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「究極の電子書籍端末」はありえない

武田徹

武田徹 評論家

iPadの発売以来、電子書籍端末の新機種参入は怒涛の勢いだ。

 筆者も新端末が出るたびに自腹を切って入手しては試してきた。国内各機種だけでなく、日本語表示可能になったと聞いてKindle3をアメリカから取り寄せ、世界中でiPadと激しく競合しているサムスンのGalaxyPadの実力を試すべく、機能制約を受けた国内版ではなく、「素」の海外版も手に入れた。

 しかし、次第に使い分けての比較検証が虚しくなってきた。ディスプレイ画面での読書は慣れてしまえば何の問題もない。ページのスクロール等には工夫の余地があるが、いずれ落ち着くだろう。電子書籍端末の画面サイズの議論が喧しいが、実際には家の中で読むか、移動中に読むか、鞄の中に他の荷物はどの程度あるかで印象は変る。他にも、どのような姿勢で読むか、手で端末を保持するのか机に置くのか、集中して読む必要がある本か、流し読みでいいのか……等々、ケース・バイ・ケースで最適な端末は異なるはずで、その意味で「究極の一台」などありえない。使い方次第で電子書籍端末はそれぞれに良さを発揮し、それぞれに欠点を示すとしか言いようがない。

 

●重版未定本の電子書籍化を進めよ

 

 実はそうした端末のハードウェア的差異より重要なのは、その端末で何が読めるかではないか。国内の出版社も本格的に電子書籍ビジネスを始めつつあるが、それは出版界の現状をそのまま電子化するものだ。たとえば売れ行きの芳しくない紙の本は、ある時点で不良在庫をかかえる負担をなくすべく断裁処分を受ける。日本の出版界ではそれを「絶版」とはみなさず、出版契約を残したまま「品切れ重版未定」として扱う。何かの理由で話題の書になったら自社で刷り直して売って一儲けしたいという算段の産物だ。

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