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記者17年目の「ルポ トランプ王国」

「数%の時間」積み重ねた私の手法

金成隆一 朝日新聞ニューヨーク支局員

 つけっぱなしにしているニューヨーク支局のテレビから彼のだみ声が聞こえてくる。

 「私は本当に頭がよく、金持ちだ」「東京で最後に(アメリカ車)シボレーを見たのはいつだ?」

 米国では2015年夏には大統領選が本格的に始まっていた。1年以上も先の大統領選(16年11月)に出る党候補を決める党内レースだ。

 選挙戦の主役は、認めたくない人は多かっただろうが、15年6月に出馬表明したトランプ氏だった。過激な発言をして主要メディア、政治家、評論家の批判を一斉に浴びる。それでもふんぞり返って平然としている。そしてまた口を開く。指先でつぶやく。批判される。その繰り返しだった。

 当時、国連本部の担当記者として赴任した私は支局で、国連関連の記事執筆でもがいていることが多かった。15年の秋は特に国連創設70周年の企画に追われていた。その年の3月に南スーダンへ、8月にはコンゴ民主共和国に出張し、戦闘行為に踏み込む国連平和維持活動(PKO)の変容を取材していた。国連の記事に集中しないとマズいのに、耳に飛び込んでくるトランプ発言があまりに突飛(とっぴ)で気になる。ああ、気が散る。うるさいな。静かにしていてくれ。米メディアもこんな放言をいつまでも垂れ流さないでくれ。

 それが当時の心境だった。記者をしている以上、外界を遮断して閉じこもるわけにもいかない。支局のテレビはつけっぱなし。チャンネルを変えてもトランプ氏が映っている。彼の声を無視できないのである。

 米紙ニューヨーク・タイムズによると、16年3月までの時点で、トランプ氏はその言動で注目を集めることで19億ドル分ものメディアに無料で露出していた。2番手のクルーズ上院議員(3億ドル)、主流派を代表していたブッシュ元フロリダ州知事(2億ドル)を圧倒していた。

 15年の時点で「トランプ劇場」の幕は開けていたのだ。私は国連企画の記事がきちんと掲載できれば、大統領選取材を本格化させようと考えていた。

アメリカン・ドリームの行方

 15年9月、取材班で考えていることを共有することになり、私も同僚にメールを送った。最初の項目に次のように記した。

 テーマ=格差/ミドルクラス崩壊、アメリカン・ドリームはいまどうなっている?

 趣旨=日本でも広く読まれた『ワーキング・プア―アメリカの下層社会』や『ニッケル・アンド・ダイムド―アメリカ下流社会の現実』の出版から10~15年。今月出版された注目書のタイトルは『$2.00 a Day: Living on Almost Nothing in America(1日2ドルで暮らす)』。これは世界で定義される「極度の貧困」に近いレベル。米国で広がるばかりの格差を描く。賃金格差の拡大のほか、特に階層間移動の停滞(機会格差)にも焦点を当てる。「出自は関係ない、機会と努力次第で億万長者にでも大統領にでもなれる」という米国を牽引(けんいん)してきたアメリカン・ドリームは今どうなっているのか? 導入はルポで。

 もちろん選挙報道なので、各候補者の主張や選挙戦の様子、支持率の動向などを伝えることが日々の記事の核になる。同時に選挙報道を通じて、米社会が抱える課題を描くことも重要だ。

 メールに書いたことを実践しようと「アメリカン・ドリームの今」を探った。結果的にトランプ支持者への取材を通して、このテーマに取り組んだことになる。上司や先輩に恵まれ、多くの助言も得た。取材開始後、「貧困」というよりも、まだまだ豊かさを残した「ミドルクラス」の動向が選挙戦の核心ではないかと思い、軌道修正もした。

 当初はトランプ氏が過激発言するたびに、私は「これで彼の選挙戦も終わったな」と誤解していた。ところが予想に反してトランプ人気は続き、時には支持率が伸びる。なぜ人種差別的な発言を繰り返し、身体障害者の動きを演説中にまねるような幼稚で非常識な候補者が、いつまでも人気首位なのか? どこの誰が支持しているのか?

 答えは、赴任先のニューヨークでは見つからなかった。討論会の観戦パーティーに行っても、支持者が見当たらない。トランプ氏を毛嫌いしたり、笑いものにしたりする人ばかりだった。

「地方」のトランプ

 しかし、地方では違った。今思えば、この「気づき」が私には重要だった。国連企画の記事を掲載後の15年11月、南部テキサス州の田舎町でのトランプ氏の集会を取材することにした。トランプ氏の集会はテレビで何度か見ていたが、現場での取材は初めてだった。

 飛行機で乗り合わせた米大手メディアのトランプ番記者に、「トランプをどう思う?」と聞かれた。私は「すぐに脱落すると思う」と答えると、「分かってないな」と番記者。彼は言い切った。「他の候補の集会と規模も熱気も違う。ハッキリ言う。トランプが共和党候補になる」

 会場では、支持者の熱気に圧倒された。集会後に話を聞くと、せきを切ったように不満が噴き出した。中南米からの移民が増えてスペイン語が当たり前になった社会、ミドルクラスから脱落する恐怖におびえる白人たち――。彼らの情念が沸騰していた。

 そして何よりも、支持者たちが人として魅力的だった。変に格好をつけず本音丸出し。日本の記者にいくら話してもトランプ氏の支持率に貢献できるわけでもない。それでも熱心に丁寧に質問に答えてくれる。体験に基づいた意見を、自分の言葉で説明してくれた。

アパラチアを越えて

 地方取材への関心が膨らみ、冬休みに車で旅に出ることにした。12月下旬、マンハッタンで車を借り、アパラチア山脈を越え、ペンシルベニアとオハイオ両州を回った。山あいの飲み屋、ダイナー(食堂)、ガソリンスタンド、食料品店で地元の人に片っ端から声をかけた。

 期待していた通りの手応えを得た。トランプ氏の支持者が圧倒的に多かったのだ。彼らの不満と不安をもっと聞き取りたい。そこから米社会の今を描けるかもしれない。私はトランプ本人ではなく、トランプ氏を支持する、いや、支持してしまう現代アメリカへの関心を深めた。

 冬休みで取材の方向性は大まかに定まった。取材拠点は、大みそかと正月を過ごした中西部オハイオ州にある「労働者の街」ヤングスタウン周辺に決めた。製鉄業や製造業などが廃れた「ラストベルト(さび付いた工業地帯)」の代表的な街だ。主な理由は、(1)テキサス州に比べれば、ニューヨークから車で約7時間と近く、通いやすい、(2)トランプが製造業の海外流出を批判し、この地域を狙っていることは明白だった、(3)同州が近年の大統領選でカギを握ってきた、の3点だ。

 取材手法は大雑把に二つ。地元の党幹部にあいさつに行き、支持者を何人か紹介してもらって、後は芋づる式に取材網を広げる。最初の党幹部の協力さえ得られれば、着実に取材を進められる。最も効率の良い、古典的な取材方法と言える。しかし、これだけだと「政治に熱心な人々」に取材が偏るので、無作為の抽出も試みた。地元の飲み屋や食堂に通い、まずは店主と仲良くなり、次に常連客にも声を掛けた。トランプ氏の集会では、真剣に演説を聴いている人や、1人で来ている熱心な人に片っ端から声を掛けた。誰に声を掛けるかは直感だ。会話に応じてくれた人には「またお話を聞かせてください」と頭を下げ、連絡先を交換した。ラストベルトだけでなく、予備選を追いかけながら全米各地でトランプ支持者と出会った。差別的な発言を理由にためらいがちな人もいれば、とにかく熱心な人もいた。オバマ前大統領の「チェンジ」に期待して失望した人、失業中の人、蔓延(まんえん)する薬物汚染に怯(おび)える人、複数の仕事をかけもちして神経をすり減らす人、まじめに働いても暮らしが一向に楽にならないことに不安を覚える人――。明日の暮らしや子どもの将来を心配する、勤勉なアメリカ人たち。ニューヨークでの取材では見えない、もう一つのアメリカの姿だった。

 よく「トランプが負けたらせっかくの取材がパーだったね」と言われるが、私はそうは思っていなかった。仮に負けても、熱烈な支持を地方に広げた選挙運動のルポを書きたいと思っていた。実際、トランプ氏の当選の半年以上前に「トランプ王国」と名付けて最初の記事を出した。

 2年間のトランプ支持者の取材者リストを見返してみると、いわゆる有名人はいない。トラック運転手、理髪店主、喫茶店員、電気技師、元製鉄所作業員、道路作業員、溶接工、食肉加工場作業員、ホテル客室清掃員、元国境警備兵、トレーラーハウス管理人、看護師、建設作業員、家電製造ラインの従業員、郵便配達人――。多くが自分や家族の将来に不安や不満を抱え、米国の行く先も案じていた。

 取材の成果を断続的に朝日新聞の紙面や朝日新聞デジタルで発表した。トランプ氏が当選したこともあり、この取材は今も続けている。取材者リストは260人を超えている。

「普通の人」を取材した17年

 私はどの任地でも、特別な有名人でもない、普通に働く人々の取材を好んでやってきた。労働現場を支える日系ブラジル人、偽装請負の被害者、空き缶や雑誌を拾い集めて暮らすホームレス、町工場の経営者、長距離トラック運転手……。ラストベルトで労働者の声を聞くのは、今振り返れば、その続きだったように思う。

 記者の取材には二つの手法があると思っている。

 効率も考えないといけない時はリサーチである程度の狙いを定めてから現場に入る。特に出張して取材する場合、リサーチの時点でだいたいの記事の方向性は決まっている。現場に入ってから「何を書こうか」と考えていると、間に合わないし、取材の焦点がぼやけてしまう。時間に追われる記者の仕事の9割以上はこのスタイルではないだろうか。ただし、現場で取材する前から「こんな記事を書こう」と考えるため、どうしても取材も記事も想定内にとどまり、意外性は出にくい。必然的に「へえ」が少なくなる。

 もう一つは、あまり予定を立てないで現場に入る手法だ。

 取材目的を最初から絞りすぎない。細かい予定を立てずに現場に入り、取材対象者と焦らずに付き合う。こちらの聞きたいことはほどほどにして相手のペースに任せる。まずは言いたいことをはき出してもらう。特に目的がなくても、何となく街を歩いてみる。すると想定外の話を聞けたり、出会いが広がったりする。「トランプ王国」は後者の手法で取材したものが多い。普段はこんな取材をする余裕はなかなかないので、どうしても休暇や週末を充てることが多くなる。

 このような後者の取材手法を始めたのは10年以上前にさかのぼる。

週末に追った南米人社会

拡大写真1 魚の加工作業中に指先を切断する労災に遭った若者。趣味のギターが弾けなくなったと涙を流した。当時、私はドキュメンタリーにも関心があり動画を回していた。(2004年2月26日午後8時36分撮影、静岡県内)
 今もパソコンに保存しているのは、04年から1年以上、静岡で日系南米人社会の取材に没頭したときの取材者リストだ。128人分ある。今も手元に置くのは当時の記憶や志を思い出すためだ。

 03年春、初任地を去る時に当時の神戸支局長が言った。「おまえは不幸な初任地だった。朝回りと夜回りばかりで記者の醍醐味(だいごみ)を知らずに終わった。本来の記者の仕事はもっとおもしろいから、異動先では何かテーマを決めて、じっくりやれや」

 私は初任地での3年間のうち、高校野球取材の半年を除く全てが警察担当だった。総局長の言葉は「二つ目の支局ではもっと幅広く取材しろ」「当局の動向を追う取材ばかりではなく、何か自分でテーマを決めろ」という趣旨と受け止めた。初任地での達成感がほぼゼロだった私にとって重要な助言だった。

 いろいろ考え、東海地方に多い日系南米人社会をテーマに選んだ。どうせ没頭するなら、 ・・・続きを読む
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筆者

金成隆一

金成隆一(かなり・りゅういち) 朝日新聞ニューヨーク支局員

1976年生まれ。慶応大法学部卒。2000年、朝日新聞入社。神戸、静岡、大阪社会部を経て、14年9月から現職。著書に『ルポ トランプ王国―もう一つのアメリカを行く』(岩波新書)、『ルポ MOOC革命―無料オンライン授業の衝撃』(岩波書店)。