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政党政治の危機の芽は社会をつなぐ力の弱まりに

飯尾潤 政策研究大学院大学教授

 政党政治が危機だというが、これは近代以来ずっと指摘されてきたことである。たとえば今の安倍政権の当否などに限定された課題であるわけではない。にもかかわらず、政党政治の危機について論じようとするのは、別の大きな危機の萌芽があると思えるからである。そこで、政党政治の危機をめぐる議論を、政権をめぐる問題、政党システムをめぐる問題、政治的共同体の質的変化をめぐる問題の三つの次元に分けて順番に考えてみたい。

「安倍1強」は危機なのか 論ずるべき三つの観点

組織的犯罪処罰法改正案について報じた3月22日付の各紙朝刊(東京本社発行の最終版)。「共謀罪」か、「テロ準備罪」「テロ等準備罪」かで、表記が分かれた拡大組織的犯罪処罰法改正案について報じた3月22日付の各紙朝刊(東京本社発行の最終版)。「共謀罪」か、「テロ準備罪」「テロ等準備罪」かで、表記が分かれた
 安倍晋三内閣は、発足当初の予想とは異なり、在任4年を超えても高い内閣支持率と安定した政権運営によって、まだまだ続きそうな勢いである。自民党総裁任期が延長されたから、もう4年は続くと見る向きも少なくない。

 そこで、「安倍1強」という状況を見て、政党政治の危機を論じる議論もあるが、国民の多くの支持を受ける政権が長く続くこと自体は、政党政治の危機ではない。安倍内閣には強固な反発もあり、反対勢力からすれば、政権が続くこと自体が許しがたいかもしれないが、これは政党政治の危機ではなく、対抗勢力の危機である。

 もちろん、政党政治の基盤となる自由な競争や立憲主義にかかわる政策的態度に関しては、政党政治の問題となり得る。政権側が憲法の価値を侵そうとするとき、メディアがそれを批判するのは当然である。

 ただし、政権を倒そうとする野党勢力と一体であってはならない。立憲主義は、誰が政権を取っても尊重すべきものであって、政権交代によって守られるべきものではない。立憲主義にもとる政権を倒そうとすれば、立憲主義を政争の具にしてしまう。野党が批判するのは当然であるが、野党から批判されれば与党は一丸とならざるを得ず、与党内から政権に再考を求める契機を失うといった問題も生じる。野党と一体となった政権批判は、憲法上疑義がある法案を成立しやすくする効果すら持つのである。それゆえ、立憲主義的争点は、与野党の枠組みを超えたものとして、論じられるべきである。

 政権運営にかかわって政党政治を危機にいたらしめる問題が安倍内閣にあるとすれば、次の三つの観点を取り上げた方がよいのではないか。

 一つは、政権内部の権力構造が極端に首相官邸に集中し、自民党や公明党といった、政権を構成しているはずの政党が積極的な役割を果たしていないのではないかという疑問である。

 党首への権力集中に関しては小選挙区制導入の影響が指摘される。衆議院の選挙制度の重要な要素として小選挙区制を選ぶに際しては、政党の一体性確保と党首への権力集中を目指した経緯があり、制度改革が一定の成果を上げたという側面がある。政権が成果を上げるには、多数党の党首すなわち首相にある程度の権力がなければ政権内調整もおぼつかないから、あまりに分散的であるよりは、政権が一定の集権性を持った方が望ましい。ただ、党内の分裂に悩まされた野田佳彦内閣ばかりではなく、第1次安倍内閣なども含め、同じ選挙制度のもとでも、党首に権力が集中しなかった例にも事欠かず、選挙制度だけで現状を説明するのは難しいのではないか。

 問題は、「極端な集中」といった行き過ぎで、これは制度的基盤があるとしても、むしろ政権運営スタイルの問題である。もし「極端」「過度」であれば、政権は成果を上げられないし、それに対する批判によって、政権が支持を失っていくという道筋が想定されるから、これも政党政治の枠組みで解決可能な現象のように見える。ただ、政権の求心力によって、政府部内に「忖そん度たく」が行き過ぎ、政権外に不都合な事実を伝えなくなったり、通常の政権批判すら抑制するようになったりすれば、それは自由な政党間競争を阻害するものとして、政党政治の危機になりうるといえよう。

 2番目は、とりわけ自民党内において、安倍首相の次を目指す政治家の姿が見えてこず、後継者養成に失敗しているのではないかという疑問である。

 諸外国の例を見ても、現に政権を握る権力者は、自らの地位を守るためにライバルの出現を抑えるから、次の指導者が見えにくいのは珍しいことではない。しかし、政党には指導者を育成し、選抜するという重要な機能があるから、主要政党がそうした機能が果たせなければ、政党政治の危機につながりうる。

 ただ、次の指導者といっても、かつての自民党政治のイメージで語るからこそ、それに合致する政治家が見当たらないだけかもしれない。長年の経験をもとに順に出世の階段を上るような仕組みだけが、後継者育成方法ではないことには留意する必要がある。

「任せよ」という姿勢の政権 有権者の参加を促しているか

仏大統領選に勝ち、勝利演説を終えたエマニュエル・マクロン氏(中央左)。既成の2大政党の候補は決選投票に進めず、その凋落ぶりを象徴している=杉本康弘撮影拡大仏大統領選に勝ち、勝利演説を終えたエマニュエル・マクロン氏(中央左)。既成の2大政党の候補は決選投票に進めず、その凋落ぶりを象徴している=杉本康弘撮影
 そして三つ目に、国家と社会をつなぐという政党の基本的機能に関して、現在の政権は上からの政策処理を前提として、自民党などの政党を通じて、広く有権者の参加を促していないのではないかという疑問がありうる。

 実は、この面が一番重大な問題点である。日本の主要政党の足腰の弱さ、すなわち有権者のなかに根付かず、議員や候補者の個人後援会が政党の選挙運動機能を代替しているというのは、戦後政党政治の発足時からの一貫した課題であった。この問題は新しくないとしても、かつてはかろうじて参加していたはずの利益集団も、政党ではなく官邸を志向し、現在の野党を応援するはずの労働組合などまで政党との関係を弱めるなど、ますます政党の孤立化が進んでいるのではないかという疑いはある。

 安倍政権においては、一般の参加を求めるよりも「任せてくれればうまくやる」「実績は上がっている」という姿勢が明確であるため、人々が自らの疑問や要望を国会議員や政党関係者に伝え、それを自民党や公明党などの与党勢力が集約するという道筋は、あまり重視されないようだ。むしろ世論調査や株価などの指数を参考に、政権運営がなされている傾向も指摘できよう。

 首相主導が望ましいのは、基盤となる政党が社会の声を吸い上げ、その基盤の上に立って首相が行動するという原理があるからであって、ただ首相の地位にあるから自動的に、その判断が民主的だということにはならない。政党政治の危機ということであるならば、政党が国家と社会をうまくつなげていないという疑問こそが、重大な問題であると考えられよう。

新聞は適切な距離とれず「親政権」「反政権」に分裂

 こうした問題に対して、マスメディアの報道はどうしているのか。このところ新聞の世界では、親政権メディアと反政権メディアへの分裂が明確である。そのため、事実に関しても、たとえば組織的犯罪処罰法改正案を「テロ等準備罪法案」とするか「共謀罪法案」とするか分かれるようになった。

 反政権側は、政権の方針への反対を強めようと、問題を大きく扱う傾向にある。「平和国家の危機」や「監視社会の到来」といったとらえ方である。そして、政権の評価すべきことはあまり論じることなく、それについては政権側の発表や行動を淡々と報じるにとどまる傾向がある。そうすると「大変な危機になっているのに、どういうわけか内閣支持率が高い」という紙面になって、読者にとって状況が理解しがたいものになりがちである。

 逆に親政権側メディアは、政権の成果は大きく報じる半面、政権にとって具合の悪いことは小さくしか扱わない。論調も、政権のあり方を積極的に擁護するまでにはいたらないとしても、政権批判を揶揄するような形をとることも多い。これを見ていると「政権の方針に対する異議申し立てがなぜ出てくるのか、よくわからない」ということになりがちである。

 政権と反政権のそれぞれに対してメディアの一体化が進み、うまく距離がとれない状況は、既存メディアから読者・視聴者の離反を促進しかねないのではないか。

常態化せぬ政権交代 問題は選挙制度より民進党

 さて、政党政治の危機といえば、政党間競争の問題が、中心的主題である。現政権に代わる実現可能性がある政権構想が、野党側から見えてこないという政党システムの問題こそが、その中核的な課題であろう。

 1990年代の政治改革の重要な目的が、政権交代可能な政党政治の実現であったことからすれば、 ・・・続きを読む
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筆者

飯尾潤(政策研究大学院大学教授)

飯尾潤(政策研究大学院大学教授)(いいお・じゅん) 政策研究大学院大学教授

飯尾潤いいお・じゅん政策研究大学院大学教授 1962年生まれ。専攻は政治学で、特に現代日本政治論や政策研究に重点を置いている。主な著書に、『日本の統治構造』(中公新書)、『現代日本の政策体系』(ちくま新書)など。