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「戦後レジームからの脱却」は駄法螺

自称保守と花畑左翼の知的劣化

適菜収 作家、作詞家

 2018年、日本はどうなるのか?

 多分どうにもなりません。別に斜に構えて、皮肉を言っているのではない。2015年も2016年も2017年もどうにもならなかったのだから、2018年もどうにもならないと考えるのが筋です。「政治が腐っている」「世の中がおかしくなってきている」と嘆きたくなる気持ちもわかります。私だってそうです。でも、嘆いたところでどうなるわけでもない。政治を嘆く人間など、大昔から山ほどいた。そしてどうにもならないまま人生の幕を閉じた。だから、落ち着いて一歩引いて考える必要があります。

 私がよく例に出すのが20年、200年、2000年という数字です。

 55年体制が壊れてからだいたい20年、フランス革命からだいたい200年、キリスト教の発生からだいたい2000年というスパンで考えたほうが、いろいろなことがわかりやすくなる。最先端の情報を追うにしても、それを取捨選択する価値判断の基準は過去を参照するしかない。だから、スパンは長いほどいい。

世に蔓延る「安倍的なもの」

拡大衆院選で安倍首相の演説に集まった人たち=2017年10月21日、名古屋市中村区のJR名古屋駅前、小川智撮影
 過去は現在の問題と直結しています。歴史家のクローチェは「すべての歴史は現代史である」と言った。過去の歴史を解釈するのは現代人です。ニーチェは同時代のショーペンハウエルとヴァーグナーを通して古代ギリシャを論じたし、逆にシュペングラーは目の前に迫る危機の本質を数千年の視点で考えた。

 卑近な例を挙げれば、安倍晋三の行動について論じるときでも、2万年、20万年といった人類の歴史からの視点が必要だと思う。200万年前ならアウストラロピテクスです。

 私は政治の専門家ではありません。もともと近代大衆社会の仕組みに興味があり、それを考える上で現在の政治状況を題材にしているだけです。安倍政権に関しては、『安倍でもわかる政治思想入門』『安倍でもわかる保守思想入門』『安倍政権とは何だったのか』の3冊の本にまとめました。これも、安倍個人を批判したり揶揄したりすることが目的ではなく、ああいうものを生み出してしまったわれわれの社会について考えるためです。

 ニーチェは『この人を見よ』で言います。

《ただ私は個人を強力な拡大鏡として利用するだけだ。危機状況というものは広く行きわたっていても、こっそりしのび歩くのでなかなかつかまらない。ところが個人という拡大鏡を使うとこれがよく見えて来るのである》

《またこれと同じ意味において、私はヴァーグナーを攻撃した。もっと正確に言うと、すれっからしの人を豊かな人と取り違え、もうろくした老いぼれを偉人と取り違えているドイツ「文化」の虚偽、その本能-雑種性を私は攻撃した》

 風邪をひいている人間を見ることはできても、「風邪自体」は見ることができない。それと同じで、ヴァーグナーという個人を論じることで、時代の病を浮かび上がらせることができる。

 よって、問題は安倍個人より今の世の中に蔓延(はびこ)る「安倍的なもの」である。安倍を引きずり下ろしたところで、社会が病んでいれば、この先も同じようなものが持ち上げられるだけだ。捉えなければならないのは、現在のわが国の「危機状況」である。

自壊する大衆社会

 大まかに目の前の状況を言えば、やはり近代が最終段階に入ったということだと思います。19世紀半ばあたりから多くの哲学者や歴史家が、近代が前近代に戻ることができない構造であることを示した上で、あまり明るくない未来を予言してきました。ニーチェもブルクハルトもオルテガもル・ボンも、大衆社会が自壊へ向かう道筋を示してきた。そして、概ねその予言が妥当であったことは20世紀の歴史が証明している。トクヴィルが予言した〝民主主義に付随する新しい形の専制〟は、全体主義という形で出現したし、現在にもその影を落としている。

 その西欧を差し置いて、真っ先に壊れたのが、わが国である。

 日本には西欧のように近代に対する免疫がなかったからだ。幕末に西欧から遅れて入ってきた近代イデオロギーは、神棚に飾られ、やがて反論することが許されなくなった。山本七平は近代啓蒙主義およびそこから派生した民主主義の神格化に、戦前戦中から引き継がれた「一億一心的な発想」を見出した。

《完全に啓蒙された人間ができればそこに理想的な民主主義社会ができるはずで、社会にさまざまな問題があるのは一に「まだ民主化が足りない――啓蒙が不足している」からであり、これを推し進めることが、一切の問題を解決する鍵であるかの如くに考えられ、この考え方に疑問を提示することさえ許されなかった》(『日本人の人生観』〈講談社学術文庫〉所収「『さまよえる』日本人」)

 啓蒙主義により蒙が啓かれたのではなくて、逆に日本人はドグマに落ち込んだ。

《戦後すぐに行われた「民主的」「封建的」という対比においても、「進歩」と「反動」という対比においても、常に、啓蒙主義を基礎とする輸入の新思想が絶対的権威とされ、それと対置されるものは否定・笑殺・棄却さるべき対象とされた》(同前)

 インカ文明を滅ぼしたのは、剣ではなく伝染病だった。

 近代的価値は「普遍性」により基礎づけられているが、その背後にキリスト教、もっと遡ればプラトンを見出したのがニーチェである。そしてそれこそが、人間性を蝕む病であると喝破した。やはりこれも人類数千年の問題なのです。

 こうした意味において、ニーチェはもっとも根源的な保守思想家でした。

 保守主義の本質は人間理性に対する懐疑です。近代的理想の神格化が野蛮に行き着くプロセスを熟知すること、合理や理性の支配に対する抵抗、ヴィーコにはじまる反デカルトの流れ……。こうした知的伝統が保守主義の基盤になっていますが、現在のわが国では保守はほぼ壊滅状態であり、単に頭が悪い人たちが「保守」を自称するようになってしまった。口を開けば「改革」と唱える連中、冷戦時代で思考停止した単なる反共、財界と結びついた新自由主義者、ネオコンのトロツキスト、排外主義者、復古主義者(要するに理想主義者)、愛国コスプレ、ビジネス保守、政権ヨイショライター……。いわゆる「保守論壇」や「保守系新聞・雑誌」で文章を書いている連中でも、ほとんど保守を理解していない。せいぜいネトウヨに毛が生えた程度。

 政治も完全に底が抜けてしまった。いまや共産党ですら口に出さなくなった「革命」という言葉が政権中枢から発せられるようになった。

 結局、わが国には保守は根付かなかった。近代の防波堤たる保守が消滅したのだから、負の側面が顕在化するのは必然です。

 安倍は日本をリセットし、「新しい国」をつくりたいらしい。

 2014年、世界経済フォーラム年次会議(ダボス会議)の冒頭演説では、徹底的に日本の権益を破壊すると宣言。電力市場の完全自由化、医療の産業化、コメの減反の廃止、法人税率の引き下げ、雇用市場の改革、外国人労働者の受け入れ、会社法の改正などを並べ立て、「そのとき社会はあたかもリセット・ボタンを押したようになって、日本の景色は一変するでしょう」と言い放った。

 この極左グローバリストを礼賛し続けているのもまた自称保守連中です。

頭の弱い自称保守

拡大郵政選挙」の応援演説で、聴衆からの声援に手を振ってこたえる小泉純一郎首相(当時)=2005年8月30日、神奈川県相模原市
 アクトンは自由を擁護する立場から、「権力は腐敗する、専制的権力は徹底的に腐敗する」と言い、フランス革命を批判しました。そこでは人民の名の下に権力が一元化され、結果、恐怖政治と社会の崩壊を招くこととなったからです。権力は必ず暴走する。権力の集中は必然的に全体主義に行き着く。

 保守とは権力に対して警戒を怠らない態度のことでもあります。だからこそ、あらゆる保守思想家は、権力の分散を説いてきたのです。人間理性を信用していないので、議会主義や三権分立、二院制といった権力を分散させる仕組みを重視する。慎重にものごとを判断するわけです。

 人間は危険なものを排除したり、危機に備えるシステムを構築します。

 津波に備えて堤防をつくる。風疹に備えてワクチンをつくる。万が一の事態を想定してセーフティーネットを用意しておく。

 保守思想は、権力をいかに縛るかという思考の下に深化してきましたが、こうした「常識」が通用しなくなったのが今の日本です。

 2015年の安保法制騒動の際、頭の弱い自称保守は、「立憲主義などと言い出すのは左翼だ」「左翼の憲法学者が言っているだけ」「法匪(ほうひ)だ」などと騒いでいたが、もちろん立憲主義は保守思想の根幹である。政治思想史の初歩の初歩を振り返ればわかる話ですが、それを「立憲主義は左翼の妄想」と切り捨ててしまうところに、今の保守論壇の知的劣化が表れています。それで、今では権力に迎合するのが「保守」ということになってしまった。

 一方、全体主義勢力は権力を一元化する。共産主義もその一つの現れです。近代の理想を実現させるためには、強大な中央権力が必要になる。あるいはその理屈を建前として利用する。ロベスピエール、スターリン、毛沢東、ポル・ポト……。要するに、立憲主義的な発想を否定してきたのは、権力を集中させた左翼勢力です。

 現在わが国で進んでいるのは、こうした知の混乱と言葉の定義の崩壊です。

 特にこの20年にわたり、近代に対する防波堤が次々と破壊されてきた。

 裁判員制度、首相公選制、一院制、住民投票の拡大、行政府の権限の拡大……。こうした愚策の数々が論じられてきたが、いずれもセーフティーネットを破壊する民主主義的な運動です。

 こうして本来保守がもっとも警戒すべき全体主義、人治国家の悪夢が繰り返されようとしている。

 結局、数年単位の短いスパンで政治を見ているから間違うのだ。

ポピュリズムが政界を汚した

 最低でも20年のスパンで考えれば、大きな転換点は四つあったと思う。

 一つ目は1994年の政治制度改革だ。簡単に言えば、 ・・・続きを読む
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筆者

適菜収

適菜収(てきな・おさむ) 作家、作詞家

1975年、山梨県生まれ。『ゲーテの警告』『ミシマの警告』(ともに講談社+α新書)、『なぜ世界は不幸になったのか』(角川春樹事務所)、『死ぬ前に後悔しない読書術』『おい、小池!』(ともにKKベストセラーズ)など著書多数。