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忘れる力 百人一首「競技かるた」の経験から

梅津 公美

梅津 公美(うめづ・さとみ)
 2008年、東京大学法学部卒業。2010年、東京大学法科大学院修了。2011年、司法修習を経て第二東京弁護士会登録。2012年、アンダーソン・毛利・友常法律事務所に入所。2018年、米国University of California, Los Angeles School of Law 修了(LL.M.)。2021年1月、アンダーソン・毛利・友常法律事務所 外国法共同事業パートナー就任。
 皆さんは、百人一首(競技かるた)をご存知だろうか。競技かるたを題材にした少女漫画『ちはやふる』(末次由紀/講談社)が数年前に映画にもなり、注目度が高まったため、聞いたことはあるという方が多いと思うが、競技かるたの試合の経験のある方は少ないのではないかと思う。私は、高校時代に百人一首部に所属し、近江神宮での高校選手権にも出場していたため、漫画を読んで懐かしさに涙した。今考えてみると、競技かるたの経験が現在に生かされていると思われる点がいくつかあるため、ここで振り返ってみようと思う。

競技かるたのルール

 競技かるたは、二人一組で対戦し、読み手が読み上げる和歌の上の句を聞いて場に並べられている下の句の札を取り、自分の陣地(自陣)を先に0枚にした方が勝ちという単純なルールの競技だが、後述の議論のため少し詳細に説明する。まず、100枚の札のうち一試合で使用するのは無作為に選ばれる50枚のみである。札を裏返しの状態でよく混ぜてお互い25枚ずつ取り、それぞれが自陣に上段、中段、下段の三段に並べる。その後、15分間の暗記時間が与えられ、自陣と相手方の陣地(敵陣)に並べられた50枚の札と配置を暗記したうえで、競技が開始される。読み手は100枚の札をランダムに読むため、場にない札(空札)が読まれることもあるが、その際に札を触るとお手付きとして相手方の敵陣にある札を自陣に送られてしまう。したがって、その試合で使用される札を、配置とあわせて正確に暗記しなければならない。次に、競技かるたにおいて重要なのが、「決まり字」である。「決まり字」とは、上の句のうち、ここまで文字が読まれれば札を取れる、という部分のことである。たとえば、「ち」で始まる句は、「ちはやふる~」、「ちぎりおきし~」及び「ちぎりきな~」の3枚だが、「ちはやふる~」は、「ちは」の時点で確定するため「ちは」の2字が読まれれば取れる(他方、「ちぎりおきし~」や「ちぎりきな~」は4字読まれないと取れない)。そして、同じ札は二度読まれないため、試合の進行とともに決まり字は変化する。たとえば「ち」で始まる句のうち、まず「ちぎりおきし~」が読まれれば、「ちはやふる~」と「ちぎりきな~」が残るため、「ちは」か「ちぎ」の2字で取れることになる。さらに、「ちはやふる~」が読まれれば、「ち」で始まる句は「ちぎりきな~」のみとなるため、「ち」の1字で取れることになる。したがって、100枚の札のそれぞれが何字決まりかを暗記していることを前提に、試合進行中に何の札が読まれたかを全て記憶し決まり字の変化に対応しなければならない(「あ」で始まる句などは16枚もあるため途中で混乱することが多い。)。

体力・精神力

 袴を着用して競技している様子などから、優雅で風流なものというイメージを持っている方が多いのではないかと思うが(私も百人一首部に入るまでは楽な文化部だと思っていた)、競技かるたは畳の上の格闘技と言われることもあり、想像以上に過酷な競技である。1試合あたりの所要時間は約90分であり、大会を制覇するためには1日で5試合程度勝ち続ける必要があるため、体力及び持久力がないと乗り切れない。また、基本的に性別・年齢関係なく対戦するため、男性が対戦相手となった場合などにはリーチの長い男性よりも早く正確に札を取らなければならず、最短距離で札を取りに行くための瞬発力や反射神経等も必要である。さらに、上記に記載した決まり字の変化に対応するために、試合時間中は頭をフルに使い続けているため、暗記力、集中力、精神力等も必要となる。私も1日の試合が終わるとふらふらであったが、部活動を通じてこれらの能力が鍛えられたと感じている。

 弁護士も、文系の職業であるが、体力・精神力勝負な面が大いにある。私はキャピタル・マーケッツやファイナンスの分野を専門としているため、比較的短期決戦で即時対応を求められることも多い。相手方も同年代とは限られず、集中力・精神力が求められることも多々ある。現在の仕事に必要な能力は、高校時代の百人一首部での経験が生かされている面があるのではないかと思う。

交渉力

 二人対戦型の競技では比較的珍しいのではないかと思うが、競技かるたにおいて審判は基本的に存在せず、どちらが早く取ったかはお互いで話し合って決める。話し合う時間は非常に短時間しかないため、意見が割れた場合には、効率的に相手を説得しなければならない。単に「見た」と言うだけでは説得的ではないので、飛んで行った札の方向や、指の当たった位置など(相手の手が当たって赤くなっている場所などがあればよい材料になる)、自分の主張を補強する事実を何とかかき集めて説得することになる。

 競技かるたを通じて弁護士としての交渉能力が培われたとまでは言えないが、上記はいい経験であったと思う。特に、性別・年齢関係なく対戦相手となることから、相手方のタイプも様々であり、絶対に折れない相手方の場合には、口論のようになってストレスが溜まり、後の試合における自分の精神状態に悪影響を与えるよりは、譲ってしまって取り返せばよいと考えるなど、相手によって色々なアプローチがあり得ることを体感できたことは、現在にも役立っているように感じている。

上手に「忘れる」能力

「小倉百人一首競技かるた全国大会」に和装姿で臨む参加者たち(朝日新聞社所蔵写真)
 前述のとおり、大会で勝ち進むと1日5試合程度消化することになるが、当然ながら使用する札の種類、相手、読み手が札を読む順番等は試合ごとに全て異なるため、前の試合で必死に記憶した札の配置、読まれた札、決まり字の変化等は、次の試合が始まるときにはリセットしておかなければ命取りになる。他方で、前の試合での反省点は次の試合に生かすために覚えておかなければならない。慣れるまではこの記憶の取捨選択が非常に難しく、中途半端に前の試合の記憶が残って混乱し、決まり字の誤認識やお手付きにつながり、そのために委縮してうまくいかないという悪循環に陥ることがあった。

 弁護士という職業に限られないかもしれないが、上手に忘れる能力は、仕事においても重要だと私は考えている。前述のとおり、私が専門とするキャピタル・マーケッツやファイナンスといった取引物を取り扱う分野はどうしても短期間に負荷がかかることがあるが、案件が無事終わり、クライアントから感謝されると非常に清々しい気持ちになり、案件進行中につらいと思うことがあっても細かな点は忘れてしまってあまり後には引かないように思う。また、検討不足やミスなどによる失敗があった場合には、十分に反省し、二度と繰り返さないよう覚えておかなければならないが、何が原因だったのか、失敗を今後にどう生かすかといった客観的な分析を超えて、「失敗した」「怒られた」こと自体の記憶が必要以上に尾を引いていると、後の業務において、不必要に委縮してしまったり、怒られた相手とのコミュニケーションをとることに躊躇してしまったりして悪影響を及ぼすことがあると思う。したがって、時には上手に忘れる能力も必要だと考えている。競技かるたの経験のおかげかもともとの性格なのかは明らかではないが、幸いに私は記憶のコントロールがうまくできているのではないかと思う。体力や交渉力も勿論重要だが、実はこの能力が特に役立っていると感じている(反省しないタイプという意味ではない。)。

終わりに

 ややネタ切れ感も出てきたので、このあたりで止めようと思うが、高校時代に競技かるたを行っていたときは、目の前の部活動に精一杯で、将来必要とされる能力に繋がる面があるとは微塵も思っていなかった。現在私は弁護士10年目だが、今取り組んでいることも将来の成長に生かされると信じて目の前のことを精一杯頑張ろうと改めて感じた。ただ、まずは、本記事を書いていて懐かしい気持ちになったので漫画を読み直すことから始めようと思っている。