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埋めるべき溝、沖縄内部に

若い世代と真摯に対話を

仲村清司 作家、沖縄大学客員教授

  原稿を書くときは流れにまかせるタチだが、こと沖縄問題となるとそうはいかない。あれこれ構成を考えてみるのだが、昨今の深まるばかりの「沖縄と本土の溝」がテーマになると頭の中が錯綜してしまう。そうして考え込んでいるうちに、ついにはふさぎ込んでいる自分に気づく。

 この原稿も例にもれずそうなり、ため息ばかりついている。

 昨年11月に上梓した『消えゆく沖縄』(光文社新書)のなかで、僕は「沖縄が重い」と表現したが、その気分はますます強くなっているからだ。

 周知の通り、2014年の知事選を契機に沖縄は「オール沖縄」という新たな政治潮流を誕生させた。その後の衆院選でも辺野古の新基地建設反対派が全ての選挙区で当選し、沖縄はあたかも日本における唯一の野党のような存在感を見せつけた。

 その流れや背景を考えると、沖縄と本土の溝が深まれば深まるほど、県民はよりまとまっているかのように見えるかもしれないが、現実はそうではない。

 国と沖縄が対立すればするほど、沖縄内の対立構造も激化するのである。ややこしいことをいうようだが、理屈はいたって単純である。新基地に反対する人たちと、国に追随する「中央同化型の保守」や基地建設で潤う既得権益層の対立がいっそう深まるからである。

 中央同化型の保守については、本誌297号(2015年2月号)で書いた記事で定義しているのでそのまま引用させていただく。

 文字通り、政府に軸足を移した保守勢力。大田昌秀県政や稲嶺県政の頃から、「なんで県が中央と事を構えるのか」「政府とは事を構えない方がいい」と主張してきた前知事の仲井真氏や今回の衆院選小選挙区で敗北した後も「移設容認はやむなし」と述べた西銘恒三郎氏をはじめとする公約撤回組の自民党国会議員、および、翁長氏に対して、「関係修復は不可能」と対決姿勢を見せている自民党県連幹部など─。

 加えて現在は保守系9市長でつくる「チーム沖縄」や経済界の若手なども合流し、市町村選挙ではオール沖縄系の候補の擁立を直前まで阻んだり、あるいは抑えて勝利したりするなど、建設業を中心とした利権団体を取り込みながら、その勢力を維持・拡大させている。

 新基地反対運動は政府による強引な着工後もひるむことなく活発に展開され、本土からは沖縄が一枚岩のように見られがちだが、実態はそうではないということだ。むしろ、沖縄の政界は新基地建設をめぐって対立が泥沼化している。

 このあたりの複雑怪奇な沖縄の事情がはたして本土に伝わっているかどうか、ともかくも沖縄は以前にも増して一つにまとまれない状況が深く進行している。

我喜屋氏が産経新聞で地元紙批判 地元メディア沈黙の奇妙さ

高層マンションが次々と建設されている那覇市拡大高層マンションが次々と建設されている那覇市
 その「標本」というべき出来事が5月22日付の産経新聞に掲載された。記事は復帰45周年に寄せて興南高校野球部監督の我喜屋優氏のインタビューをまとめたもので、「差別されているとは絶対に言いたくない」「独立は非現実的、常識ある沖縄になって」ときわめて政治色の強い見出しが掲げられている。

 我喜屋優氏は1950(昭和25)年生まれ。1968年、夏の高校野球甲子園大会に興南高校野球部主将として出場しベスト4。2007年から同校野球部監督に就任し、2010年、沖縄県勢初の春夏連覇を果たしている。

 インタビューのなかで我喜屋氏は沖縄タイムスと琉球新報について次のように語っている。

 「地元の新聞(琉球新報、沖縄タイムス)の記事は目を背けたくなります。基地問題で反対運動をする人たちも相手をののしったり、警察官の人権を無視したり…。そこまでやってほしくない。地元紙は一方的なことしか書かない。それこそ沖縄の人間はそうなんだと見られてしまいます」

 作家の百田尚樹氏が自民党の勉強会で「沖縄の二つの新聞社はつぶさなあかん」(2015年6月25日)と発言したことは記憶に新しい。その「事件」を彷彿させるような内容だが、我喜屋氏は「辺野古の移設は決まったことで、これに従わねばならない」と基地問題についてもかなり突っ込んだ発言を展開している。

 我喜屋氏についてはくしくも前述した『消えゆく沖縄』のなかでもふれた。氏はいわゆる「ゆるい沖縄」の風土を問題視し、「のんびりしたムードやテーゲー(適当)では勝てない」と県民気質を強く否定したのだが、ここにきて政治発言までするようになったわけだ。

 むろん、どんな立場であれ何を語ろうと自由だが、氏は「子供たちが地元紙のプロパガンダ的主張に洗脳されることが怖い」とまで述べている。ついでながら、我喜屋氏は学校法人興南学園の理事長で、興南中学・高校の校長も兼任している人でもある。

 教育の場でもこのような発言をしているのか気になるところだが、なにより影響力のある人物の発言だけに怖い。

 しかし、当の沖縄ではそれ以上に奇妙な現象が起きている。

 2年前の百田発言については特集が組まれるほどメディアや県民は敏感に反応したにもかかわらず、我喜屋氏のこの発言に対しては、琉球新報が1カ月以上も経ってから7月2日にようやくインタビュー記事を掲載した程度で、他のメディアは沈黙を保ったままなのである(7月7日現在)。

 もとより地元では産経新聞を購読している人は限られているから、記事を目にした人は極めて少ない。ゆえに地元メディアは無視しているのだろうか。

 しかし、「地元紙は一方的なことしか書かない」「決まっても従わない沖縄」とまで非難されているのである。ここまでいわれれば、しかるべき反論があってもおかしくないし、地元メディアも本人に直接取材をして真意を聞くべきではないのか。

 我喜屋氏の動向も不可解である。これほどの確固たる持論があるなら、まず地元メディアで堂々と語るべきだと思うが、さすがにそれははばかられるのか、県民の目に触れないところで大口をたたいているようにも見えなくもない。

絶え間なく続く日本への同化運動 拡大再生産される民族的差別

再開発が進んでいる那覇市民の台所「農連市場」周辺拡大再開発が進んでいる那覇市民の台所「農連市場」周辺
 沖縄が主題でありながら、地元では語らず、地元のメディアも取り上げないのなら、沖縄には議論する「土俵」らしきものがないということになる。あるいはもしかすると、沖縄人同士だからこそ話題にしづらいということなのだろうか。

 外(本土)からきた僕などはついそう勘ぐってしまうのだが、不可解きわまる出来事ではあるものの、物は考えようである。結果的に、現在の沖縄の言論状況がどうなっているかを掘り下げて考える契機を作ってくれたからである。

 我喜屋氏の言葉には沖縄人の「宿痾(しゅくあ)」というべき志向が見てとれる。

 「沖縄が本土の模範にならなければいけないと思い続け、今もそれが目標です。小さいことにこだわりません。『差別されている』とは絶対に言いたくありません」

 読みながら河上肇舌禍事件がよみがえった。1911(明治44)年、沖縄を来訪した京都帝国大学助教授、河上肇は当時としてはまだ非国家主義的性格を残していた沖縄の持つ可能性を積極的に評価し、次のような趣旨の発言をした。

 「沖縄は言葉、風俗、習俗、信仰、思想、その他あらゆる点において、内地と歴史を異にしている。而して或いは本県人を以て忠君愛国の思想に乏しいというが、これは決して嘆ずるべきことにあらず」

 これに対し、地元紙は猛烈に反発し、「忠君愛国に邁進する沖縄県民を愚弄するものだ」として非難が続出したのであった。この事態を受け、河上肇は失意のうちに沖縄を離れている。

 これより前、近代沖縄の新聞人、太田朝敷は「クシャミまで日本人の真似をせよ」とまで述べたが、このことは時代が下るにつれて当時の皇民化教育の影響で、知識人や教育者などエリート層を中心に日本への同化がより一層進行していたことを意味する。

 事実、標準語励行運動も積極的に展開され、1940(昭和15)年に沖縄を訪問した日本民藝協会の柳宗悦の発言は、いわゆる「方言論争」に発展した。

 「沖縄方言は日本の古語の宝庫であり、学術的に貴重である。標準語の励行がゆきすぎて、このままでは沖縄方言を見下すことになる。他県にこのような運動はない」

 これに対して県学務部は、

 「県民は標準語能力が劣っているため県外で多大な不利益を受け、劣等感を抱いている。標準語の励行が県民を繁栄に導く道で、学術的な価値については研究者の領域である」

 と、これまたヒステリックなまでに反発した。この標準語の励行は「方言撲滅」なる運動にまで発展し、翌年勃発した太平洋戦争突入後も継続された。

 当時の県民は差別撤廃に向けて闘うよりも、日本に同化することが、差別から逃れる唯一の策であると信じていたようだが、沖縄戦では日本軍にスパイ扱いされ、殺されるという悲劇が頻発した。

 戦時においてはどんな人間も極限状態に置かれる。いかに県民が同化に邁進したところでこうした惨劇は起きたであろう。もとより、軍隊は住民を守らない。軍隊は軍隊だけを守る。これこそが軍隊の本質だからである。結果、沖縄は日本の身代わりになった。

 県民はそのことを哲理として学んだはずだが、ともかくも、我喜屋氏は「本土の模範たれ」と主張するのである。僕には戦前の同化運動と何ら変わらない「志向」としか思えないのだが、彼はくどいまでに「常識ある沖縄になれ」とまで言い切るのである。

 非常に乱暴なことをいうようだが、日清戦争による清国の敗北によって、帰属できる大国を失った沖縄はそれ以降今日に至るまで、日本への同化運動が絶え間なく続いている。復帰運動もしかりで、方言という地生(じば)えの文化を否定し、「共通語を使いましょう」という訓令を学校に掲げ、標準語励行運動を復活させた教育現場のあり方を見れば、復帰運動こそ壮大な日本への同化運動だったといえる。

 むろん、時代によって同化志向も強弱があり、同化を否定する運動も見られたが、沖縄の現代史は同化ベースで貫かれている。

 もっといえば国と沖縄の溝が深まり、 ・・・続きを読む
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筆者

仲村清司

仲村清司(なかむら・きよし) 作家、沖縄大学客員教授

1958年、大阪市生まれの沖縄人2世。大阪に18年、京都に4年、東京に16年暮らし、96年、那覇市に移住。エッセーや旅行記などを発表し、近年は沖縄の歴史や基地問題にも執筆活動を広げる。著書に『本音の沖縄問題』(講談社現代新書)、『本音で語る沖縄史』(新潮文庫)、『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房、共著)など。