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コラボレーションという新機軸

パナマ文書は新しいフロンティア

シッラ・アレッチ ジャーナリスト

「パナマ文書」報道についてシンポで語り合う(左から)奥山俊宏、シッラ・アレッチ、澤康臣の各氏=2016年6月2日、東京都新宿区の早稲田大学、青木美希撮影「パナマ文書」報道についてシンポで語り合う(左から)奥山俊宏、シッラ・アレッチ、澤康臣の各氏=2016年6月2日、東京都新宿区の早稲田大学、青木美希撮影
 私が初めて記者になりたいと思ったのは東京で留学をしていた時だった。約10年前の話だ。

 当時、東京外国語大学で日本語言語学を研究していて、イタリアの新聞で日本についてのニュースをよく読んでいた。その中で特に覚えているのはラ・レプブリカ紙に載っていた「日本人は皆エルコレ(ヘラクレス)が好きだ。甲虫はペットになる」という記事だった。記事には甲虫のかぶとはサムライのよろいに似ているから日本で甲虫を飼うことがはやっている、という風に書いてあった。

 あまりにもコメントのレベルが低くてびっくりしたが、そういう記事は例外ではなかった。日本語と日本文化を知らない記者によって書かれた記事が多く、どのような話でもサムライと芸者について書けば記事になるというようなものだった。それは日本文化や言葉を知っている私みたいな人にとっては偏見にしかみえなかった。ローマ大学で東洋学日本専攻だった私ならもっと現実に近い日本を伝えられるのではないかと思い、記者になる決心がついた。

 ということで、2009年に早稲田大学大学院ジャーナリズムスクールに入学した後、AFP通信やロイター通信の東京支局でインターンシップをした。大学院2年生の時、卒業論文のテーマを選ぶ時間が来た時は、もともと記者クラブ制度に興味があったが、論文のテーマは「経済ヤクザ犯罪報道とそのフレームの分析」とした。イタリアでは過去数人の記者も死んでいるぐらいマフィアの報道はシリアスなことだ。その一方、日本では暴力団による犯罪を大手メディアがあまり報道せず、フリー記者しか取材しないということを分析したいと思った。また、当時の警察白書によると「企業活動を仮装した一般社会での資金獲得活動を活発化させている」と指摘していたので、いわゆる経済ヤクザに焦点を当てることにした。そのテーマの選択はThe International Consortium of Investigative Journalists(ICIJ、国際調査報道ジャーナリスト連合)との出合いのきっかけとなった。

 ICIJの当時の事務局長がデビッド・カプランだった。彼はアメリカで調査報道記者として長年のキャリアを積んでおり、初めて英語で暴力団について著書を書いたアメリカ人の記者だ。本の題名は『Yakuza:The Explosive Account of Japan’s Criminal Underworld』で、暴力団の歴史を英語で読みたい人たちにとっては教科書みたいなものだ。私も論文の研究をしていた時、よく参考にした。2010年、ワシントンDCにある調査報道非営利団体の「センター・フォー・パブリック・インテグリティー」とその国際部門にあたるICIJの創設者であるチャック・ルイス氏の紹介でカプラン氏と連絡をとった。数カ月後、留学を決めて、ICIJでインターンシップをすることにした。

ICIJでのインターンで知ったデータジャーナリズム

ICIJのデータエディターが記者たちに文書の内容やソフトの使い方を説明した=米国・ワシントン、ICIJ提供ICIJのデータエディターが記者たちに文書の内容やソフトの使い方を説明した=米国・ワシントン、ICIJ提供
 当時はまだICIJがあまり有名ではなく、他の記者や友達が職場の名前を聞いたときには「なにそれ?」とよく言われたのは覚えている。そのころICIJはクロマグロのブラックマーケットとアスベストに関する二つのプロジェクトに取り組んでいたころで、私は日本関係の取材で手伝った。

 インターンの始まりから、私が慣れていたジャーナリズムとは全然違うジャーナリズムに触れ、ショックを受けた。

 最初は、通信社でしか働いたことがなかった私にとって、作業はある程度地味だった。毎日、新しい出来事を報道するのではなく、担当した最初の作業は何枚かの書類に書いてあった数字をエクセルシートに入れるというものだった。楽しいとは言えないけど、調査報道の一本の柱になるデータをチームが使えるようなフォーマットにするのは第一歩。その時データジャーナリズムの意味と価値が初めて分かった。

 日本のアスベスト問題に関する記事を担当した時は、あまりデータを使わず、普通に取材した。その記事を日本語にし、ICIJの掲載と同時に週刊朝日に提供した。それはアメリカの調査報道団体と日本のメディアとの協力の最初の例だった。

 インターンシップが終わった後、東京に戻ったら、しばらくして震災が起きた。調査報道をやりたいと思いながら11年秋にブルームバーグニュースの東京支社でマルチメディアプロデューサー(ビデオジャーナリスト)として働き始めた。

 3年間、その仕事を続けたが、やはり調査報道をもっと学びたいという気持ちが強く、14年にブルームバーグを辞めて、コロンビア大学ジャーナリズムスクールの調査報道コースに入学した。もう一回学生になったのだが、「一歩下がって二歩前へ」という気持ちで、希望を抱えた渡米だった。そして、ICIJのチームと再会した。

ICIJ副編集長に声をかけられプロジェクトに参加

2015年秋に行われたICIJのミーティング。各国の記者が集まった=ドイツ・ミュンヘン、ICIJ提供2015年秋に行われたICIJのミーティング。各国の記者が集まった=ドイツ・ミュンヘン、ICIJ提供
 ICIJのチームと再会したのは15年6月にフィラデルフィアで行われたInvestigative Reporters and Editors (IRE、調査報道記者・編集者協会)のイベントだった。IREは情報交換、研究、相互研鑽という目的で毎年会議を開き、大手メディアの記者だけでなくフリー記者はもちろん、学生や専門家も参加できるイベントだ。去年の会議では、ICIJの副事務局長のマリナ・ウォーカー・ゲヴァラ氏から新しいプロジェクトについて初めて聞いた。

 ゲヴァラ氏はデータの中に日本の情報も入っているかどうかを私に確かめてほしかったようだ。もう一回、一緒に仕事ができるのは光栄だと思って、OKした。それで、詳しい内容が分からなくても、ICIJのプロジェクトはいつも複雑であるのは知っており、一人で取り組むより同じく日本語ができて日本を長く取材してきた、筆者の同僚で友人のアレッシア・チェラントラにコラボレーションするように提案した。彼女はイタリアの調査報道を専門にしているInvestigative Reporting Project Italy(IRPI)という非営利団体の創設者でもある。

 プロジェクトへの参加には簡単な条件があった。皆が決めた報道解禁時刻を守ること、参加していない記者とデータベースへのパスワードをシェアしないこと。それらを受け入れた後、セキュリティーが高いメールを利用してログイン情報をもらった。それから、データベースにアクセス。正直、初めてデータベースにアクセスした時はブラックホールに入ったような感覚だった。検索の可能性は無限だった。

 プロジェクトに取り組む前、ICIJはワシントンDCで他の参加記者も招待し、ワークショップを開いた。去年の夏、密室のミーティングで南ドイツ新聞(ジュートドイチャー・ツァイトンク)と ICIJのチームがプロジェクトを説明した。データ量や効率的な検索方法まで検討が加えられた。当時はまだ「パナマ文書」という名前がなかった。

マネーロンダリングや税逃れか 1150万点に及ぶ電子資料

 「パナマ文書」というのはモサック・フォンセカ(Mossack Fonseca)というパナマの法律事務所から流出した大量の内部文書だ。その中には、メール、登記簿、定款などが入っており、1977年から2015年までのタックスヘイブン(租税回避地)を利用してモサック・フォンセカが関わった金融取引に関する書類となる。文書には21万余の法人とその株主らの名前が登場する。1150万点の電子ファイルで、10年にウィキリークスが入手した米外交公電の1500倍。リークのもとは「ジョン・ドウ」(名無しの権兵衛の意味)と名乗る匿名の情報源で、初めてファイルを手に入れたのは南ドイツ新聞の記者だった。

 その時点から、プロジェクトは意外だった。なぜかというと、南ドイツ新聞はファイルを秘密にしないで、ICIJとシェアすることを決めたからだ。

 モサック・フォンセカは国際的な人物と機関に登記サービスを提供しているので、リークされたデータに80カ国以上の公人と企業などに関する情報も入っている。それが分かった南ドイツ新聞の記者は全世界のメディアと協力するICIJに連絡することにした。そうすると、それぞれの国の記者が自分の国に関する知識を生かすことによって、世界中にインパクトのあるネタを伝えるということを可能にした。

 その考え方は大正解だった。理由はいろいろだが、まずテーマの性質による。

 タックスヘイブンの利用理由はいろいろだが、非合法的に利用されている時、マネーロンダリングや税金逃れと税金回避の一つのツールとして便利だ。その場合一カ国の問題だけではない。グローバリゼーションという言葉は数年前まで流行語だったが、今では当たり前のようなことだ。そのため、金融制度をはじめ、個人や企業もつながっており、オフショアへの取引の場合ではさらにそうだ。

 そのため、タックスヘイブンに関する調査をしたい記者が様々な国のつながりや金銭の動きなどを分析するということは当然だ。そうしないと、ジグソーパズルと同じで、全てのピースがないとイメージを完成できない。

 南ドイツ新聞の記者はそれをよく知っていた。過去にタックスヘイブンに関する調査をしたことがあったので、ICIJと協力するのは当たり前のように決まった。その結果、約380人の記者と100社以上のメディアも関わることになり、これまで数百の記事やテレビ番組で報道された。

 南ドイツ新聞の秘密情報をシェアするという選択が正解だったというもう一つの理由は、ジャーナリズムの変遷と関係があるが、それについては後で考えてみよう。

当初はイタリア人記者2人が日本部分のデータを解析

 ワシントンDCでのミーティング以降、私がプロジェクトに本気で取り組むようになったのは秋だった。そのころドイツのミュンヘンで、ICIJと南ドイツ新聞は参加記者を誘い、プロジェクトについての話し合いが行われた。私は参加しなかったが、同僚のアレッシアは出席した。

 実は夏にアクセスできたデータベースには全ての情報はまだ入っていなかった。ジョン・ドウ氏がいくつかの段階でデータを送ったらしく、

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