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無意味な競争と搾取から降りる

一億活躍できない社会を考える

赤木智弘 フリーライター

 「働き方改革」という言葉がニュースなどで聞かれるようになってからかなりの時間が経ったように思う。

 しかし、何が達成されれば働き方改革なのかと言われると、さっぱりわからない。

 そもそも、働き方を改革するといっても、好ましい働き方は一人ひとり違うはずだし、働き方を改革すると言っても、立場によってどのような改革が好ましいと考えるのか、色々と異なるはずだ。まずは政府と企業と労働者それぞれが望んでいるであろう改革の形を把握しておきたい。

働ける者みな働け――政府

 まず、政府に関して調べることは簡単だ。基本的にネット上に公開されている。働き方改革については首相官邸ホームページに「働き方改革実行計画」というファイルが置いてあるので、これを読むことにしよう。改ざんはされていないだろう、たぶん。

 見出しを見るに、それほど特別な何かが書かれているのではなく、いわゆる「同一労働同一賃金」「賃金引上げと労働生産性向上」、そして「罰則付き時間外労働の上限規制」「柔軟な働き方」「子育てや病気治療などとの仕事の両立」「高齢者の就業促進」などといった言葉が並んでいる。

 これらの見出しをざっくりと大枠で分けるとするならば「労働生産性の向上」と「ライフワークバランスを目指した柔軟な働き方」と「これまで労働人口ではなかった人たちの労働者化、一億総活躍」といったことを目指しているのだろう。

 日本は労働生産性が低いと言われている。要は投入された労働量に対して産出される成果が低いということである。日本の一人あたりのGDPは先進国で最低であり、OECD加盟国の平均を下回るとされている。

 ゆえに日本政府にとって労働生産性の向上は急務であるといえる。

 ライフワークバランスや柔軟な働き方については、それほど難しくはないだろう。気になったのは過労死、過労自殺が大きな社会問題になる中で、罰則付きの時間外労働上限規制に取り組むことを、画期的なこととして自画自賛し、政権の迅速な対応と実行力を示そうとしている。

 長時間労働を是正するとして、鳴り物入りで審議された時間外労働上限規制は、1カ月80時間の残業が過労死ラインと言われる中で、1カ月100時間までの残業を良しとする散々な結果に終わった。

 なまじ国が具体的な時間設定をしてしまうことで「月100時間までだったら働かせても大丈夫」と、これまで以上に過酷な長時間労働に政府のお墨付きを与えてしまうという批判も根強い。これではむしろ過労死を促進するようなものであり、とても働く人のライフワークバランスを考えているとは思えない。

 このようなとても堂々と成果と言えるようなものでなくとも、成果として大々的に持ち上げなければならないほどに、政府の働き方改革は空疎であるように僕には感じられるのである。

 そしてもう一つが一億総活躍だ。これまでの中年や若者の男性だけが働く社会ではなく、女性はもちろん、高齢者や病気療養中の人、そして外国人労働者も含めて、日本の労働力とする考え方である。

 自民党政権の長期的な政策失敗により、全体的な人口減を伴う急激な少子高齢化という未来が確定した現在、とにかく日本人のすべて、移民を入れても働ける人は働かせるという考え方である。

働くことは生きがいだ――企業

 さて、政府の思惑の次は、企業の望む「働かせ方」を考えてみよう。

 なかなか企業の本音を探ることはできないが、ここでは3月13日に、参議院予算委員会の公聴会で、夫を過労自殺で亡くした公述人に対して、居酒屋チェーン「和民」の創業者で、今は自民党の渡邉美樹参議院議員が行った質問から探ってみたい。

 渡邉議員は「私も10年前に愛する社員を(過労自殺で)亡くしている経営者であり、過労死のない社会をなんとしても実現したいと考えている」と前置きした上で「国会での議論を聞いていると、働くことが悪いことであるかのように聞こえてくる。週休7日が人間にとって幸せなのかと聞こえてくる」と言う。

 そして「働くということは決して悪いことではなく、生きがいであり自己実現であり、人は働くことでたくさんのありがとうを集め成長していく。そんな大事なものだと思っている」と述べる。

 「人しか資源のない日本で、国を挙げて働くなでは、これから増える高齢者を守ることはできない」という自身の労働観を述べた。

 僕はこの質問を聞いて、これが包み隠さぬ彼自身の本音なのだろうと感じた。これはまさに経営者が「労働者に感じてほしい労働観そのもの」なのであろう。

 すなわち、労働者が労働を通してお金を手に入れ、お金を使って生きがいを満喫するのではなく、労働そのものが生きがいであるべき。そう考えているのである。

 労働が生きがいであれば、忙しければ忙しいほど幸せであり、低賃金に怒りを覚えることもない。たとえ最低賃金でも働く以外の趣味を持たなければ、生きていくことは可能だろう。労働を苦しいと思わなければ、過労で自殺をすることもない。彼はそう感じているのではないかと、僕には感じられた。

 もう一つ別の視点で考えたい。それは社会にとって企業とは何かということである。

 基本的に企業の目的は「利潤を追求すること」である。

 かつてある経営者が「企業は株主のものだ!」と言ったことがきっかけとなり「企業は誰のものか論争」が巻き起こったことがあった。株主のものだと言った経営者に対して、社員やお客様といった「ステークホルダーのものだ!」といった批判がされた。

 だが、企業の目的は利潤を追求することであり、そのために株主から出資を受け、それを株主に返すというシステムである以上は、会社は株主のものに他ならないのである。

 すなわち企業は、労働者個人には「仕事が生きがいである」と感じてほしいと考えている。それは企業が社会から利潤を産むことを要求されているからである。利潤のために企業は労働者のやりがいを搾取するのである。

いい企業が人生の目的――労働者

 では、当の労働者はどのような働き方改革を考えているだろうか?

 やはり労働を通して多額の給料を手に入れたり、週休7日で自分の好きなことだけをしたり、というような労働観だろうか?

 子供のころを振り返ってみよう。幼稚園や保育園のころに先生たちからこういう問いかけをされなかっただろうか。

 「大人になったら何になりたいの?」

 幼稚園のころはまだ「お金持ち」だの「スーパーサイヤ人」だの「ライオン」などと素朴な夢を答える子供もいるだろうが、年齢を重ねるにつれてその質問の意味は「大人になったらどのような職業について生活をしていきたいか」という意味であると理解していくことになる。

 男の子の場合、小学生あたりだと野球選手やサッカー選手などのスポーツ選手が人気だが、成長するにつれて、どんどん現実感ある回答になる。そして好景気のときはカタカナ職業が人気となり、不景気の時は公務員が人気となるような変化はあるが、いずれにせよ私たちは子供のころから「大人になって生活すること=仕事に就くこと」だと考えてきたし、それが正しいことだと信じて成長していくのである。

 そして、親からはいい学校に行くために学校の勉強以外に塾や通信学習などを与えられる。僕などは落ちこぼれてしまったが、多くの子供たちは親から与えられた学習機会を存分に活かし、それぞれが行ける大学に進学していく。

 奨学金が返せないなどの問題が起きるたびに「お金もないのに大学進学を望むべきではない」などと批判の声も上がるが、奨学金を得てでも大学に進学するのは、その先にある「いい条件の企業に就職する」という人生の目的を果たすためである。

 ここで少し企業側の思惑を思い返してもらいたい。企業の経営者は労働者に「仕事は生きがい」と感じてほしいと考えている。そして労働者はいい条件の会社に就職したいと考えている。この両者、わりと近い場所にいるのではないだろうか。

夫のご都合主義と妻の本音

 では、本当に労働者が「仕事は生きがい」と感じられるようになるだろうか。

 しかし、労働者には他にも生きがいを感じることがあるのではないか。例えば「子供を育てること」とか。

 最近は「イクメン」などということが言われ、働くお父さんも育児に参加することが当たり前の社会であるべきだという考え方が強くなっている。ネットでも父親の育児には賛同的な声が大きい。

 しかし僕には一つ気になることがある。いわゆる「子育てをするお父さん」や「家事をするお父さん」には賛同は強くても、例えばこれがちょっと話が変わると、全く逆の反応が出てくることがあるのだ。

 ネットで最も評判が悪く感じられるのは「PTA」だ。

 親が学校行事に関与するPTAは、本来であれば子供を持った親にとって重要な意味を持つはずだ。子供がどのような学校生活を送るかということに親が関与し、様々なイベントなどの運営に関わるのだから。

 ところが、PTAの話題に対して「有給を取ってでもPTAに参加すべき」とか「会社が忙しくてPTAに参加できなくて残念」という意見を全くと言っていいほど見たことがない。むしろ「仕事が忙しいのにPTAに出なければならない。迷惑だ」という意見ばかりを目にする。そして実際、イクメンお父さんとしてがんばった人でも、PTAなどは妻に任せっきりになってしまう場合が大半なのではないか。徐々にPTAに男性が参加することも増えていると言われるが、まだ男性のPTA参加が書籍として発売される状況だ。つまりあくまでもレアケースであり、子供が育つとお父さんは子育てに参加しなくなってしまうのである。

 つまり子供を育てる人たちが「男性も育児を」と語るのは、あくまでも「話題のネタとしての子育て」ということを認識し、小さい子供の育児は望んでしたいと言ったほうが話の上で優位であることを認識しているというだけのことではないだろうか。つまり、イクメン賛美も会話のための方便ではないかというのが、僕の見立てだ。

 実際イクメンに関しても、本当に賛美ばかりではなく、結局「子供の服を脱がせてお風呂に誘導し、洗濯物を畳む。そして子供と夫の着替えを用意し、風呂から上がった夫にタオルを渡すのは私の役目。夫は子供と一緒に風呂に入ってタオルで拭くだけ」という、父親のご都合主義と妻の本音が垣間見えることもあり、仕事を持つ男性が子育てに生きがいを感じ、積極的に関わろうという風潮は、世間が言うほど明確ではないのではないかと考えている。

結局、みんな働きたいんだ

 さて、ひとまず三者三様の働き方へのニーズを見てきた。

 政府は労働生産性を向上させるために、柔軟な働き方や一億総活躍を目指している。

 企業は利潤を増やすために、労働者に仕事を生きがいにしてほしいと考えている。

 そして労働者は何をしたいのか……結局、仕事をしたいのではないだろうか。

 先にも述べたように、少なくとも父親が子育てに生きがいを感じるとは思えない。なぜなら、社会的役割を果たすということは、賃労働に就いて働くということに他ならないからだ。

 育児や家事といった労働は、本来は社会にとって十分に重要な仕事であるにもかかわらず、今の日本では真っ当な大人が就くべき働きがいのある仕事とはみなされていない。だからこそ、会社から離れて育児や家事を担う女性たちは、一日中働いているにもかかわらず、自分たちは自立できておらず、大人としての仕事を任せられていないと、苦悩を抱えているのである。

 それは決して、おかしなフェミニストが暴走しているという話ではない。なぜなら、男であれば余計に家の仕事をして、稼いでいない男は落ちこぼれとみなされるからだ。

 そして何より、生活保護などの社会保障に頼る人たちに対する偏見が、「仕事で食っていかない人間は真っ当な大人ではない」という意識を明確に表している。

 政府は働く人のニーズを踏まえて、長時間労働の是正を考えていると言うが、 ・・・続きを読む
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筆者

赤木智弘

赤木智弘(あかぎ・ともひろ) フリーライター

1975年栃木県生まれ。2007年に『論座』(朝日新聞社)に「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」を執筆。話題を呼ぶ。以後、貧困問題を中心に論じている。最近ではテレビゲームの話題なども執筆中。著書に『若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か』(朝日新聞出版)、共著として『下流中年 一億総貧困化の行方』(SB新書)など。