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刻々と変化する子どもの状況を踏まえよ

避難いじめを招かない情報発信を

本多環 福島大学うつくしまふくしま未来支援センターこども支援部門特任教授

はじめに

 東北地方太平洋沖地震とそれに伴う大津波(以下、「東日本大震災」と記す)および東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故(以下、「原発事故」と記す)発生から5年以上の月日が経ち、未曽有と言われた複合災害被害も風化の一途をたどるかのように見えた。ところが昨年末以降、「避難いじめ」という言葉とともに原発事故により避難をした子どもたちの状況に再び関心が集まり始めている。

 災害発生以降、多くの子どもたちが環境の変化を強いられ、「困り感」(注)を絡み合わせた。仲のよかった友だちや先生、家族と離散し、新しい土地で慣れない生活を送る中、数え切れないほど多くの嫌な思いや辛い思いを味わった。

 絡み合った「困り感」をほぐすことができた子どもたちは、災害を力に変えて新たな一歩を踏み出している。しかし、災害発生から間もなく6年が経とうとしている今になっても「困り感」をほぐすことができなかったり、ほぐすことに疲れきったりしている子どもがいる。また、避難先で新たな「困り感」を絡み合わせている子どももいる。

 「困り感」を絡み合わせた福島の子どもたちの姿を理解することが「避難いじめ」の減少にもつながることを願いながら、災害以降の子どもたちの状況や必要とされる支援について述べてみたい。

避難をした子どもたちの状況

 2011年3月11日、原発事故の発生により広範囲にわたって放射性物質が放出され、多くの福島県民が県内外への避難を強いられた。健康被害に対する不安から自主的に避難をした福島県民も多く、2011年8月末には15万人以上の県民が県内外へ避難した。

 避難者の中には幼稚園や小学校、中学校、高等学校、特別支援学校等に通っていた子どもも多数おり、2011年9月1日時点で1万8000人以上の子どもたちが災害に関わる避難により転園・転校することになった。

図1 子どもの環境の変化図1 子どもの環境の変化
 転校した子どもたちは、学校環境・家庭環境・地域環境の変化により、大きなストレスや不安を感じたり「困り感」を抱いたりした。また、環境の変化にうまく対応することができない自分を責め続け、自己肯定感を低下させる子どももいた(図1)。

 避難元では常に優秀な成績をとっていた子どもが、転校後、急に授業内容を理解することができなくなった。避難元の学校ではまだ習っていなかった学習内容を、転校先の子どもたちは習い終わっていたからであった。避難元の未習内容が転校先では既習内容となっていたのである。学級の友だちや先生に分からないところを質問すると、「放射能で頭悪いんだ」と言われた。その一言に深く傷つき、その後誰にも聞くことができなくなった。転校により学習内容を理解することができなくなっただけでなく優等生でなくなった自分の居場所を見つけることができなくなり、その後不登校となった。

 また、避難元の学校では友だちに慕われながら毎日楽しく登校していた子どもが、転校先で方言を馬鹿にされたことに傷つき、言葉を発することができなくなってしまった。方言は生まれ育った地域で自然に身についた言葉だった。避難元ではその言葉を使って話すことが当たり前だったが、転校先で友だちに何かを伝えようと話し始めると、周りの子どもたちはくすくすと笑ったりふざけてまねをしたりした。このようなことが続くうちに言葉を発することが怖くなり、しだいに話をすることができなくなった。

 新しい生活環境の中で、居心地のよい場所や人、自分の力を発揮する場所を見つけることができず嫌な思いや辛い思いを持ち続けた子どもたちが数多くいたのである。

 支援先に、声をかけると暴言を吐いたり暴力を振るったりする子どもがいた。言動が荒く、顔をあわせると「文句あんのか」「うるせえ、くそばばあ」と食ってかかってきた。子どもが発する荒い言葉に支援者ながら心を痛めることもあったが、目を合わせているとなぜか悪い子どもには感じられなかった。なかなか心を開かない子どもに対しての接し方に迷い、「叱られてでもかまっていてほしいの?」と声をかけた。すると思いがけなく返ってきた言葉は「うん」という素直な一言だった。その一言を機に子どもとの距離感が縮まり、子どもの様子を探ったり遠慮したりすることなく言葉を交わすことができるようになった。

 その時子どもが話してくれた内容が心から離れない。「避難元では弱虫でよく泣いていた。転校先で学級の友だちにいじめられた。悔しかった。このままではいつまでもいじめられると思い、思い切って自分の手を相手の方に伸ばした。するとその手が相手の顔に当たり相手は泣き出した。それをきっかけに相手から手を出してくることはなくなった。その時、やられる前にやったほうがいいんだ、そうするといじめられないんだと思った。

 だから自分から暴力を振るうようになった」と。彼の判断は間違っている。しかし、自分の身を守るためには、たとえ間違った言動であってもそうするしかないと学習してしまったのだろう。

 豊かな環境の中での様々な体験を通して、子どもたちは正しい知識や技能を身につけることができる。しかし、環境にゆがみが生じると、学ぶ内容や方法を誤ってしまうことがある。過ちを即座に指摘し、正しい方法を教示することができる大人がいれば、子どもは誤った体験知を修正することができる。しかし、指摘・教示する大人が身近にいなければ、誤った方法を正しい方法と勘違いし続けることになる。

 原発事故当時、放射線による健康被害に関わる情報が錯綜し、どの情報が正しいかを判断することが困難であった。そのため、大人社会においても誤った言動が見られた。福島ナンバーの車を駐車場に止めると周りの車が逃げるように移動していったり、車に向かって石を投げられたり車を傷つけられたり。このような状況に憤りを感じながらもどうすれば良いのかわからず、何かに依存することで気持ちを紛らわしてきた大人がいた。子ども社会は大人社会を映し出す鏡である。大人社会でこのような状況が見られたのだから、子ども社会に同じような言動が持ち込まれるのは自然なことである。

 「いじめ」の定義が「児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」(いじめ防止対策推進法、2013)であるために、これらの大人の行為は「いじめ」と規定することはできないかもしれない。しかし、同様の行為が一定の人間関係により成り立っている学校という場に持ち込まれると「いじめ」という言葉に塗りかえられる。学校社会で多発した「いじめ」の根源は心ない大人の言動にあるのかもしれない。

 そのような環境の中で生活しなければならなかった子どもたちの苦しさや辛さは容易に想像することができる。

「心のケア」の充実

 「困り感」を絡み合わせた子どもへの対応として、質的にも量的にも支援の拡大が目指され、阪神・淡路大震災時に効果的支援として大きな成果をあげた「心のケア」の充実が子ども支援の中核を担うようになった。

 福島県教育委員会は「緊急スクールカウンセラー等派遣事業」等を活用しながら、各学校にスクールカウンセラーを配置したりスクールソーシャルワーカーを増員したりした。教育の場に心理や福祉の専門家を配置し、専門家との連携を図ることにより子どもたちの「心のケア」を目指そうとしたのである。

 また、県内の各地域においても心のケアセンターや相談室が開室される等、心理的・福祉的側面からの支援が充実したことにより、多くの子どもたちは不安やストレスを軽減させることができた。
新たな夢や希望に向かって歩み始める子どもが増え始め、子どもたちの抱える課題は解決の方向に向かっていたかのように見えた。

生きる力の低下

 しかし、東日本大震災及び原発事故発生から数年を経て、福島の子どもたちの新たな課題が顕在化した。

 文科省が実施している「全国学力・学習状況調査」および「全国体力・運動能力、運動習慣等調査」結果を災害発生前後で比較したところ、子どもたちの学力・体力・運動能力がかなり低下していることが明らかとなった。「生きる力」の低下である。

 2006年12月、約60年ぶりに教育基本法が改正され、「幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと」が教育の目標の一つとして掲げられた。

 これを受け、2008年3月、文科省は小・中学校の学習指導要領を改訂し、「変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力、豊かな心、健やかな体の知・徳・体をバランスよく育てることが大切」であるとして、児童生徒の「生きる力」をよりいっそう育むことを目指した。また、その中で、「豊かな心や健やかな体の育成に当たっては、学校、家庭及び地域の役割分担と連携が重要である」と、記述した。

 つまり、教育の目標は幅広い知識と教養・豊かな情操と道徳心・健やかな身体を身につけることであり、学校、家庭および地域の役割分担と連携により、子どもの知・徳・体をバランスよく育てることが大切ということである。現在、この目標を達成することを目指しながら公教育が行われている。しかし、

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