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報道界の主流 小さなNPO型集団に

ニュースを掘り起こす職分、不変の価値

山中季広 朝日新聞特別編集委員

ニューヨーク圏で発行されている主要紙=筆者撮影ニューヨーク圏で発行されている主要紙=筆者撮影
 「新聞社はいつまで持つと思いますか」。取材先で時々そういうキツイ質問を浴びます。「新聞記者って将来あるんですか」と聞かれたこともあります。

 たいていはインタビュー終盤の座がゆるんだあたりか、取材後いっしょにビールを飲みに出たようなときだ。私はいつもこう答えます。

 「いずれニュースはすべてデジタルで届く時代になるでしょう。ただそうなっても記者という仕事の内容はほとんど変わらないはずです。50年先、100年先もまちがいなく記者は取材に駆け回っていると思いますね」

 そんな楽観論を言うようになったのは、もっとも悲観的だった時期の米国の新聞産業を現地でイヤというほど見てきたからだと思う。

 私は1990年代半ばからリーマン・ショック(2008年)をへて現在まで断続的に、米メディア界を取材してきました。

 新聞からテレビ、PC、スマホ、タブレットへとニュースの主媒体はめまぐるしく移りました。それと並行して、米報道界で生まれた変化の大波は、数年か十数年以内に必ず日本へも打ち寄せてきました。日本のメディアの将来を知りたければ、まずは米国の現在を知ること。そこに必ず答えがあると私は思っています。

 これまで時間を作ってはせっせと米各地の新聞社を訪問してきました。ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなど大きなところはごく少なく、私の見学した新聞社のほとんどは本社が平屋建てです。発行部数は数千から数万部ほど。社内に印刷インクのにおいがプーンと漂い、販売と広告、紙の新聞とニュースサイトの編集が同居しています。

 いまから数年前、それら米地方新聞社は、ただひとつの例外もなく節電令で社内は昼間も暗く、壁には経費削減のスローガンが貼られていました。記者たちの作業スペースは、人員補充がないためガランと空いています。解雇しない代わりに人件費削減のため、週単位や月単位で無給休暇を記者に割り当てている新聞社もありました。

 肌感覚で言えば、米新聞界の経営面での最盛期は2005年ごろでした。翌年から新聞広告は恐ろしいほどのペースで減り始めました。報道面でのピークはそれよりずっと早く1990年代だったと思います。1989年に全米で5万6900人もいた編集者・記者は、いまや3万8千人にまで減りました。休刊に追い込まれた新聞の名を挙げればキリがありません。

 同じ題字のもと発行が続いている新聞であっても、経営の実態は激変しています。

 近年では経営難に陥った新聞を富豪が私費で会社ごと買い取るという例が続いています。

 ワシントン・ポストは、日本でもおなじみのネット通販大手アマゾンの創業者ジェフ・ベゾス氏(52)がワシントンの名門グラハム家から個人的に買い取りました。買収額は2億5千万ドル(約297億円)でした。

 ボストン・グローブは、長年、赤字に苦しんだ末、大リーグ球団レッドソックスのオーナー、ジョン・ヘンリー氏(66)に現金7千万ドル(約83億円)で買い取られました。

 この2紙の場合、新社主にそれぞれ「新聞を残したい」という意欲がありました。ふたりとも新聞人ではありません。ですが新聞に対する独特の共感がありました。そろって「ひとまずビジネスを度外視して自分が出資する。記者や編集者に奮起してもらい、生き残る方法を探ってほしい」と注文しました。

 新聞社の経営方面にとんと疎い私などは、「新聞に愛情と敬意をもつ富豪がポケットマネーで新聞を延命させてくれるのなら慶事ではないか」と受け止めていたのですが、ひどい思い違いでした。

 世の中はそんなに甘くありません。この2紙とはまるで対照的な延命劇が現れました。記者にとっては悪夢のような話です。

カジノ王が新聞社を買収 編集方針に口出しも

典型的な米地方新聞社の社屋=筆者撮影典型的な米地方新聞社の社屋=筆者撮影
 舞台は、ネバダ州の有力紙で107年の伝統を誇るラスベガス・レビュー・ジャーナル。昨年暮れ、地元で「カジノ王」として知られるシェルドン・アデルソン氏(82)が親族を通じて同紙を新聞社ごと買収したのです。買収額は1億4千万ドル(約166億円)でした。

 アデルソン氏はベガスでのカジノ経営に成功し、マカオやシンガポールにも進出しました。恨みを買った相手がよほど多いのか、どこへ行くにも屈強なボディーガードたちに囲まれて移動します。

 米政界では共和党の大口献金者として有名です。前回大統領選では全米屈指の巨額を提供しました。大統領候補選びにも影響力があり、極端な反アラブ政策が信条です。

 水面下の買収交渉を経て、アデルソン氏は昨年12月、いきなり社主として名乗り出ました。「自社のカジノがらみの裁判を担当する裁判官を徹底的に洗え」「新社主家について記事を書きたい場合は事前に文書で申請せよ」。そんな指示を編集局に出しました。

 〈社主たるもの編集方針には口をはさむべからず〉。米国ジャーナリズム界でこれまで何世紀にもわたって尊重されてきたジャーナリズムの原則は、みごとに否定されました。

 おそらくまだ序の口です。今後は、本格化する大統領レースで自分の望む通りの報道を同紙記者に強いるのではないかと私は危惧しています。

 ベガス紙の強引な買収劇を見ていると、国は違っても、新聞社の一員である私は暗然たる気持ちになります。

 しかし記者の一員として考えるなら、話はそれほど単純ではありません。ニュースを掘り起こし、きちんと論評し、世の中に送り出すという仕事が米国ですっかり消えてなくなったわけではないからです。

 米連邦通信委員会(FCC)は7年前、ニュースがどの程度、供給されているか全米の住民約600人から聞き取り調査をしました。新聞の衰退を受けて市民生活に必要なニュースがどれくらい減ったかを確かめるためでした。

 調査報告書を読むと、地元紙の取材が細り、大手紙が支局を閉じたような地域では、とんでもない変化が起きていることがわかります。たとえば2007年を最後に地元紙が姿を消したオハイオ州では、翌年から自治体選挙で候補者が減り、投票率が下がり始めました。地方行政の報道がほとんどなくなり、有権者が選挙に関心を持たなくなったためです。その結果、どこも「現職有利、新顔不利」という傾向がはっきりと出るようになりました。

記者が丹念に地方選を取材することの大切さを痛感

創刊10周年を迎えた地元ニュース専門サイト「ニューヘブン・インディペンデント」の編集部=坂本真理氏撮影創刊10周年を迎えた地元ニュース専門サイト「ニューヘブン・インディペンデント」の編集部=坂本真理氏撮影
 1998年ごろ地元紙が休刊して「取材の空白域」に入ったカリフォルニア州のベル市では驚くべき事件が起きました。市の行政官(事務方のトップ)が、年間500万円ほどだった自分の給与を、十数年かけてこっそり6400万円にまで引き上げました。オバマ大統領の給与の2倍に相当する額です。この高給にどこからも異議が出なかったのは、その間に行政官が自分だけでなく警察幹部や市議たちの給与も引き上げて抱き込んでいたからです。市役所にも市議会にも記者は何年も取材に来ませんでした。

 住民たちは、行政官が建てた家が豪華すぎるのを見て、いぶかしんではいました。ただ給与がいくらなのか調べるほどの時間や熱意はありません。通報しようにも、地元には頼りになる新聞社の拠点すらありません。

 たまたま大手紙記者が、近隣市で取材中、雑談からベル市幹部たちの豪勢な暮らし向きのことを聞き込みます。この特報がもとになり、行政官は逮捕されました。

 報告書を読んで痛感したのは、たとえひとりであっても記者が地方の市長選や市議選を丹念に取材することの大切さです。市の予算や決算の分厚い書類を疑いの目でめくり、市長や市議にじかに疑問をぶつけるなどという仕事は、ふつうの市民にはやる気の起きないことです。おっくうですし、

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