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メディアを目指す若者のための座談会

人が気づかないことを伝えられる ネット時代は「見せ方」にも工夫を

石戸諭 神原一光 野上英文 與那覇里子 藤代裕之

 メディアを目指す学生に向けて、第一線で活躍する30代の4人の座談会を企画しました。石戸諭さんはネットニュースBuzzFeed Japanの記者で、東日本大震災の被災者を描いた本を著しました。NHKディレクターの神原一光さんは、話題のNHKスペシャル「AIに聞いてみた」の担当者です。朝日新聞記者の野上英文さんはタックスヘイブンの実態を暴く「パラダイス文書」報道に取り組んできました。沖縄タイムスの與那覇里子さんは、沖縄戦の戦没者の足跡をデジタルでたどる「沖縄戦デジタルアーカイブ」で注目されました。4人がどんな思いで仕事をしていて、メディアにはどんな人が来てほしいかなどを、法政大学准教授でジャーナリストの藤代裕之さんの司会で語り合いました。

座談会の出席者のみなさん(吉永考宏撮影)

 藤代 この座談会は、難しい時代にメディアの中で充実した仕事をしていくためにはどうしたらいいか、メディアの仕事の魅力を大学生に伝えたいという思いから、人選させてもらいました。今日はメディアのおもしろさとか、やりがいを個人の観点に立ち返って、話してもらえるとありがたいです。

石戸諭さん(吉永考宏撮影)石戸諭さん(吉永考宏撮影)
石戸 BuzzFeed Japanで記者をしていますが、きょうは組織の代弁者としてではなく、新聞、ネットメディアを経験した一記者として発言します。僕の今年の目標は「ソロで生きる力を身につける」です。そこで、記者として独立した力をつけるために必要なのは基礎です。
 組織の強みは歴史にあると思います。僕は毎日新聞に10年いました。毎日新聞の百年以上の歴史は馬鹿にできません。基礎を身につけるための、有形無形のノウハウが詰まっています。
 外に出てわかりましたが、人材育成という観点からみれば、新聞社はすぐれていると思います。取材して、書く基礎が高い水準で身につくからです。
 いまの大学生には、オールドメディアは時代遅れだと思われているかもしれないけれど、基礎トレーニングは大切です。インターネットに可能性を感じている新卒の人たちにこそ、まずは新聞社をおすすめしたいですね。

神原 僕は2002年に新卒でNHKに入局して、初任地は静岡放送局。その後、東京に異動して「トップランナー」や「天才てれびくん」といった若者向け番組や、報道情報番組「週刊ニュース深読み」を担当し、「おやすみ日本 眠いいね!」「しあわせニュース」といった新番組の開発やドキュメンタリーの特番もいくつか制作して、4年前に「NHKスペシャル」を中心に制作する部署に来ました。
 今、特に感じていることは、テレビ番組のアイデアは、テレビとは異なる業界にヒントがあると思っていて、実は他の業界に精通している人に、メディアにたくさん来てほしいなと思っています。メディアに入ることが目標になってしまっている学生が多いと聞きますが、メディアにどういう風を吹き込んだら、これまで以上に活性化するかを提案できるような人と一緒に働きたい。そんなことを今日は話せたらいいなと思っています。

野上 2003年に入社して、ずっと朝日新聞で働いています。14年間に8回、転勤というか、転居をしていますね。

藤代 結構していますね。

野上 かなり多いほうです。社会部が長く、今は国際報道部という、特派員の下支えと、自分で東京を中心に国際ニュースを追う部署にいます。
 1回目の大阪社会部のときは検察担当で、大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を先輩たちと調査報道しました。東京では経済部で、日本銀行などを担当し、2回目の大阪社会部では、橋下徹・大阪市長(当時)が最後の政治決戦とした大阪都構想の住民投票と、彼が引退するまでを追って、同僚と本にまとめました。
 記者になるきっかけですが、大学2年の秋に、急に新聞記者になりたいと思いました。それは、元新聞記者の人との出会いがきっかけでした。父親は公務員で、母親も医療の専門職なので、自分の人生で新聞記者とは全く接点はなかったのですけど、その人に出会って、「こういう人になりたい」と思いました。それまでまともに新聞を読んでこなかったので、それから毎日、吐き気をもよおしながらでも新聞を読みました。

藤代 吐き気を?

野上 新聞記者になるためには、新聞を読まないと始まらないと思ったのですが、慣れてなかったからです。だから新聞記者原理主義者というか、新聞記者になりたいという人が大好きです。
 時代が変わって、部数減とか、メディアが斜陽産業になっているというのは、働いている社員も自覚していて、だんだん志望者が減っているのはわかるのですが、14年間やって感じるのは、やっぱり動機が突き動かしている。いまも恩師の背中を追っかけてやっているようなところがあるので、最終的なメッセージとしては、やっぱりやる気がある人にジャーナリストを目指してほしいと思っています。

與那覇 沖縄タイムスで記者をしていますが、今、首都大学東京の大学院で、情報デザインの勉強をしています。

藤代 與那覇さんの入社動機を聞いたら、野上さんが席を立って出ていくという可能性があります。

與那覇里子さん(吉永考宏撮影)
與那覇 そうなんですよ。実は私はギャルの研究を大学のときにやっていて、ギャルのイベントを新聞社でやりたいなと思ったんですね。ギャルのイベントを社会的に地位が高そうで、社会の木鐸(ぼくたく)と呼ばれている新聞社でできたらいいなと思って新聞社を希望したんです。

 広告や営業を希望していたのに面接で「記者はどうか」と言われ、入社したら本当に記者だった。新聞記者を目指したことはありませんでした。
 最初は記者志望の同期と仕事に対する熱量の違いもありましたが、記者の仕事をしていくうち、夢中になりました。2014年、異動希望を出してデジタルの世界に来ました。リッチコンテンツと言われるものやネットならではの記事を執筆しています。もっとこの世界を学びたいと思っていま大学院に通っています。そこで最近思うのが、理系の人たちにもうちょっとリクルートのアプローチしたほうがいいんじゃないかということです。正直、メディアを目指すとか入りたいという人は文系が多いかもしれないんですけど、これから、テクノロジーのことを知らないと、コンテンツのいい表現も、いい見せ方もできていかないんじゃないかなと思います。もうちょっと理系への声かけとか、こういう業界もあるよというのを伝えたらどうかなと思いますね。

なぜ生き生きと仕事ができるか

藤代 それでは質問ですが、ネットでは「マスゴミ」と批判され、経営的にも厳しさが増す中で、みなさんは仕事を非常に熱心に、楽しそうにやっている。なぜ充実した仕事ができるのか、仕事にどんな意義があると考えているのか、二つ聞いてみたいなと思います。

神原 基本的には、みんなが知らないことを、世の中に発信できることが魅力です。でも、これだけ一報が早くて、ググッたり、ハッシュタグを通じて、すぐに情報が見つかる時代に、知らないことなんて世の中にあるのかという話になりますが、気づいているけど言語化できていないこと、気づいているけどやっていないことなどが社会には山ほどあって、その全部が「まだ見たことないもの」ということになるわけです。
 それを番組にして発信して、世に問いかける。すると、それを見た人が何らかの影響を受けて、考えや行動を変えるかもしれないですよね。そこにもう一つの魅力があるんです。
 個人の行動が変わるとか、制度や政策が変わるとか、小さなことから大きなことまであります。人の気持ちを動かしたり、変えたりするきっかけをつくることができる。そこに、この仕事の醍醐(だいご)味があるんだと感じています。

與那覇 私も神原さんに近くて、みんなが知らないとか、気づいていなそうだなということを感知するのが楽しみです。道を歩いていても、これはネタになるな、この切り口だったら記事にできるかもしれないなといったことを、日ごろの生活からいつも考えて、探しています。それが仕事につながっているのが楽しいなと思います。
 例えば、沖縄の成人式は、いつももめているような、わちゃわちゃしたシーンばっかりがメディアで流されている。けれども、背景にあるものは何なのかというのを案外取材されていませんでした。でも、これまで新聞社が蓄積してきた記事や写真を繋いでいくと今につながっていくのではないかと考えて記事を書きました。違う切り口で発信するという、私にしか切れないものというのを見つけていくこと。その積み重ねが記者としての力につながるんじゃないかと思うんです。

神原一光さん(吉永考宏撮影)
神原 番組を制作する上で、演出を取り入れていきますが、演出というのは「この見方っておもしろくありませんか?」というある種の提案だと思っています。事実の積み上げが取材であるならば、この事実をこう見せたらおもしろいとか、この視点から捉えたら「これは見たことなかった」と思ってもらうのが演出なので、それを作り手が試して、視聴者に受け入れてもらうといったある種の「呼吸」のやりとりがおもしろいと感じていますね。

與那覇 それって、記者の力としてもとても大事ですね。石戸さんが言っていたソロの力につながると思います。それができるかできないかで、記者としてひとり立ちできるのかどうかというのはあると思う。私も見せ方に関しては、ウェブに来てから考えられるようになりました。新聞という紙をベースにしているときは、どうやったら読んでくれるのかという意識はあまりありませんでしたが、ネットでは必要とされる力です。結局、私は演出方法に興味があって大学院に行っているのかもしれません。

山道で先人を追う感覚―石戸

石戸 もうちょっと視点を変えて話します。僕も野上さんと同じで、憧れの対象がいます。でも、それは新聞記者ではなく、1970年代~80年代の日本やアメリカのノンフィクション作家です。彼らは誰も知らないものを書いてみたいという意欲とともに、新しいノンフィクションの方法、文章の技法を開拓しました。ニュージャーナリズムと呼ばれた作品群です。高校生のころから彼らの仕事に憧れて、ニュースでも、もっと新しい伝え方ができるんじゃないかと思って仕事をしてきたんですね。
 僕は彼らへの憧れがすごく強かったので、キャリアのスタートとして、たまたま新聞記者をやっているだけだと思っていました。でも、それは新聞記者の仕事を否定するという意味ではないんです。今でもサツ(警察)回りは一定の意味があると思うし、取材力は毎日新聞で育成されたと思っています。新しい方法をやるためにも、基礎が大事で、可能性はその先にしか広がっていない。
 そうして経験を積みながら、彼らの作品を読み返し、どうやったら書けるようになるかを考えていくうちに、憧れの対象が「同業者」として身近になっていったんです。
 自分で本を書いているとき、「これは山道を登っているような感じに近いな」と思いました。この道は先人たちも、みんな通っている。彼らの背中を追いかけるような感覚です。彼らが積み上げた歴史の中に自分がいるんだと思ったのです。
 だったら僕もさらに新しい方法に挑戦しないといけない。そうしないと既にやられたことの模倣、繰り返しになってしまうと思いました。それでは、まったくおもしろくない。

近現代史を書いている―野上

野上英文さん(吉永考宏撮影)
野上 やりがいの話ですが、私の場合、パブリックとプライベートの動機があります。
 パブリックのほうで言うと、報道を通じて、身近な近現代史を書いているという意識を最近持っています。
 きっかけは旅行で南アフリカへ行った11年前。アパルトヘイト(人種隔離政策)の負の遺産でロベン島という島があって、黒人の方々の政治犯がかつて強制収容されていました。ツアーでそこに行く予定でしたが、高波で行けませんでした。
 日本人ばかりのツアーバスは、代わりにダチョウ農園に向かいました。その道中で添乗員の方が昔の新聞記事を読み始めたんです。それはアフリカ特派員がアパルトヘイト時代に書いた現地ルポでした。添乗員は図書館でデータベースを検索して持ってきたとおっしゃっていました。その記事で時空を超えたというか、当時の様子が何となくつかめたんです。ロベン島に行くことは大がかりな作業で、現代史をそこでつかもうと思うと、わざわざ行かないとだめですが、新聞記事って気軽に読み返せる。これがこの仕事の意味かもしれないなと思いました。
 その後の話ですが、私は東日本大震災から1年半たった後に福島原発事故の取材をする機会を得ました。それまで大阪社会部の検察担当で、持ち場を離れることができませんでした。特別報道部で私は、原発事故のときの自衛隊ヘリの放水の舞台裏を取材しました。ヘリの放水って、みなさん記憶あるかもしれないですけど、当時、みんな笑っていたんですよね。こんなの何の意味があるのかと。でも、放水の舞台裏を追うと、実は米軍・アメリカ政府が「英雄的犠牲を出せ」と日本政府に圧力をかけていて、どうしようもなくなった日本政府が自衛隊のヘリを飛ばしたことがわかりました。
 放水の直後に当時のオバマ大統領が菅首相との電話で「日本は努力していると思う」と伝えたという物語があるのですけど、半年間ほど取材して、福島原発事故から2年のときに書きました。発生1年半から2年というのは、記憶と記録が薄れていくぎりぎりのタイミングでした。あのとき私たちが取材しなかったら、研究者も世の中の人も知ることができない、史実が埋もれてしまうという意識で、途中からハイテンションになって書きました。
 自分たちはなぜ日々ストレートニュースを追っているのかというと、ストレートニュースはフローの情報で役割を終えると流れていきますが、5年、10年とか、100年とかたったときに、値打ちがおそらくもう一回、出てきます。22世紀の人が21世紀に書かれた記事を見返して、当時どんな時代で、どんなことが言われて行われていたのかというときに、手軽に読み返せるのが新聞じゃないかなと思っています。140年分の新聞縮刷版がデータベース化され、図書館でも閲覧できます。そんな近現代の1ページを残す。それがパブリックな理由です。
 次に、プライベートな理由です。身一つ、名刺一枚でいろいろな人に会える。私の人生は一つですけど、例えばさっきの話だと、直前にパニックになりながらもヘリ放水のボタンを押した自衛隊員から、その指示を出したコマンダー、日米政府関係者まで100人以上、会いに行っているわけですね。私の人生、絶対、彼らみたいな人生、生き方はできないけど、いろいろな人生に触れられる。それは学びが多く、この仕事を通じて自分自身が成長できるんです。それが結構おもしろい。そういうところが仕事の楽しさの半分ぐらいを占めているかなと思います。

本質ばかりに出あえる仕事―神原

神原 番組を作るたびに、多彩な専門家のみなさんに取材をする機会がありますが、専門家のみなさんはそれが本業ですから、話の中身が本質ばかりなんですね。その方が本気で取り組んでいることを毎日片っ端から聞ける。こんな仕事ってほかにあるのかと。本質にしか出あわない仕事で、お給料を頂くことができる。最高の仕事だと思います。
 さらにテレビというのは、番組をきっかけにコミュニティーをつくる力があると考えています。「あの番組、見た?」とか「あれ、おもしろかったね」という会話のネタになる。その時点で、言ってみればハッシュタグになるんですよね。それを過去にさかのぼってみれば、瓦版だし、街頭テレビでもあるわけです。そういう人の輪を生み出せることがテレビの醍醐味だと思います。
 例えるなら花火大会。パーンと上がった花火をみんなで見てワーッと盛り上がる。ただ花火は一度だけで消えてしまうから、それがいまのテレビの問題なのですが、社会という名の夜空に、大きな花火を打ち上げられるというのは、テレビならではかなとは思いますね。

大きな物語、小さな物語

藤代裕之さん(吉永考宏撮影)
藤代 消えちゃうというのは、やはりフローだからですね。普段の仕事は、ちぎっては投げ、ちぎっては投げ、と仕事に追われているかもしれないけれど、振り返れば価値を生むものもある。ジャーナリズムを直訳すれば記録主義で、日々の記録を刻んでいくことによって人々の歴史とか社会をつくっていくという大きな役割を担っているんですね。

石戸 僕は新聞記者をやって思ったけど、王道はストレートニュースで、やっぱり特ダネですよ。だけど、一方で隠れた物語をきちんと発掘して書いていく力というのも大事になってくる。10年、15年では古びないことをやりたいんですね。インターネットはみんなフローのメディアだと思っているけど、それは違っていて、ストックという機能もあり、それこそが何よりも大事なんだと思うのです。
 僕がインターネットで記事を書いている一番の動機は、長い時間に耐えられる記事をきちんと書きたいからです。一つの事件とか、事故とか、災害に出遭った人たちには何らかの物語が隠れている。そういう小さなものを小回りを利かせて、きちんと拾って、分量を気にせずに書けるのがインターネットの利点です。
 NHKや朝日新聞が取り組む大型の検証企画、放水のような大きな物語を描くこと、パラダイス文書……。コストも時間も、手間ひまをかけてやる仕事は、少なくとも現状のインターネットメディアでは無理でしょう。
 ただ、個人で勝負できる領域もあります。歴史に埋もれてしまうような個人の物語を発掘する、あるいは、震災や原発事故という大きな出来事が起きたときに、人はどうやって生きて、考えていったのかに迫ること。これはメディアの大小を問わずできると思っていますし、僕の本はその実践でもあります。
 書き方で勝負することもできます。最近はどこでも、調査報道が大事だという話ばかりです。確かにその通りなのですが、みんなが王道である必要はない。事実を淡々と伝えていくだけでは、おもしろくないですし、多様性がない。昔の新聞でもあったような、文章で読ませる記事の価値を、インターネットで取り戻していきたいという気持ちはあります。

小さな部分を積み重ねる―與那覇

藤代 今の話で僕が思ったのは、新聞社とかテレビ局、いわゆるマスメディアというのは近代の産物だから、大きな物語をやり過ぎたのかもしれませんね。大きな物語は、壮大でおもしろいけど、それを支えている小さな物語もあるじゃないですか。原発事故という大きな物語があるけれど、その中の生活とか家族の物語というのは小さな物語で、もしかしたらマスメディアというのは、そういうものをないがしろにしてきたのかもしれない。
 與那覇さんが取り組んだ沖縄戦アーカイブは、大きな物語の中に隠れている小さな物語を可視化する取り組みですよね。

與那覇 紙を離れて、ネットに来て気づくことって結構いっぱいあります。物語性は絶対ネットで必要だなと思っています。なぜなら、ネットでは最後まで読ませる力というのが絶対に大事だからです。あれだけの文章量、あれだけの写真量を読み手に読んでもらうというのは、見せる力も書く力も相当必要です。その基礎体力を、私は新聞で学んだと思います。
 新聞では、個人の物語という小さな話はあんまり載りません。だけど、小さな物語の積み重ねで、大きな物語ってあるわけじゃないですか。それを新聞の記者時代にはいまいち気づけなかった。
 アーカイブをつくりながら個人のデータ一個一個を重ねていって初めて大きな物語、歴史になるんだというのを実感しました。この小さな物語って、実はネットだとやりやすいんです。大きな物語を書かなくても、別に1面トップにならなくても、ネットだったらすべての記事が並列に置かれます。小さいもの、大きなものという区別がないのもいいところです。個人の物語をきちんと書けるし、小回りも利くから、ネットの世界に長くいたいと思いますね。

神原 テレビやラジオといった放送の観点から言うと、僕らが今、問われているのは、番組をつくって終わりじゃなくて、いかに視聴者に届けるのかという所まで設計していかなければならないということです。既存メディアの目の前から、読者、視聴者、オーディエンスが離れていっていると言われる時代ですから「つくる半分、届ける半分」という感覚でいないといけない。
 でも、届けることに関しては、いまの学生はLINEやインスタグラム、ツイッターといったものを肌で感じているわけで、空前の規模でコンテンツに接していますし、コンテンツを世の中に発信している年代だと思うんです。ニュースにしても、スマホを通して接しているから、ジャーナリズムにこれまでにない規模で接しているといっても過言ではありません。テレビに関しても「テレビ離れ」は起きているかもしれないけど、「映像離れ」は起きていないと僕は感じています。映像をシャワーのように浴びている世代ですよ。
 そういう彼ら彼女たちが、こういう書き方、描き方、撮り方があるんですよという提示をもっとしてほしいと思っているんです。それが明日のメディアを切りひらくと思っています。
 今はみんな答えがないから大チャンスですよ。アメリカのニューヨーク・タイムズから、日本の新聞・テレビ・ラジオ・出版まで、すべてのメディアがみんな困っている状態で、誰が次の新しいことをやるかという「世界同時多発メディア離れ食い止め合戦」が行われているわけです。学生の皆さん、それに参加しないわけにはいかないんじゃないですかってことなんですよ。

石戸 まさにその通りだと思うけど、組織ジャーナリズムの人たちに問題設定から考えてほしいことがあります。この手の話をすると、記者個人がいきなり「会社」を主語に話をはじめる光景に、よくでくわします。何であなたが会社を背負うんですかと言いたくなるんですよね。
 大事なことは「あなた」が、どういう仕事をしたいのか、だと思うんです。新しいニュースの伝え方が求められる時代で重要なのは、自分の中で何をやりたいか。これをはっきりさせなきゃいけないと思う。

組織の中で生きる

藤代 みなさんは、どうやって組織とつき合ったり、組織をある意味、ハッキングしたりしていますか。

神原 僕は、『会社にいやがれ!』という本を書いていて、25歳以下向けの仕事術をしたためたものなんですが、そこでも伝えたかったのが「個人」と「組織」という概念の先に、メディアである以上、やっぱり「社会」があることを忘れないでほしいということ。だから、個人と組織の戦いをしている場合じゃなくて、その先の社会を見据えて、この三つの中で、自分がやるべきことは何なのかということを延々問う必要があると思います。
 さらにテレビの場合は、ひとつの番組を制作するのに、多くのスタッフを要するんですね。ドキュメンタリーだとしても、撮影、編集、音響効果など15人ぐらいのスタッフは関わるわけです。スタジオ番組であれば100人。紅白であれば3千人が関わると言われています。
 そうすると、制作者に必要なのは、巻き込む力です。この番組はこれだけおもしろいよ、だからつくりませんか、と上司に向かって、スタッフに向かって、そして最終的には視聴者のみなさんに向かって呼びかけていく力がすごく求められていて、多くの人を巻き込むからこそコミュニティーが生まれて、「あの番組、よかったね」という共通の記憶ができるんだと思っていますね。

どんな球拾いでもする決意―野上

野上 新聞社って、まだ言いたいことを言えるというか、筋を通せば、まあ、聞いてもらえるというところは残っているのかなと思います。一方で、組織と自分ということになると、朝日新聞の名刺があるから相手も会ってくれるわけで、入り口としては、やっぱり会社の看板で仕事をしていて、それに伴う責任はあると思うんですね。ただ、2回目、3回目と会っていくときは、なるべく朝日新聞と言わないようにしています。会社の組織力を存分に生かしながら、相手との人間関係においては、自分を知ってもらうという努力はしますね。

藤代 仕事をしていると、組織の方針と違ったり、悔しい思いをしたりということもあると思いますが。

野上 社もの(会社主催イベント)取材って、はじめは結構やらないといけないんです。でも、私は1年目のとき、新聞記者は好きなことができると思って、好きなことばっかりやっていて、社もので訂正を出したんですよ。訂正を出すのって、正確さや信頼性をウリとする新聞社では大変なことなんです。それで、当時の総局長に「新聞記者は世の中の会社員よりも好きなことができる。だけど、全員が好きなことをやっていたら組織が回らんだろう。高校野球でも1年生は球拾いをやる。おまえはダルビッシュじゃないのだから、ちゃんと球拾いをしろ」と言われて心改め、自分の仕事をなし遂げるためにはどんな球拾いもやると決めました。
 ところで、組織論と個人論ですが、大きなニュースになればなるほど、実は、対外的な取材にかける力よりも、社内にかける力のほうが大きいんです。それはある意味で面倒くさいことだし、ある意味では良いことです。1面トップの記事を書こうと思ったら、いろいろなところから、いろんな指摘を受ける。それが記事を強くする。記者は素材の仕入れ人と料理人のようなもので、そのプロセスで、へばったらだめです。最後まで「このネタは、取れたてのピチピチで、こんなに美味しいですよ」と言い続けないとだめなんですよ。

石戸 沢木耕太郎さんがソロとパーティーという考え方を以前、書いていました。僕なりに解釈をし直すと、ソロの力とは、自分の仕事を自分で完結させるという能力ですよね。パーティーというのは、自分ひとりでは完結しないものをやるということですね。パーティーの組み方を考えると、ソロで生きていく力のある人たちが組んだパーティーというのが、すごく強いと思うんですよ。ソロだけだと仕事の幅が狭まるし、やっぱり無理じゃないですか。だから、パーティーを組むということが大事になってくる。そこで組織の中の誰と組むか。尊敬できる人と組まないとしょうがない。

野上 多分、10年目ぐらいまでは上の人が引っ張ってくれると思います。すごいと思う人がいたら、その人とコンタクトを取って、取材したものを全部聞くんですよ。社内だったら裏話を含めて全部教えてくれる。それをまねてみる。そういうことをしていると、向こうから「今度一緒にやろうか」と引っ張ってくれることがある。
 私を記者として大きく成長させてくれた過去の調査報道で、証拠改ざん事件も、さっきの原発事故対処の舞台裏も、先輩で盟友の板橋洋佳記者が声をかけてくれました。
 今15年目になって、先日、アメリカの前大統領首席戦略官のスティーブン・バノン氏の単独インタビューをしました。これは私がセッティングしたもので、インタビューも一人でやろうと思えばできた。でも、誰か連れていこうと思ったんですね。そのときに、同じ部署で、「何でもやるので連れていってください」と言ってきた後輩がいたので、彼を連れていきました。
 だから、年次によってちょっとアプローチの仕方は違うかもしれないんですけど、基本的には、これはと自分が思う人に社内外を問わず会いにいくことだと思います。

石戸 僕も会いにいきます。その時に、相性悪いなと思う人だったら、さっと手を引きます。もっと学びたいと思ったら、継続的なつき合いになることが多いです。
 メンター的な人と言えば、沢木耕太郎さんと山際淳司さんの作品には強い影響を受けています。彼らが何歳のときにどんな仕事をしていたかということを、自分の年齢と重ねて考えることもあります。
 あと、年も離れて、全く業界が違った人で、勝手にメンターだと思っているのは、取材でもお世話になっている糸井重里さん。特に言葉の使い方、人間の捉え方を学んでいますね。

野上 この前、学生に「どうして朝日新聞で働いているんですか」と聞かれ、「それは尊敬できる人がたくさんいるからです」と答えました。

石戸 尊敬できる人は多いですね。これがマスメディアの力だと思う。新卒向けだからちゃんと言うけど、組織の力というのは人材の力だと思っていて、大きな組織の中には、必ず際立った個性の持ち主がいます。大抵、癖が強くてあくも強いけれど、とにかく仕事は際立っている人たちです。
 僕は彼らの背中を見て学んだことがいっぱいあります。例えば、1面を取るときだって「こういうふうに説明すれば、重要なニュースだと社内の人たちが思ってくれて、紙面をもらえるのか」とか。細かいことが大事で、個性の強い先輩たちがちょっと背中を押してくれる局面も、一生懸命やっていると出てくる。

個人を打ち出す時代

藤代 学生には組織の中のすごい人は見えにくい。一方で、インターネットを検索したら、ライターたちが活躍しているように見える。マスメディアに所属しなくても表現できる時代ですから、学生からすると、組織の中の流儀みたいなこととか、背中を見て学ぶようなことは非常にかったるく思えてしまう。なぜ組織に行ってそんな面倒くさいことをしなければいけないんですかと聞かれたら、どう答えますか。

神原 まずは学生を採用するメディア側が、自社や自局の名前を言えば、学生がワーッと集まってくれる時代じゃないという規模の危機感を持ち、ある種の戦略として、個人を打ち出していくということも、求められているのかなと感じます。
 例えば、NHKの誰々さんが出ます、ではなく、誰々さんという人は、実はNHKの人でした。くらいの順番です。順番を変えるだけでも学生に対する印象がガラリと変わってくると思うんですよ。
 NHKでは入局15年を越えてくると、講演が育成の目標に入ってくるんです。自分のやっている仕事をきっちりと聴衆に説明して、魅力ある仕事だと感じてもらう。それは悩みも含めてです。そういう動きをしっかりやっていくことが一層求められている時代なんだと。

藤代 それは、やっぱり組織の名前より個人の名前が先に出る時代になっているということを会社側がきちんとわからなきゃいけないということですよね。

神原 そうです。それは、ツイッター、フェイスブックのアカウントが個人名だからということも大きな理由だと思います。企業アカウントにしても「中の人」(企業の中の個人)の思いだと感じ取っている。
 学生は、組織より個人の言葉に慣れ親しみ、反応したり、共感している。そこに気づかなければなりません。

ダークサイドに落ちない―與那覇

與那覇 ところで、就職説明会のブースでの質問で、ここ数年で一番びっくりしたのが、「取材に行かない記者って募集しないんですか」と言われたことです。そういう人が数人いて、こんな時代になったんだなと思いました。それで、昨日やっと「スター・ウォーズ」を見終わりまして……。

石戸 何の話ですか。

與那覇 組織でちゃんと教育されれば、ある程度、ダークサイドに落ちない方法を学べるんですよ。自分の力をどう使っていくかという、正しさはちゃんと教えてもらえるんじゃないかなと思います。だって、校閲してくれる人がいて、その記事の書き方をすると誰かが傷つくよとか、ちゃんと指導してくれる人がいるのは育っていく上で大事じゃないですか。書くことで人の命を左右したりするかもしれないのに、教育されていないライターは人を傷つける可能性がありますよね。そういう配慮は絶対に必要です。
 どのタイミングだったら1面に売り込めるかとか、この経緯なら行けるなとか、だんだんつかめてくるのが3、4年目ぐらいでしょうか。個人的な話ですけど、私は1年3カ月で精神的に参ってしまって、2年ぐらい休んで、復帰しました。そのときに、組織のためだけに働くのは自分の中で厳しいなと。そのかわり、何をしたかというと、自分の名前をちゃんと社内の人に知ってもらって、この記者が出した記事なら信頼できるというところまでいかないと、きっと私はやりたい仕事はできないと思いました。
 私は社業(社もの)を大事だと思っています。書く力も取材力も身につくし、認めてもらうために、やりたいことをやるためのパスポートは社業にあると考えていました。その中で、自分の切り口を探していく練習をしていくんです。ただ、組織の記者って、あんまり自分の名前を売るとか意識する機会はないのかなという気はします。

ベルリン・フィルが最強の組織―神原

神原 指揮者の佐渡裕さんがベルリン・フィルの客演指揮者に招かれたとき、ドキュメンタリー番組をつくったんですね。ベルリン・フィルは、ウィーン・フィルと並ぶ世界最高峰のオーケストラです。そのベルリン・フィルの楽団員は一人一人がソリストとしてCDを出したり、単独でリサイタルができる人たちです。そういう人たちが集まってオーケストラを構成している。これが最強の組織体かなと思います。ソリストが一人抜ければベルリン・フィルの魅力は減るわけです。多様で多彩な個人を尊重し、組織として包み込んでいく。企業としてのメディアも同じだと思います。
 それと、メンター論で言えば、僕は前向きな人間なのかなと思ってしまうんですが「この方は反面教師だった…」ということも学べるわけじゃないですか。

藤代 だめなやつからも学べる。

神原 みんなメンターに対して、「この先輩はすごいはずだ」と期待し過ぎですよ。この人は全部正しいと思い過ぎですよ。メンターも人ですから、いい面も悪い面もある。例えば、野上さんからこれ、與那覇さんからこれ、石戸さんからはこれが学べたというだけでも、十分だと思うんです。またメンターからは、成功談や自慢話もいいですが、弱さとか迷った話を聞いていった方が僕はいいと思っています。
 人って、迷ったとか悩んだという話はなかなかしてくれません。そういう話をメンターから聞き出してほしい。なので若い人には、一番うれしかった仕事より、一番つらかった仕事って何ですかと聞いたほうが、その人の仕事への姿勢や人間味も感じ取ることができる。そこにこそ、仕事の本質がにじむように思います。

藤代 確かにね。いいところ悪いところを見て、自分に合ったやつをつまみ食いしていこうと?

神原 つまみ食いのポイントは、悩んだ、苦しんだ、迷った、この3点を徹底的に聞いていくというのがお得です。それは、就活で先輩に会うときにも応用できる技かなと思いますよ。

藤代 石戸さんの所属する会社はネットしか経験がない人もいるじゃない。どうですか。

石戸 藤代さんから投げかけられたクエスチョンにストレートに答えておくと、記者として何を目指しているのかという話だと思います。数字を取ることを追い求めるのは簡単です。インターネットにありがちな文体もあります。口語調で、感情を豊かに織り交ぜる、話を最初からいきなり始めるとか。そっちに接近させて書くのも簡単です。でも、僕はそういうことがやりたいわけではない。
 その先は、ネット云々というより、個々人の価値観の問題です。目標は何ですかというところを意識しないと、学ぶものも学べないし、流行に右往左往することになる。右がはやれば右に行き、左がはやれば左に行く。そんな生き方がいいのか。それとも、流されずに、自分の価値観を大事にして、目標を追い求めていった方がいいのか。これは生き方の問題だから、どっちが正しいかは言えません。
 取材でビジネス畑の人や、クリエーター、ミュージシャンと接して思うのは、成功の規模は運だけど、成功している人たちには、みんな独自の哲学があるということです。成功の定義はいろいろで、例えば、自分ひとりで独立して食っていける人だって成功していると言えるし、会社の規模を大きくしていくパターンの成功もある。いずれにせよ、一過性で終わらないものをつくっている人たちには、価値観があり、世の中の流行に左右されない強さがあります。
 自分の価値観を追求するか、それとも、はやっているものに飛びつきたいのか、これは大分違います。意識してはやっているものに飛びつきたいという人たちは居ていいし、批判する気は全くないけど、ただ、それでは、いつまでたっても次の流行をつかまえなきゃいけないという無限ループです。僕はそういう、自分で主導権を握れない戦い方は好きじゃない。

藤代 新しいものをつくれるんじゃないんだよね。新しいものを追いかけているだけなんだよね。

ネットで満足してはいけない―石戸

石戸 長い歴史からみれば、まだインターネットメディアは、カウンターにすぎないと思っています。カウンターは、王道があるから生きていけるわけです。
 インターネットに詳しいとか、インターネットの世界の空気を読むのがうまい人は、新聞記者にもいると思うんですよ。そこで、新聞社にいる30代前後が勘違いしがちなのは、新聞は王道なのに、インターネットではやっている文体を使って、自分たちの記事もそっちに寄せていけばいいと思ってしまうことです。
 本物のコピーライターや、時代を象徴するようなコピーに学べば学ぶほど、そういう小手先のテクニック論から生まれているものはない。流行(はや)りに飛びつくのではなく、もっと新しいことをやりたい、過去の何かを乗り越えていくというような、ばかにされがちな気概から生まれているんです。
 それを踏まえて言うと、カウンターで満足するのではなく、新しい王道をつくるくらいの気概がないと、インターネットメディアから本物は生まれてこないと思います。インターネットの話をインターネットで書いて、インターネットで話題になって満足しているようだと危うい。そうじゃなくて、インターネット発の記事をオーソリティーに認めさせていく、振り向かせる、プロにこういう仕事をやってみたいんだと言わせるとか、僕はそっちのほうが大事だと思う。

與那覇 デジタルのほうが紙より力が必要だと思います。今の話でいっても、紙からデジタルにいくキャリアはあっても逆は難しいと思います。逆がないんだったら、最初に王道に入っていたほうが確実な力はつくし、私も歴史がある組織に入るべきだと思います。ただ、石戸さんが言った目標ですけど、新卒のとき、私は目標はなかったので、みんなすぐ目標を決められるのでしょうか。

石戸 これね、やりながら見つけていくんだよね。現実って結構苛酷(かこく)だから、カルチャーショックを受けるわけじゃないですか。何かもっとすごい組織だと思って行ったら、支局なんて……。

藤代 とんでもなく汚いし、ローテクだしね。

石戸 この支局のビルは一体なんだというところから始まって、何でデスクは夜にビールばっかり飲んでいるんだろうとか。記者クラブに行ってみて、びっくりすることもあるわけじゃないですか。そういうのも踏まえながらやっていくと、何となく分かってくる。だから、1人の上司と合わないからといって辞めないほうがいいんです。

野上 BuzzFeed Japanって、サービス開始2年ですよね。それが10年、20年やったらネット上の一日の長はかなりあるわけで、そこでの人材育成はできそうですか。

石戸 会社についてはコメントしません。ただ今後、ネットメディアの試金石は「遊び」を許容できる余裕を持てるかどうかだと思っています。話題になる番組や記事には、やはり時間とお金がかかる。「遊び」というのは、通常の業務ラインから外れた人を抱えられる余裕のことです。新聞の取材班なら、数人が当分の間、何も書かなくていいと言ってもらえる時間があり、コストもかけられる。そこで成果物を出せば、仕事をしたことになる。こんな贅沢が許される組織は、現状は新聞社とテレビ局、一部の雑誌に限られますよね。

野上 新聞社の偉い人がそういうことを言って、ネットより新聞社やテレビのほうがいいぞみたいなことを言うけど、石戸さんが言うところに、説得力とおもしろさがありますね。

長い文章を書くと力がつく

藤代 最近の新聞社は経営的に苦しくなってきていて、昔のような余裕がなくなり日々仕事に追われるようになってます。とにかく今日紙面を埋めるんだとか、社もの全部行ってこいとか。地域の話の記事をとにかくいっぱい載せたほうがいいというような流れがあります。3本、4本、5本と。野球大会があった、ソフトボール大会があった、ゲートボール大会があった。写真つきでひたすらそういう出稿をしている人たちもいるわけですね。そういうところに行っちゃう学生だっている。

野上 やっぱり上司や組織の工夫が必要だと思いますね。橋下徹氏の取材を一緒にした先輩が今、地方総局でデスクをやっていて、その人によると、昔に比べて人は減っている。ただ、彼は、1年目、2年目の記者に200行くらいの大型ルポを書かせているそうです。1年目の記者が200行を書いている間に、2年目の記者も200行の取材をしてこいという。そういう取り組みも独自にやっていますよ。

石戸 僕が地方にいたときのデスクは週刊誌から来た人でした。これがすごく幸いなことで、長い原稿をどんどん書けと言われた。2千字近いようなものを書けるスペースもくれたし、大きな枠で連載もやりました。長い記事を書くことで身につけた力で、今もやれています。

與那覇 長い文章を書くと力がつくというのはもちろんありますけど、地方で記事の本数が多いというのは、新聞社が地域でそれだけかかわっているという表れでもあるし、地方紙の生命線でもあると思います。例えば、さっき5本、と言っていましたけど、ほんとうに1日に5本書いて、その合間にトップ記事を仕込んだりすることもあります。
 沖縄だと、今日休めるかな、早く帰れるかなと思ったら、ヘリが不時着して、帰るのが遅くなることはしょっちゅうです。だけど、人も減っているし、新聞の売り上げは右肩下がりです。5本、6本書かなければいけないの世界にやっぱりなっちゃう影響はそういうところにもあると思うんですね。ただ、地域あっての新聞でもあるので、取材に行く必要はあると思います。

上司がかわり環境が変わる―石戸

藤代 そこに入ってしまった人はどうすればいいんでしょうかね。

石戸 大きな組織のいいところは、上司がかわることです。メンバーも定期的にかわる。人の入れ替えがあるというのはすごくいいことで、なにより環境が変わります。それに今の時代、パワハラ上司とかセクハラ上司は、健全なことに、上まで残れないという傾向が強くなっている。

藤代 だんだんね。

石戸 ちょっと前だったら許されたことが、もう許されなくなってきています。しかも、記者の長時間労働というのもさんざん問題視されるようになっていますよね。
 組織がどんどん入れ替わることによって、2年たてば変わっているということがあるわけです。これは耐えろと言っているわけじゃなくて、常に変わるんだと思っておいた方がいいということです。

藤代 逆に言えば、いいときも変わる。

石戸 いいときも変わるし、悪いときも変わる。人が入れかわれば組織は変わるんです。だから、せっかく記者をはじめたのに、若いときに辞めるというのは、長期的に見て、組織の一番いい部分、最良の部分を見ないまま捨てるということになりかねない。

藤代 次に、いいチャンスが来るかもしれないということですね。

石戸 そのチャンスは、早めの転職によってつかむ確率が高まるのか、新聞社で10年力をつけたほうがチャンスがくると言えるのか、と考えると、僕にとっては新聞社に10年いたメリットのほうが大きかったですね。より自由にやりたいことができるようになりました。

神原 それで言えば、一度会社を辞めたら二度と同じ会社には戻れないという前提そのものが、今の時代に合わなくなってきているのかなと思いますね。特にメディアが魅力的な人を集めようとか、魅力的な組織になっていかねばといったときには、中途採用だけでなく、出戻りも含めて考えていくという、柔軟な採用が選択肢にあってもいい。

石戸 あとは契約形態もあります。NHKでは作家を連れてきて、一緒に番組をつくるというのをやっていますよね。
 僕はこういうのもおもしろいと思う。例えば新聞社でプロジェクトチームを作るときに、若手の研究者や作家、ネットで目立っている書き手を入れる。契約形態をきちんと整備すれば、組織と個人のいい部分が噛み合っていくでしょう。僕はそういう仕事を昔からやりたいと言ってきました。毎日新聞にいたときに、今、東工大にいる西田亮介さんと組んでインターネットと政治をテーマにした共同研究に取り組んだのが、一つのモデルです。社外の力を、プロジェクト型で契約を結んで、取り込んでいく。
 これは組織じゃないとできないですよね。プロジェクトチームの成果を紙面とインターネット、両方つかって発信すれば、インパクトも大きい。お互いにメリットもあり、可能性は広がるでしょう。

ワーク・ライフ・バランス

熱心な議論が交わされた座談会(吉永考宏撮影)
藤代 私も出戻りは狙っています。これまでにない、連載や調査報道をやってみたい。それでは、ワーク・ライフ・バランスの話を與那覇さん、お願いします。

與那覇 私は3年目で社会部に復帰して、社会部を4年やって、デジタル部に異動しています。特に社会部のときは、仕事一色でした。結婚前、夫とデートをしている時でも、彼が運転して、助手席で私は原稿を書いていました。それほど仕事が好きでした。
 ただ、家族のことも自分のことも考えきれていなくて、一度見直すべきだと思ってもいました。記者の仕事は、突然のニュースや社会の情勢に合わせて動きます。プライベートの予定は立てにくいし、家庭との両立は厳しいでしょう。デジタルで動く場合もありますけど、現場にいたときより圧倒的に少ない。デジタル部に異動したら生活スタイルががらっと変わりました。残業はほぼゼロで、自分で加減を調整できるようになりました。それは、年数を重ねて、取材や執筆にかかる時間と量が分かってきたこともありますね。
 まだ子供はいないですけど、子育て中の記者は、ぜひデジタルはおすすめです。取材相手とのやりとりも移動中にSNSでできます。パソコンに向かって形式張って書く「こんにちは。お世話になっております」といった長いメールもあまりやらないですよね。オンラインで仕事ができる状態にあります。解決してくれる道具があるなら頼るべきです。会社に行かなければ仕事ができないわけではありません。時代とともに、働き方を変える必要があると思います。

働き方改革は「作り方改革」―神原

神原 メディアの業界において、働き方改革は報道や番組の内容や質に直結するだけに、容易に答えは出せないし、常にこの働き方が最適かを問い続けなければならない最重要課題だと考えています。
 番組でさまざまな企業を取材した際に、見習いたいと感じたことは、管理職のマネジメントが一層重要になるという点です。ポイントとしては「手戻りをなくす」ということです。つまり、ぎりぎりまで引っ張って「やり直し」ということを極力減らしていく。制作期間中に、締め切りを細かく設定して、ここまで合意、ここまで合意と丁寧にやっていく。そうすることで現場が納得して番組を作っていけるし、放送の直前で立て直すことも少なくできるかもしれない。そういうある種の「作り方改革」が、働き方改革につながっていくのではと考えています。

石戸 今のメディア業界で何が足りないかというと、有能なマネジャーです。みんなプレーヤー型マネジャーでしょう。記者でいたいという思いを、デスクなり、管理職になったときにどれだけ捨てられていますかと聞きたいです。管理職である以上、マネジメントをすると割り切って、マネジャーをやってもらわないといけない。プレーヤーでいたいなら、ずっとプレーヤーでいるべきです。
 しかし、プレーヤーばっかりでサッカーができるわけがないんですよね。チームには専業の監督が必要です。
 優秀な記者が優秀なデスクになれるわけではないし、優秀な管理職になれるわけでもない。逆に、記者としては優秀でなくても管理職に向いている人はいるはずです。特ダネはとれないかもしれないけど、人の面倒を見るのがうまいとか、若手の才能を開花させるというのも重要な能力です。ある記者が、この人の下では輝いていたのに、別の上司になった瞬間に輝けなくなったとする。それをシステマチックに洗い出すことですよね。

藤代 なるほど。システマチックにどういう人材を育てているのかをチェックするのはあってもいいだろうね。

石戸 若手の能力を伸ばしたデスクや管理職を見極めるために、ある程度データで見られるものはデータ化するとかですね。記者の成長や、成果につなげた上司の能力をもっと評価してほしいと思います。ここは大いに改善の余地がある。
 あと結婚とか出産という人生の一大イベントがあったときに、女性だけでなく、男性にも配慮すること、これも大事ですよね。そうしないと、子育ての参加なんか絵に描いた餅です。上司が可能な範囲で、その人にとって最良の成果物を出せる環境を作れるか。いつまでもプレーヤー気取りの管理職は、時代遅れです。

メディアの働き方改革は急務―藤代

藤代 学生を送り出す立場からすると、企業の人の管理が全く機能していないということだけは確かですよ。学生を4年間頑張って育てて、出して、すぐ壊れましたみたいになったら、いいかげんにせえよとなりますよ。人口が減っているのだから、会社側には、大事な人材を預かっているという意識が必要です。そういう感覚がないから過労死が起きる。それは本当に声を大にして言いたい。メディアの働き方には問題があり、しかも解決されていない。だから、組織的にきちんと解決していかないと、良い人材は来ません、と会社側には言いたいですね。

野上 会社としては多分、考えつつあるし、やろうとはしている。例えば学生インターンシップでは、入社してからのミスマッチがないようにということで、5日間かけて学生に記者の仕事をみせている。ただ、働き方改革が現場の隅々まで行き届いているかというと、最近の過労死事件をみていると、多分そうじゃない。目の前でニュースが起きているのにどうするんだとか。全体の方針と、実際に起きているところとのずれがまだまだあるのでしょうね。

藤代 私の前職のNTTグループも24時間365日、備えている企業です。インフラを支えて日本の通信を守るという、マスメディアに近いメンタリティーを持っている。その中で、どうやってワーク・ライフ・バランスを取っていくかをすごく考えていました。けが人を出さない、シフトを組んで食事や風呂へ入れるみたいなところまで考えられるのが上司です。
 マスメディアは他業種から学ぶことがあまりにも少ないと思いますね。自分たちの仕事を神聖視するような考え方自体が、学生から敬遠されている要因のひとつでしょう。マスメディアのマネジメント層こそ他業種から学ぶべきです。

石戸 組織がちゃんとしたマネジャーを育てないと、過剰に真面目な学生は本当に死ぬまで働くことになる。

大学時代にしておくこと

藤代 最後の質問です。メディアを目指す学生に、大学時代にやっておいたほうがいいこと。そのときは無駄だと感じていても、実は今の仕事に大いに役立ったというようなことがあったら、ぜひ教えてください。

石戸 学生時代は政治思想とか抽象的な勉強をしていたので、本ばっかり読んでいました。結果的に、身についたのは物の見方、考え方ですね。一つの事象を、どうやって見るか。角度を変えてみる力とも言えます。物の見方というのはいろいろあるということを知って、幅が広がるんです。

藤代 どう思いながら読んでいたんですか。

石戸 こんなの現実に何の役に立つんだよと思っていましたよ。でも、現実離れ、浮世離れしている抽象的な話っておもしろくて、浮世離れしているほうが、実は浮世離れしていないということを学べたりする。現実の問題をいくら考えていても、現実のほうが動いちゃったら役に立たないんです。時間に耐えた思想というのは、一見すると浮世離れしているようで、いくらでも応用可能という強みがあるなと、今さらながら思っています。

神原 学生のとき、大小問わず「違和感」をいろいろな所で抱くと思うんですよね。その違和感を大事にしてほしい。僕は学生時代、庭球部に所属して、学生日本一を達成しましたけれど、庭球部の中に独特の伝統というものがあって、なぜこの決まりがあるのかとか、これは積み上げた伝統か、ただの慣習かわからず戸惑うこともありました。そういう違和感を声にしたり、形にしたりして、100年続く部の歴史を文字通り、自分たちの手で紡いだ経験がありました。
 その時の気持ちをメディアの仕事についてからも、常に置き換えて考えています。違和感から出発する、物事の本質はどこにあるのかという問いです。
 それで言えば、テレビのライバルはどこかと考えたときに、もはや他局ではなくて、日々すべての可処分時間がライバルなんじゃないかと感じます。空いた時間や好きな時間に何をするかが、テレビのライバルです。なので「テレビ離れ」というけど「離れたのは視聴者じゃなくて、放送局の方じゃないか」ぐらいの意識を強く持っている学生とぜひ一緒に仕事をしたいと思っています。
 メディアはいま、新しい話法やアプローチを探しています。いま最も盛り上がっている業界のひとつだと考えています。
 僕は「AIに聞いてみた」というNHKスペシャルを通して、AIの解析をベースに、日本社会の問題に対する処方箋を探っていますが、AIとともに、ジャーナリズムの進化に貢献したいという気概で取り組んでいます。
 不確実性の高い時代、学生の皆さんとぜひ一緒に「新しい普遍性」はどこにあるかを探していきたい。その第一歩は、学生の皆さんが抱く小さな違和感から始まります。その気持ちを大事にしてほしいなと思います。

貴重な時間を有効に―野上

野上 学生時代に自分の人生の師という人に二人会っていまして、一人が最初に紹介した元新聞記者で、もう一人は、剣道部の師範でした。70年ぐらいの伝統がある剣道部ですけど、私が入った当時は弱小で、人数が少なかった。
 あるとき部員が私一人になりました。師匠に払うお金もない。大会に行くと、他の大学は補欠やベンチも含めて、ものすごい人数がいるんですが、私は一人で行って、一人で負けて帰る。このわびしさったらないけど、応援してくれる師匠がいたのでやっていた。
 そのときに、マイノリティーの悲哀と負けん気のようなものと、マジョリティーのすごみと傲慢さみたいなものを感じました。朝日新聞というのはメディア業界ではマジョリティーなので、大組織の力を生かす一方で、その一員として傲慢になっていないか常に気をつける必要があると、剣道部での学びから意識しています。
 話を戻すと、自分の半径何メートルの親とか、親戚とか友達といった範囲の外の人たちとの出会いを、学生時代に、一歩踏み出して見つけてほしいなというのが、私の体験を通しての願いです。
 学生のみなさんはアルバイトをしますよね。私はイベントバイトをずっとやっていましたが、あるときに、こんなことばかりやっていても無駄だと思って、家へ帰って母親に卒業まで悪いけどすねをかじらせてくれと言って、バイトをやめたんです。幸い学費までバイトで払うような状況じゃなかったからできたことですけど。後輩におごるための最低限のバイト料だけ稼いで、あとは部活の時間と新聞記者になるための勉強、ノンフィクションを読んだり、講演会へ行ったり、新聞を読んだり、テレビの「クローズアップ現代」を見ながらノートをとったりしていました。
 学生時代って、時間があってお金がない。社会人は、お金が多少、学生時代よりあるけれども時間がないというような現象は必ず生まれます。もちろん、自分の学費を稼がないといけないとか、どうしてもバイトしないといけないというケースは仕方ないですが、もし金銭的に余裕があるならば、バイトはあまりせずに、出会いを求めて動いてほしいなというのが、個人的なメッセージですね。
 バイトでもいろいろな出会いがあるでしょうけど、社会人になってからの方がはるかにそういう経験は積める。やっぱり学生時代は、自分がのめり込めることに貴重な時間を使ってほしいというか、お金のために時間を浪費しないでほしいなと思っています。

與那覇 私は、めちゃくちゃたくさん遊びました。社会に出たときに、これ以上遊ばなくていいと思ったぐらい遊び倒しました。だから仕事にすごく集中できていると思います。でも、ひたすら人文系の本を読んだという自負もあります。ジュンク堂の人文コーナーの本は、ほとんどあのときに読み尽くしました。そうすると、遊んでいても本の知識が生きてくるんです。例えば記号論の本を読むと、広告を見ていても、ああ、こういうことかとちょっとずつ分かる。肌感覚に言葉を与えられるような体験がよくありました。
 あと、今のメディアは「組織の私」じゃなくて、「私の人生」を考えられるような恵まれた時代になってきたと思います。こんなジャーナリズムの時代がこれまであったのかなと思うぐらい、個人としてみるとすごくいい時代を生きている。だから、学生のころにやっておくべきことはきっと、いろいろな人の生き方を知ることだと思います。本が読み切れないんだったら、最後のページのプロフィル欄を読むだけでもいい。自分がこれから生きていく道を捉えて、考えて、メディアの業界に来てほしいなと思います。

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野上英文(のがみ・ひでふみ)
朝日新聞国際報道部記者
1980年、兵庫県生まれ。神戸商科大学卒。2003年、朝日新聞入社。金沢総局、神戸総局、大阪社会部、経済部、米ハーバード大学日米関係プログラム研究員などを経て現職。10年に大阪地検特捜部による証拠改ざん事件の調査報道で新聞協会賞受賞。共著に『ルポ橋下徹』『プロメテウスの罠4』『証拠改竄』ほか。

與那覇里子(よなは・さとこ)
首都大学東京大学院1年、沖縄タイムス記者
1982年、沖縄県生まれ。千葉大学卒業後、2007年入社。学芸部、社会部を経て14年からデジタル部。15年、沖縄戦の戦没者の足跡をたどる「沖縄戦デジタルアーカイブ」が文化庁メディア芸術祭入選など。17年から休職し、現職。主にギャル文化を研究し、編著に2008年『若者文化をどうみるか』(アドバンテージサーバー)などがある。

石戸諭(いしど・さとる)
BuzzFeed Japan記者
1984年、東京都生まれ。2006年、立命館大学法学部卒。同年に毎日新聞社入社。岡山支局、大阪社会部、デジタル報道センターを経て、16年1月から現職。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)がある。

神原一光(かんばら・いっこう)
NHK 放送総局 大型企画開発センターディレクター
1980年、東京都生まれ。早稲田大学卒。2002年、NHK入局。静岡放送局、制作局青少年・教育番組部を経て現職。NHKスペシャル「AIに聞いてみた どうすんのよ.ニッポン」を担当する。著書に『辻井伸行 奇跡の音色 恩師との12年間』(文春文庫)、共著に『健康格差 あなたの寿命は社会が決める』(講談社現代新書)など多数。

藤代裕之(ふじしろ・ひろゆき)
ジャーナリスト、法政大学准教授
1973年生まれ。広島大学卒。立教大学大学院修士課程修了。徳島新聞、NTTレゾナント(goo)を経て現職。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表運営委員。著書に『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』(光文社新書)など。 

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※本論考は朝日新聞の専門誌『Journalism』2月号から収録しています。同号の特集は「ジャーナリストという選択」です。