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真実と偽りが二極化する危うさ

オウム事件から激変した日本社会

森達也 映画監督、作家、明治大学特任教授

 テレビ・ディレクター時代、オウム真理教の信者たちを被写体にしたドキュメンタリーの撮影を始めてすぐに、所属していた番組制作会社である共同テレビジョンの上層部から、オウムを絶対悪として強調する意識が足りないと注意された。その時点ではフジテレビで番組として放送されることが決まっていたけれど、局の上層部も同じ意見だと上司である制作部長からは説明された。もっと悪辣(あくらつ)さを強調しろ。オウムは日本社会に出現した絶対的な悪なのだ。

 言われていることの意味がよくわからず(実は今もわからない)、曖昧な対応を続けていたら撮影中止を言い渡され、仕方なくデジタルキャメラを手に一人で休日に撮影を続けていたら、社命に背いたとの理由で解雇を言い渡された。

 もっと悪辣さを強調しろとの指示の意味は今もわからないが、撮影中止となった要因のひとつはわかる。撮影が始まったそのタイミングで、TBSが坂本弁護士事件に結果として関与してしまっていたことが明らかになり、全メディアに激震が走ったのだ。ウィキペディアから概要を引用する。

 TBSビデオ問題は、1989年(平成元年)10月26日に、TBSのワイドショー番組『3時にあいましょう』のスタッフが、弁護士の坂本堤がオウム真理教を批判するインタビュー映像を放送前にオウム真理教幹部に見せたことで、9日後の11月4日に起きた坂本堤弁護士一家殺害事件の発端となったとされる事件であり、TBSが引き起こしたマスコミ不祥事・報道被害である。

 事件はオウム真理教への強制捜査(1995年3月22日)が行われたのちの一連のオウム真理教事件の捜査の途上で浮上し、当初は否定していたTBSが1996年3月になってから認めたもので、TBSオウムビデオ問題、オウムビデオ問題、TBSオウム問題、TBS問題などとも呼ばれる。

 この記述は相当にあっさりしているが、この時期にテレビ業界にいた人ならば、激震の凄まじさは記憶しているはずだ。TBS以外のテレビ各局は、情報源の秘匿というジャーナリズムの原則を逸脱したことで結果的にはオウムの犯罪に加担したとしてTBSを激しく叩き、多くの人はTBSの放送免許取り消しなどを主張した。「3時にあいましょう」の後続番組である「スーパーワイド」は打ち切りとなり、複数のプロデューサーが懲戒解雇の処分を受け、磯崎洋三社長は辞任し、TBSは反省のあかしとして午前0時以降の番組をしばらく休止した。

 でもTBSを激しく批判しながら、各局関係者は、「ウチだってやばい」と思っていたはずだ。なぜなら地下鉄サリン事件からしばらくのあいだ、オウムはメディアにおいてはまさしくキラーコンテンツだった。この時期によく耳にしたのは、「オウム特需」という言葉だ。新聞は毎日1面。号外も頻繁だった。テレビは通常編成を打ち切って早朝から夜中までオウムの特番ばかり。オウムの名がつくだけで高視聴率は約束されたし、雑誌や新聞は部数を上げた。不安や恐怖を煽れば視聴率や部数は上がる。だからメディアはオウムの危険性や悪辣さを強調する。これは市場原理だ。

 こうして常軌を逸した取材や報道がスタンダードになる。オウムは生物兵器をすでに保持しているとのニュースが流れた時期もある。核兵器を持っていると断定した週刊誌もあった。つまりフェイクニュースだ。

 普通ならば反論が立ち上がる。事実関係を検証した誰かが声をあげる。でもオウムは日本社会に対峙する敵の位置にいた。国民の憎悪は凄まじい。少しでも違う角度の報道をすれば、オウムを擁護するのかと叩かれる。さらに生物兵器や核兵器を保持していると報道しても、オウムからの抗議はほとんどない。なぜならこの時期のオウムは混乱状態で、上層部や幹部の多くは逮捕されて指示系統も錯綜していた。つまりやられっぱなしなのだ。

TBSを叩いた後の委縮

 多くのメディア関係者は、オウムの危険性を煽るばかりの記事を書いたり番組を制作したりしながら、自分たちは常軌を逸しかけていると気づいていたはずだ。だからこそTBSを激しく叩きながら、「自分たちだって叩かれればいくらでも埃が出る」と意識下で感じていた。

 こうしてTBSを激しく叩きながら、他のメディア(特にテレビ)は委縮した。不思議な現象だ。でも実は最近もあった。2014年に起きた朝日新聞の従軍慰安婦報道問題だ。このときもメディアは「売国新聞」「国益を侵害した」などと激しく朝日を罵倒した。国のトップである安倍晋三首相は、慰安婦問題を間違った解釈で国際世論に広めたと朝日新聞を名指しで攻撃した。

 そうした状況を見ながら、きっと各メディアは委縮すると僕は思っていた。忖度(そんたく)や自主規制はこれまで以上に強くなり、風や流れに逆らうことが難しくなる。そしてこの予想は、(その後のメディア状況を見れば)ほぼ的中したと言っていいだろう。

 時代は区切られていない。常に連続している。繋がっている。オウムがメディアに与えた影響は大きい。TBS事件後、メディアはオウムに対して一気に及び腰になり、オウムはキラーコンテンツの位置から取扱注意になった。オウム幹部のインタビューを放送することは国民に対してのプロパガンダになるとの奇妙な論理で、テレビ各局はこれを自粛することが当たり前になった。だからこそフジテレビと共同テレビジョンは、撮影が始まったばかりの僕の作品を問題視した。

 補足するが、メディアは自分たちの名前を決して匿名にすべきではないと思っているので、僕はフジテレビと共同テレビジョンという固有名詞をここに記載している。ただしフジテレビと共同テレビジョンだからこの事態が起きたわけではない。テレビ朝日とテレビマンユニオン、日本テレビとドキュメンタリージャパンでも、同じことが起きた可能性はある。

『A』が忌避された理由

1998年公開のドキュメンタリー映画『A』から。マイクを向けられているのは、オウム真理教の荒木浩・広報副部長拡大1998年公開のドキュメンタリー映画『A』から。マイクを向けられているのは、オウム真理教の荒木浩・広報副部長
 でもそれは今だから思うこと。当時はわからなかった。そもそも意識がなかった。なぜ撮影中止を命じられたのか、なぜオフの日に一人で撮り続けたことで解雇されるのか、その理由が僕にはわからなかった。とにかく会社から排除された。3人目の子供が生まれる直前だった。これからどうやって生活すればいいのかと途方に暮れた。撮影済みの映像をラフに繋いでパイロットフィルムを作り、フジテレビ以外の各局の知り合いや伝手(つて)を頼ってアポイントをとっては持参した。でも結果はすべて同じ。こんな映像を放送することなどありえない。その答えは共通していた。門前払いされたことも二度や三度ではない。どうやら自分はテレビ業界から排除されかけている。道を踏み外しかけている。そう気づいたがどうしようもない。

 結果としてその作品が、1998年に自主制作ドキュメンタリー映画『A』になった。なぜこれほどに僕の映像はテレビから忌避されたのか。あの頃はその理由がわからなかった。でも今ならわかる。なぜなら映画は持続する。テレビと違って観た人の感想を直接聞くことができる。『A』を観た多くの人は、「オウムの信者があれほどに普通だったとは思いませんでした」と最初の印象を口にする。確かに彼らは普通だ。普通という言葉の定義は実のところ難しいが、少なくとも一般的な基準よりは善良で純真で優しい。考えれば当たり前だ。人を殺すために出家した人など一人もいない。世界を救済すると信じて出家したのだ。出家前は障害者施設で働いていた信者がいた。でも彼らの生活のサポートはできても、本当の意味で彼らを救えない。そう思い悩んだすえに、彼はオウムの門を叩いた。真面目なのだ。善良なのだ。そんな信者はたくさんいる。

 ただし彼らのそんな側面を伝えることは、当時の(あるいは今も)ほとんどのメディアではNGだ。彼らが普通であるとのアナウンスはできない。当時のメディアがオウムを伝えるとき、レトリックはほぼ二つに限定されていた。

①邪悪で狂暴で凶悪な殺人集団
②麻原に洗脳されて感情や理性を失った危険な集団

 この二つに共通するのは、彼ら(オウム)は自分たちとは違う存在であると視聴者や読者に訴えることだ。違う存在であるから、あれほどに凶悪な事件を起こしたのだと社会は腑に落ちることができる。事件後にメディアと社会が考えるべきは、これほどに普通の人たちが、なぜこれほどに凶悪な事件を起こしたのか、そのメカニズムだ。でも結果としてメディアと社会は、この煩悶(はんもん)や洞察を拒絶した。邪悪で狂暴だから人を殺したとの単純な構図に事件を回収しようとした。

 そしてこのレトリックは、これほどに危険な個人や組織が存在しているとの危機意識を喚起する。しかもあれだけの報道量だ。だからこそオウム以降、日本社会は劇的に変質した。不安や恐怖を抱いたがゆえに一人が怖くなって集団化が加速した。集団は同調圧力を強めながら、集団内では同調しない異物探しに躍起になり、集団外に共通の敵を探し求めるようになる。その帰結が今の日本であり、アメリカ同時多発テロ以降はこの傾向が世界に拡散した。

日本はオウムを置き去りにした

 『A』発表から3年後に、僕は『A2』を発表する。この過程で、メディアに対する僕の意識は劇的に変化した。

 今も時おり、もうオウムは撮らないのですかと訊かれることがある。つまり『A3』だ。ただし(映画ではないが)、麻原彰晃とオウム裁判をテーマにした『A3』(集英社文庫)は、活字作品としてすでに発表した。だからもし映画を撮るのなら、順番としては『A4』になる(何だか紙のサイズのようだ)。

 もしも今『A4』を撮るのなら、現状としてはオウムの後継団体である「アレフ」と「ひかりの輪」が撮影対象になるけれど、その意欲はまったくない。なぜなら今この二つを撮っても、日本社会のメタファー(暗喩)にはなりえないからだ。

 『A』および『A2』は、被写体は確かにオウム真理教の信者たちであるけれど、作品は決して「オウムのドキュメンタリー」ではない。テーマは日本社会だ。つまり『A』と『A2』は、サリン事件後のオウムをメタファーに使いながら、オウム出現後の日本社会の変化にフォーカスを合わせた作品だ。

 でも今の「アレフ」と「ひかりの輪」は、もう日本社会のメタファーにはなりえない。それほどにこの22年で日本社会は大きく変質した。ある意味でオウムを置き去りにした。撮るのなら、『A2』発表後すぐに撮るべきだった。

 実のところ『A2』を編集しながら、『A3』の構想はすでに考えていた。実際に撮影素材の一部は『A3』に使うために、『A2』から落としていた。でも身体が動かなかった。撮影に行くことができなくなった。その理由は幾つかあるけれど、『A2』が興行としては失敗だったことは大きな要因だ。オウムへの憎悪がまだ生々しい時期に公開された『A』については、ある程度のあきらめはついた。でも『A2』は、公開時には地下鉄サリン事件からすでに約6年が経過したことに加え、その公開前年の9月11日に起きた同時多発テロによって急激に変質する(つまり集団化だ)アメリカを目撃したことで、多くの日本人はクールダウンしたはずだと僕は思いこんでいた。

 結果は惨敗だった。オウムへの嫌悪と憎悪はむしろ肥大していた。興行成績は『A』以下だ。そのダメージが大きかった。だから撮ることができなくなった。

 『A2』が観客を動員できなかった大きな理由は、 ・・・続きを読む
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筆者

森達也

森達也(もり・たつや) 映画監督、作家、明治大学特任教授

1956年広島県生まれ。テレビ番組制作会社などを経て、フリーランスに。監督作にオウム真理教に密着したドキュメンタリー映画『A』『A2』、作曲家・佐村河内守に密着した『FAKE』など。著書に『FAKEな平成史』(KADOKAWA)、『不寛容な時代のポピュリズム』(青土社)、『A3』(集英社文庫)、『「A」―マスコミが報道しなかったオウムの素顔』(角川文庫)など。