人びとの支持を受けるのか、そのどこに問題があるのかについて考えてみたい。

続々開花とはいかない「旧3本の矢」の成果

 2012年末、首相に返り咲いた安倍首相が掲げた「旧3本の矢」では、量的・質的金融緩和による空前の資金供給、公共投資を中心とする経済対策、規制緩和による成長戦略が打ち出されていた。官邸ホームページには「成果、続々開花中」との文言が踊るが、その表現は明らかに誇張である。

 たとえば実質GDPだが、安倍政権3カ年の伸び率より、民主党政権3カ年の伸び率のほうが断然大きい。前者が2・2%(15年7~9月期まで)なのに対して後者は5・6%である。リーマン後のGDPの縮小を勘案するとしても、それを言うなら、民主党政権期には震災による経済の落ち込みもあった。

 また、有効求人倍率の上昇や失業率の低下については、高齢者、とりわけ団塊の世代の労働市場からの退出が大きな理由である。実際、00年代に入って求職者数じたいが減少しはじめたし、失業率もリーマン期をのぞいて、ほぼ連続的に下がっている。現在の失業率低下もこの推移を踏襲したものだ。

 物価はどうか。目標達成年度を先送りまでした日銀の懸命の努力もむなしく、原油価格の下落のために、再びデフレ基調に戻った。黒田東彦総裁の説明にもあるように、日銀自身が物価上昇率の停滞理由を原油価格の低下に求めているが、このことは量的・質的金融緩和が実態として物価の上昇に直接影響力を持たなかったことを、皮肉にも示している。

 企業の収益構造の歪みも目立つ。14年度の対前年度比実質GDPはマイナスだったが、企業は過去最高水準の経常利益を叩き出し、内部留保も過去最高を記録した。にもかかわらず、労働分配率(人件費/付加価値額)は大きく低下してしまった。

 日銀の金融緩和との関連でもっとも効果が大きかったのは為替相場と株価だろう。まず、為替は1ドル=80円から120円へと大幅に下落した。だが、その効果は決して大きなものではなかった。小泉政権期にすでに企業の海外シフトが進んだ結果、大幅な為替の下落にもかかわらず、輸出数量指数は横ばいのままで推移したからだ。

 一方、株価は、民主党政権期の日経平均株価1万円から2倍近い水準にまで上昇した。多くの企業が中国をはじめとするドルと通貨をペッグしている国に移転している日本の場合、円安は海外子会社などからの受け取りの増大、すなわち営業外収益の増加をもたらす。これが経常利益を増やし、株価の上昇要因となったのだ。

つくられた株価の上昇 豊かさには結びつかず

 だが、この株価の動きは日本の経済状況をそのまま反映したものではない。日本銀行がETF(上場投資信託)の買い入れを年間3兆円の規模で実施していること。さらに、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による株式保有比率が12%から25%へと高められたことが大きかった。なにしろ世界最大のファンドが、最大7兆円ともいわれる株式買い入れに乗り出していたのである。

 GPIFの株式買い入れは、他方で国債の市場放出をともなう。だが、日銀がこれを空前の規模で買い支えたため、国債市場は安定した。GPIFの株式買い入れは早晩、目標値に達すると思われるが、これに追随するかのように、国家公務員共済組合連合会、地方公務員共済組合連合会、日本私立学校振興・共済事業団のいわゆる「3共済」がポートフォリオを変更したため、さらに3・4兆円の株式投資を行う余地が残されている。官製相場といわれる所以である。

 これに企業の自社株買いが加わったことも見逃せない。自社株買いとは、企業が資金調達のために発行した株式を自ら買い入れることである。1株あたりの利益を算定する際、自社が購入した株式は株式総数から除外される。従って1株あたりの利益が増大し、投資家からの評価が高まるのである。投資家が重視する指標である自己資本利益率でも、分母となる株主資本が自社株買いで削減できるため、利益率の上昇を期待できる。

 このように、現在の株価の上昇は日本経済の強さの反映というより、あらゆる手立てが動員された結果だといえる。ところが、その上昇は国民全体の生活の豊かさに直結するわけではない。

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