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政治の軸が見えにくい時代だからこそ考えてみたい

「保守」と「リベラル」のこと

宇野重規 東京大学社会科学研究所教授

 いまさら「保守」と「リベラル」でもないだろう―。本稿「保守主義とリベラルを知るための10冊」を書くため机に向かった私の耳に、どこかからそのような声が聞えてきた気がした。

「保守」対「リベラル」はいまや、うさんくさい?

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 たしかに、かつてであれば、「右翼」と「左翼」、あるいは「保守」と「革新」、そういった区別には、少しは実体があったのかもしれない。とはいっても、それは遠い昔の話。「革命」や「進歩」といったものを信じることができた時代は、とっくに過ぎ去ってしまった。せめて「守旧派」と「改革派」、「現実主義」と「理想主義」の違いならともかく、大上段に「保守」と「リベラル」と言われても、なんとなくうさんくさく感じられてしまう。

 現代に生きる人々の一般的な感覚は、そんなところかもしれない。

 でも、少し待ってほしい。

 なるほど、「保守」と「リベラル」の区別は、かつてと比べてだいぶ不透明になっているかもしれない。とはいえ、本屋に行けば、まだまだ「保守」や「リベラル」を冠する本はいくらでもある。ネット上は、さらにすごいことになっていて、「保守」を掲げるサイトが人気を集め、「保守」を自認する論客が、引きも切らずに登場する。

 一見すると、「保守」の側の声の大きさと比べ、「リベラル」の方はやや元気がないようにも見えるとはいえ、井上達夫『リベラルのことは嫌いでも、リベラリズムは嫌いにならないでください』といった、真面目なのか、不真面目なのかわからないタイトルの本(実はこの本、大いに真面目なのであるが、その点は後述する)も出ていて、いささかの屈折は見られるものの、リベラル業界もそれなりに踏ん張っているようだ。

 意味がよくわからないのに、なんとなく使ってしまう言葉。世の中にはそういう言葉がある。いや。よくわからないからこそ、むしろ意味ありげに使ってしまうのかもしれない。「保守」「リベラル」も、そうした言葉であろう。

 筆者は『保守主義とは何か』(中公新書、2016年)という本で、18世紀イギリスの政治家であり、『フランス革命の省察』の著者であるエドマンド・バークにまでさかのぼって保守主義の歴史を再検討した。ここではさらに、いくつかの現代の著作に即して、「保守」と「リベラル」の意味を考えてみたい。

アメリカの保守主義を歴史的に考えてみると

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 「保守」という点で、いま一番気になるのは、この秋に大統領選を控えたアメリカの動きかもしれない。

 アメリカはもともと、「保守」の共和党と、「リベラル」の民主党というように、政治的色分けがきわめて明快な国である。共和党のシンボルカラーは赤、民主党は青なので、赤色の州と青色の州がくっきり分かれたアメリカの政治地図を目にしたことのある読者も少なくないはずだ。

 それが、ここに来て異変が起きている。共和党のなかでも、およそ正統的ではないトランプが、正式に党の大統領候補者に選ばれたのだ。「メキシコ国境に壁を造る」「イスラム系の移民を禁止しろ」などと主張するトランプは、そもそも「保守」と言えるのか? 言えるとすれば、「保守」とは排外主義の同義語なのか?

 「小さな政府」を掲げ、減税や規制緩和を進めたレーガン大統領、いかにもアメリカのエスタブリッシュメント階級を思わせた父ブッシュ大統領、ネオコンとともにイラク戦争を進めた子ブッシュ大統領。こういった大統領はまだ「保守」として理解できた。これに対し、トランプの場合、いったい何を保守しようとしているのか、よくわからなくなってしまうのだ。

 このように多様な顔を見せるアメリカの保守思想を理解するうえで、絶好の本がある。現代アメリカ思想の源流を探って定評のあった原著に、トランプ現象について加筆して文庫化された会田弘継『追跡・アメリカの思想家たち』である。現代アメリカ保守主義の起点といえば、1980年のレーガン大統領の再選がしばしば挙げられるが、本書によれば、その源流ははるか前にまでさかのぼれるという。

 ワシントンやニューヨークから遠く離れた農村に暮らし、キリスト教信仰とアメリカの精神的伝統を重視した保守思想を展開し、ニクソン大統領からも師として仰がれたラッセル・カーク。南部の地にあって、独特な農本主義による保守思想を構築したリチャード・ウィーバー。フランクリン・ローズヴェルト大統領によるニューディール以来、リベラルが優位した20世紀半ばにあって、孤立しながらも自説を主張し続けた、これらの思想家たちこそが、後の保守革命を準備したと著者はいう。

 そう。アメリカの保守主義とは、都市のエリートやインテリに反発し、地域にあって信仰を重視し、独立精神旺盛な人々に基礎を置くものなのである。彼らが「大きな政府」に反発し、リベラルなエリート知識人に敵意を抱くのもそのためだ。では、トランプもまた、そのようなアメリカ保守主義の継承者なのか。あるいは、それと似て非なる存在なのか。このあたりにトランプを理解する鍵がありそうだ。

日本会議、バーク流… 幅の広い日本の「保守」

 翻って日本の現状はどうだろうか。今年、大いに話題になったのが「日本会議」である。安倍晋三首相をはじめ、その内閣の多くの閣僚が、日本会議を支援する国会議員の連盟に加わっている。さまざまな宗教団体を傘下に連ね、自主憲法の制定や閣僚の靖国神社公式参拝、国防の強化を訴えるこの団体が、実際のところどれだけの政治的な影響力をもっているのかはわからない。だが、日本政治を背後で動かす組織ではないかと、にわかに関心を集めているのは間違いない。

 菅野完『日本会議の研究』は、この運動がどのようにして発展してきたのか、その歴史と基盤について、本格的な考察を試みた本である。

 かつて左翼学生運動が盛んだった時代、少数派だった右翼学生運動のリーダーであった若者たちが、さまざまな経緯を経て政権中枢に入り込み、最終的には憲法改正にねらいを定めるに至る。「官製組織」にも見えるこの組織の「市民運動」的起源を探る本書は、現在の日本政治の地下深く蠢うごめくマグマのようなものを感じさせてくれる。

 とはいえ、戦後憲法やそれが掲げる政教分離原則に挑戦するこの運動をもって、単純に日本の「保守」と呼んでいいものだろうか。

 20世紀前半に活躍したドイツの知識社会学者カール・マンハイムは『保守主義的思考』において、保守主義と伝統主義・復古主義を明確に区別している。単に変化を嫌う精神はいつの時代にもある。また、特定の過去への復帰を目指す動きもしばしば現れる。これに対し、保守主義とは、現行の政治体制を自覚的に維持・保守しようとする思想だとマンハイムは説く。「フランス革命を受けて生まれた近代的な思想」という彼の保守主義の定義は、示唆に富む。

 実際、保守主義の祖とされるバークは、英国のホイッグ党に所属する「自由の闘士」であり、前半生においては、専制的な英国王ジョージ3世に対抗し、アメリカの独立を支持している。そのバークがあえてフランス革命を批判し、保守主義を唱えたのは、フランス革命が抽象的な理念によって、歴史的に形成された社会のあり方を全否定した点にあった。

 それぞれの社会は、おのおのが持つ歴史的な伝統を大切にしなければならない。すべてを破壊して一から作り直すのではなく、もともとある自由の制度を発展させるべきである―。

 バークはそう説いたのである。

 中島岳志『「リベラル保守」宣言』は、このようなバーク的な保守主義の、よき現代的後継者であると言えるだろう。保守主義とは元来、自由を重視するものであり、その限りで「リベラル」の要素も含む。そうした観点から、橋下徹・元大阪市長の独裁的手法に対し、正面から批判を加えた中島は、まさにバークの生涯をなぞっているとも言える。

 過去への復帰を目指す日本会議の「市民運動」的保守から、バーク的な伝統を継承する中島の「リベラル」保守まで、現代日本には幅広い保守の思想と活動が見られるのである。

「後ろ向きで教条的」は一面的な保守の理解

 ところで、戦後日本の保守思想を代表する存在とされる文芸評論家の福田恆存は、自分の「保守」とは態度としての保守であり、イデオロギーとしての「保守主義」とは区別されると述べている。

 『保守とは何か』のなかで福田は、 ・・・続きを読む
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筆者

宇野重規(東京大学社会科学研究所教授)

宇野重規(東京大学社会科学研究所教授)(うの・しげき) 東京大学社会科学研究所教授

1967年生まれ。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程修了。同大学社会科学研究所助教授を経て、2011年から現職。専攻は政治思想史、政治学史。著書に『トクヴィル 平等と不平等の理論家』(講談社選書メチエ)、『〈私〉時代のデモクラシー』(岩波新書)、『民主主義のつくり方』(筑摩選書)、『政治哲学的考察―リベラルとソーシャルの間』(岩波書店)、『保守主義とは何か』(中公新書)など。