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本当の狙いは国民の総動員体制作り

安倍流・新ナショナリズムの「正体」

伊藤智永(毎日新聞編集委員)

教育勅語40年の記念日の朝日新聞に掲載された明治天皇御親署の勅語=1930年10月30日付朝刊拡大教育勅語40年の記念日の朝日新聞に掲載された明治天皇御親署の勅語=1930年10月30日付朝刊
 安倍晋三首相は教育勅語を暗唱できるのだろうか。妻の昭恵氏はどうだろう。仮に尋ねても、薄ら笑いで無視されるか、国会答弁と同じように逆ギレされるのが落ちだからか、あえて誰も確かめようともしないが、多分できないのではないか。

 原文を正しく音読できるかどうかも怪しい。何しろ「朕(ちん)惟(おも)う」「国を肇(はじ)むる」「悖(もと)らず」「庶(こい)幾(ねが)う」といった難読字だけでなく、意味は分かっても「深厚(しんこう)」「兄弟(けいてい)」「恭倹(きょうけん)」などスマートフォンでは簡単に漢字変換できない読み方もちりばめられている。ひょっとしたら、二人は自分で全文を読んだことは一度もないかもしれない。

教育勅語への傾斜 「借り物」の匂い

 森友学園の運営する幼稚園の講演で、幼児たちの勅語暗唱に感激した昭恵氏は「こちらの教育方針は主人も大変すばらしいと思っている。(卒園後)公立小学校の教育を受けると、せっかく芯ができたものが揺らいでしまう」と称賛していた。夫婦の間で「すばらしいね」と話題になったのだろう。日本人としての芯ができるのだという。子供たちに奨励するほど心酔しているのなら、いっそ自分たちも立派な日本人の心得として習得したらいいように思うのだが、きっとしないだろう。そういう教育勅語崇拝なのだ。決して血肉化した思想信条ではない。借り物の匂いがつきまとう。

 「教育勅語の核の部分の精神を取り戻して道義国家をめざしたい」と公言した稲田朋美防衛相はどうだろう。「右寄り」「保守」を自任しているのだから、さすがに「皇祖皇宗(こうそこうそう)」「天壌無窮(てんじょうむきゅう)」「拳拳服膺(けんけんふくよう)」「御名御璽(ぎょめいぎょじ)」といった決まり文句には親しんでいるはずだが、弁護士になるまで新聞もろくに読んだことがなかったと自己紹介している人なので、全文を抜き打ちでテストしたら、思わぬお粗末をさらけ出す恐れなしとしない。

 安倍内閣は学校教材に教育勅語を使うことを容認する閣議決定をした。とんでもない右翼政権だ、戦前回帰だと批判が起きたが、この際、全大臣・副大臣に教育勅語を読ませてみたらどうだろう。ふりがなを振っておかなければ、全員がどこかで詰まるか、読み間違えるのではないか。戦時中の国民学校だったら体罰モノである(国民学校は、対英米開戦の8カ月前、1941年4月に従来の小学校を改組して発足。教育勅語の教えを奉戴(ほうたい)し、皇国の道に則った初等教育で総力戦国家を担う少国民の心身を鍛錬した。1947年4月廃止)。

 茶化しているわけではない。教育勅語を復活しようとしている「右翼性」といっても、しょせんその程度の底の浅い代物であるという事実をまず確認しよう。だからと言って、教育勅語の一件がどうでもいい、大したことないと言いたいのでもない。むしろ逆だ。「森友問題」は、なぜ国有地が8億円も値引きされたのか、首相と妻は100万円を寄付したのか、といった金銭問題である前に、今の日本の政治空間を反映した思想問題と考えるべきだ。ただしそれは、しばしば指摘されるように、安倍政治が神がかりな軍国主義国家、天皇神権政治の復活を目論んでいるという問題なのだろうか。教育勅語については、家族愛を中心とする徳目が並び、道徳律として悪い内容ではないという容認論がある一方、徳目はすべて神代の皇室に由来し、国家危急の時は天皇のために尽くせというのだから間違っている、軍国日本が道を誤った根本精神で絶対悪の象徴だという排斥論がある。そのような取り扱い注意の危険物を、保守政治が歴史の教訓も無視して持ち出すのは許されない、というのが長く戦後日本の模範解答だった。

 しかし、安倍政権はそうした模範的な批判をモノともせず、世論調査でほぼ常に過半数以上の「支持」を確保したまま続いてきた。むしろ勢いを増しているようにさえ見える。「正しい」はずの批判が、効果的に刺さっていないわけだ。自明とされている前提から、少し丁寧に点検してみる必要がある。

 まず、現状認識の仕方を問い直そう。安倍政治は教育勅語に代表された古い国家体制の復活を本気でめざしているという理解の仕方は「正しい」だろうか。本気で思想や戦略を練り上げているとみなすには、教育勅語でも憲法改正でも皇室護持でも、知識が不十分で、説得力のない議論が多い。論議を聞いていると、批判する側の説明の方がずっと詳しく、「勅語派」の論は、空疎な礼賛ばかりで内容は乏しい。

 このねじれ現象を理解するには、思い込みを疑ってみたらいい。誤解を恐れず言えば、安倍夫妻も稲田氏も本心から教育勅語を信じてなどいないのではないか。よく知らないと言った方がいいかもしれない。だから、底の浅さを指摘されるとむきになる。必要ない閣議決定までして物議を醸す。虚勢を張り、挑発的に批判を煽る。安倍政治は、実は本気で戦前体制の復活をめざしているわけでもないのに、あえて復古主義的な「記憶」「歴史」「シンボル」「イメージ」「ストーリー」を借りてきた道具のように振りかざしていると考えた方が実態に合っている。

「戦前回帰」こそが改革派 価値観逆転させる安倍政治

最終報告を取りまとめた「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に出席した安倍晋三首相(左)。中央はあいさつする座長の今井敬・経団連名誉会長=4月21日、首相官邸、岩下毅撮影拡大最終報告を取りまとめた「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」に出席した安倍晋三首相(左)。中央はあいさつする座長の今井敬・経団連名誉会長=4月21日、首相官邸、岩下毅撮影
 なぜ、そんなことをするのだろうか。「正しい戦後」の論理や振るまいを身につけた側の反発を掻き立てるためだと考えれば分かりやすい。およそ論争には、守りに回る側より仕掛けた側が、「場」のエネルギーを吸収しながらリードすることで成り立つ構造がある。「勅語派」が、批判を養分にして肥え太っていくかに見えるのもそのためだ。この場合、「正しい戦後」派とは「正解」を繰り返すばかりの優等生、言い換えれば戦後の「成功」から得た恩恵を守ろうと既得権益にしがみついて新しい現実に果敢に挑戦しようとしない守旧派であり、「戦前回帰」派が戦後という既成秩序に挑戦する改革派というふうに立場が入れ替わってしまう。安倍政治は、そこに自分たちの存在価値(アイデンティティー)を作り上げる。改憲が何はともあれ憲法をいじることが自己目的化しているのと同じように、戦前回帰という政治的ポーズも右翼めかした虚像を膨らませて神権天皇下の国体論を想起させ、大層な野望でも持っている何者かであるかのように見せかける、そのこと自体が目的だと考えるのである。

 安倍政治の特徴が、市民や社会より、国家の価値や機能や存在を大きく強くしようとしていることは容易に見て取れる。とはいえ現代の日本は、 ・・・続きを読む
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筆者

伊藤智永(毎日新聞編集委員)

伊藤智永(毎日新聞編集委員)(いとう・ともなが) 毎日新聞編集委員

1962年生まれ。 政治部、経済部、外信部、ジュネーブ特派員などを経て、2012年から現職。毎月第1土曜日にコラム「時の在りか」、週刊誌「サンデー毎日」に時論をほぼ毎週連載中。編著書に 『靖国戦後秘史―A級戦犯を合祀した男』(角川ソフィア文庫、単行本は毎日新聞社刊)『靖国と千鳥ケ淵』(講談社+α文庫)『忘却された支配―日本のなかの植民地朝鮮』(岩波書店)。