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務め過多の象徴天皇像を前提とせず

憲法の原点に、いま一度立ち返ろう

横田耕一 九州大学名誉教授、憲法学者

 8月8日のビデオメッセージによる明仁天皇の私的感想なる「お気持」は、国民の多くに好意的に受けとめられているようである。しかしながら、日本国憲法の見地からするなら、いかに私的な感想とされているとはいえ、そこにはいくつかの問題点が含まれている。

「お気持」の中の象徴天皇像 国民の常識に強い危機感

 「お気持」は、次のような趣旨を述べている。(1)この「お気持」は、私的個人としての考えであること、(2)象徴としての天皇の望ましい在り方を考え、それに基づいて天皇としての「務め」を果たしてきたこと、(3)高齢・身体の衰えからこれまでのように「務め」を果たすことができなくなったこと、(4)「務め」の縮小や摂政設置では天皇としての「務め」は果たせないこと、(5)健康上の理由で天皇が深刻な状態になったときには社会が停滞し、国民の暮らしに影響を及ぼすこと、(6)天皇の終焉の際には皇室諸行事が連続することで残された家族が厳しい状況におかれること、(7)この「お気持」は、天皇・皇室が国民とともに未来を築き、安定的に続いていくことを念じて述べていること、である。

 一般的にこの「お気持」は、高齢になり天皇がなすべき「務め」を十分に果たすことができなくなったため、「生前退位」を求めたものと理解されている。そのため、明仁天皇が現実に行っている、国民の目にも過重に見える「務め」なるものを前提にして、もっぱら議論は、「生前退位」の是非とか、それを実現するための法的手続き(皇室典範の改正によるか、特別法によるか)や具体的内容(退位後の天皇の処遇など)に議論は収斂(しゅうれん)している。一部には歴史認識や憲法観で安倍首相等に違和感を持つ天皇の挑戦であるとして政治的意味を強調する論もある。

 しかし、憲法の見地からして問題になるのは、議論の前提である(2)の「天皇としての務め」であり、「象徴としての天皇の望ましい在り方(象徴天皇像)」である。すなわち、一部の論者が的確に指摘しているように、この「お気持」は明仁天皇が理解する「象徴天皇像」を提示した上で、その像の持続を念じて行われたところに重要な意味があった。そして、(2)がほとんどいま議論の対象とならず、むしろ明仁天皇理解の「象徴天皇像」が多くの国民の常識となっていることに、私などは強い危惧を持つ。

 そこで、ここでは憲法の原点に立ち返り、「象徴天皇像」を再考する。以下、煩瑣(はんさ)な憲法解釈が続くが、お許し願いたい。

天皇は憲法上、国民の象徴 憲法尊重擁護の義務を負う

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 本稿に関係する憲法上の天皇に関して、ほぼ異論のない点は次の通りである。

 大日本帝国憲法(明治憲法)と同じく日本国憲法でも第一章は天皇となっているが、それは明治憲法の改正の形で現憲法が制定されたためで、天皇の重要性を示すものではない。天皇が日本国・日本国民統合の象徴であると定めた第一条の重要性は、天皇が象徴であることではなく、主権が国民にあり、その総意によって天皇の地位が設けられている点にある。

 通常、日本国憲法の基本原則とされているのは、国民主権主義・人権尊重主義・平和主義である。憲法の基本理念を示す「前文」には、「天皇」の語はない。

 天皇は、日本国・日本国民統合の「象徴」であって、その地位は「主権の存する国民の総意」に基づくものである(→国民の総意によって天皇制度の廃止も可能である)。

 天皇の地位は世襲であり、皇位の継承は国会の定める法律である「皇室典範」の定めによる(→明治憲法とは異なり「男系男子」に限られない)。

 天皇は、「憲法の定める国事に関する行為(国事行為)のみ」(12ないし国事行為委任行為を含めれば13の行為)を行い、国政に関する権能を一切持たず、その国事行為を行うについてもすべて「内閣の助言と承認」が必要であり、内閣がその責任を負う(→天皇の発意や拒否はいっさい認められない)。

 天皇は、国務大臣等の公務員と同様に、憲法尊重擁護の義務を負う。

対立する旧憲法との関係 「断絶説」と「継承説」

 そもそも、この「象徴天皇制」を過去の天皇制度=旧天皇制度(とりわけ明治憲法の天皇制度)との関係でどのように考えるかについては、憲法制定直後から今日まで、法学説においては、正面から対立する二つの考え方がある。

 日本国憲法と明治憲法の天皇制度が、基本的な次の3点で異なっていることについては、両説に対立はない。すなわち、①天皇の地位は、「統治権の総攬者(主権者)」から「日本国・日本国民統合の象徴」になったこと、②その地位の根拠は、「天照大神の天孫降臨の神勅」から「主権者国民の総意」によるものになったこと、③天皇の権能は、「天皇大権を含む統治権総攬者としての政治権能」から「政治権能はなく形式的・儀礼的な国事行為を行う権能」に限られることになったこと、である。

 それを前提として、一つの説(横田喜三郎など)は、右の基本的相違点を重視して、旧天皇制度と象徴天皇制とは、「天皇」という名は共通しているが、全く別制度であるとする(「断絶説」)。したがって、この説では、明仁天皇は2代目の天皇である。この説からする「象徴天皇像」は、憲法規範とそれに基づく皇室典範などの法規範との、いわば「足し算」として構成されることになり、過去の天皇の伝統などはおよそ問題にならない。

 一方の説(宮沢俊義など)は、根本的な変更があったことは認めながらも、旧天皇制度が継続したものとして象徴天皇制をとらえる(「継続説」)。したがって、この説では、明仁天皇は125代目の天皇ということになる。この説では、「象徴天皇像」は、明治憲法時代の天皇像から日本国憲法と矛盾する事柄をいわば「引き算」したものとして構成される。そのため、なにが矛盾するかが論争点となるとともに、過去の天皇の伝統なるものが明らかに憲法に違反しない限り大幅に受け継がれる結果となる。

「国体護持」へのこだわりから現実には「伝統」として継続

 しかし、制憲後の現実は、「継続説」に立って展開してきた。そうなった理由は、憲法の原案を作成したGHQはもとより、日本政府・帝国議会も、旧制度と完全に断絶した天皇制度を構想してはいなかったためである。とりわけ、帝国議会で金森徳次郎国務大臣(当時)が「新憲法でも天皇は国民の『憧れの中心』であって国体は変わらない」と強調したことに示されるように、「国体護持」にこだわった日本側においては、天皇制度の断絶という視点は問題外であった。また、日本国憲法が天皇による明治憲法の改正の形で制定されたこと、旧制度の裕仁天皇がそのまま皇位に就いたことも制度の継続性を印象づけた。

 そのため、国民の側でも天皇制度の断絶性は意識されず、旧天皇像が残存・維持されることになった。制憲後に文部省(当時)が作成した中学校教科書『あたらしい憲法のはなし』が、「(天皇は)私たち日本國民ぜんたいの中心としておいでになるお方」とか、「私たちは、天皇陛下を私たちのまん中にしっかりとお置きして、国を治めてゆくについてごくろうのないようにしなければなりません」などと書いていても、この記述に対する疑問は当時なかった(現在でもこの教科書の復刻本が護憲派においても好評であるから、この本の示す天皇像が国民の多くに今日も維持されているようである)。

 このように継続性を認めた結果、明治憲法下の天皇に関する法令の内容・形式や宮中内外の慣例が、明白に憲法と矛盾しない限り、「伝統」なる名目で大幅に継続された。たとえば、法律である皇室典範が皇位の継承を「男系男子」に限ったことや、「生前退位」の否認、「皇族」の特別処遇など、憲法との矛盾が問題となりうる事柄も、「伝統」として継続された。

 また、外交文書の書式を従前と類似にしてあたかもその発出人が天皇であるかのごとき体裁をとったり、本来は赴任国の元首に提出すべき外国大使等の信任状が皇居で天皇に捧呈されたりすること等で、外国は当然のように天皇を日本国の元首として扱っている(「元首」の法学的定義は、形式的であれ国を代表する者を意味しており、「いちばん偉い人」とか「統治権者」を意味しないことには注意)。

 加えて、裕仁天皇は、継続性を広く考えていたようで、国内巡幸を行ったり、首相等に政治に関して「内奏」を求めてそこで自分の意見を述べたり、諸儀式に公的に出席したりするなどの行為だけではなく、「沖縄書簡」に示されるような積極的政治活動を行ったりしたが、これらの行為を憲法との関連で疑問視する者はほとんどなかった。

憲法が天皇に求める「務め」 そんなに過重なものではない

 さて、以上をふまえて、「お気持」に示された明仁天皇の考える「象徴天皇像」を見てみよう。

 そこでは、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅」が天皇の大切な「象徴的行為」として例示されている。たしかに、国民が天皇に対して持っている「常に国民のことを思われている天皇」という像の多くは、そうした旅における天皇との出会いや、それを報じるマスメディアによって再生・強化され、天皇に対して敬愛の念を深める効果を生んでいる。しかし、そうした天皇の行為は、憲法上、象徴天皇に許され、あるいは求められているものであろうか。

 多くの国民の目には、「象徴的行為」を含めて現在天皇が行っている「務め」はかなり多く、高齢者にとっては明らかに負担過重なものとして映っている。これが「生前退位」に賛成する圧倒的な現在の世論の基礎となっている。けれども、憲法が天皇に求める「務め」は本来そんなに過重なものではない。

 ちなみに、宮内庁のホームページを参照し、『皇室のご活動』→「ご活動について」→「天皇皇后両陛下のご活動」を見ると、「国事行為などのご公務」に分類される部分で国事行為とともに拝謁などの諸行事や外国元首との親書・親電交換をあげ、次いで「行幸啓」「外国ご訪問」「ご即位10年関連行事」「ご即位20年関連行事」「伝統文化の継承」「宮中祭祀」「御所でのご生活」「ご研究など」が分類列記されている。しかし、「行幸啓」は現実には「公務」とされているので、この分類ではなにが「公務」であるか不明である上、国事行為ではない外国元首との親書・親電交換が「公務」とされているのは、後で述べるように、自明ではない。また、『皇室』→「ご公務など」を見ると、「宮中のご公務など」「行幸啓など(国内のお出まし)」「国際親善」と三分類されているが、「宮中のご公務など」の分類中に国事行為関連行事以外の行事をあげており、特に私事である「宮中祭祀」を「など」に含めて「公務」との峻別をあえて曖昧にするなどの「工夫」も見られる。要するに、このホームページでは、意図的を疑わせるように公私の峻別がなされておらず、なにが「公務」であるか曖昧である。したがって、せっかちな国民の目からは、天皇の行っている右のすべての行為が、象徴天皇のなすべき「務め」との誤解を生みかねない。

 明治憲法時代の天皇には「公私はない」とされていたが、日本国憲法下では天皇の公私は区別される。その意味では天皇制度についてその主体に言及するときには、公的立場の天皇と皇位に就いている個人とを区別する名称を用いることが望ましいが、通常は両者をともに「天皇」として論じるので公私の区別が曖昧となっている。たとえば、「天皇が皇居内を散策された」という場合の「天皇」は皇位就任者個人を指しており、その散策は私的行為であるが、天皇の「務め」で一括されている行為には「公務」ではないこうした「私的行為」が含まれている。魚類の研究や皇居での稲作もそれだが、同様に宮中祭祀に長い伝統があったとしてもそれは純然たる「私的行為」であり、 ・・・続きを読む
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筆者

横田耕一(九州大学名誉教授、憲法学者)

横田耕一(九州大学名誉教授、憲法学者)(よこた・こういち) 九州大学名誉教授、憲法学者

1939年高知市生まれ。国際基督教大学教養学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。九州大学教授、流通経済大学教授を歴任。著書に『憲法と天皇制』(岩波書店)、『自民党改憲草案を読む』(新教出版社)、共編に『象徴天皇制の構造』(日本評論社)など多数。