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JR東日本は革マル系労組と訣別できるか

西岡研介

西岡研介 フリーランスライター

プロ野球のドラフト会議や、歌謡祭の会場として知られる「グランドプリンスホテル新高輪」(東京都港区)で今年3月に予定されている、ある「イベント」が、全国の旧国鉄・JR関係者の注目を集めている――。

 昨年12月9日、JR東日本の最大・主要労組「JR東労組」の元会長で、上部団体「JR総連」の副委員長などを務めた松崎明氏が死去した。74歳だった。

 松崎氏は1955年、旧国鉄に臨時職員として採用され、旧「動労」(国鉄動力車労働組合)に加入。青年部長、委員長などを歴任し、国鉄時代には「反マル生闘争」や「スト権スト」などで経営側と激しく対立し、「鬼の動労」などと呼ばれた。

 しかし87年の国鉄分割民営化直前に、それまでの対立方針を180度転換し、民営化に賛成。これを機に民営化が進んだことで「国鉄改革における労組側の功労者」などと称賛された。その後も、民営化されたJR東日本の経営陣と10数年にわたって「労使協調路線」を取り続け、JR東日本経営陣にも多大な影響力を持っていた。

 だが、この松崎氏にはもう一つの顔があった。極左セクト「革マル派最高幹部」としてのそれ、である。

 革マル派は63年の結党以来、中核派など他のセクトと血で血を洗う内ゲバを展開してきたが、70年代後半からは、組織拡大に重点を置き、党派性を隠して各界各層に浸透した極めて非公然性、排他性の高い集団だ。

 そんな思想集団の最高幹部が率いたJR東労組・JR総連に「革マル派系の労働者が相当浸透」(歴代の警察庁警備局長の国会答弁より)するのは当然の成り行きだった。特に分割民営化以降、JR東労組が最大・主要労組となったJR東日本では、異常なまでの労使癒着によって「JR東労組ニアラザレバ、人ニアラズ」という悪しき風潮が生まれ、それは民営化から20年余の歳月を経て、もはやJR東日本の「企業風土」になってしまった。

 そんな企業風土が露呈した事件が、2000年に警視庁公安部が摘発した「浦和電車区組合脱退・退職強要事件」だった。JR東労組の組合員だった運転士(当時27歳)が「組合の方針に従わなかった」という理由だけで半年もの間、集団によるいじめを受け、組合を脱退させられただけでなく、退職にまで追い込まれたという事件だ。

 この間、JR東日本の管理職は、JR東労組組合員の無法ぶりに見て見ぬふりを続けていたわけだが、公安部はこの事件で、革マル派幹部を含む7人を強要容疑で逮捕。7人はその後、強要罪で起訴され、1審、2審とも全員が有罪判決を受けた。7人は判決を不服として現在、最高裁に上告中だが、JR東労組・総連は、7人の逮捕直後から「国家権力の弾圧だ」として「冤罪キャンペーン」を展開。同事件の公判の傍聴券獲得のために毎回、1500人前後の組合員を動員するなどの「運動」を続けてきた。

 そして、こんな異様な「労働運動」を展開するJR東労組・総連の「人格的代表」(JR東労組の機関紙より)だったのが松崎氏だった。

 一方のJR東日本経営陣は、前述の2審の判決を受け、被告のJR東労組組合員を懲戒解雇処分にするとともに、被害者である運転士に非公式に謝罪。今年1月、事件から8年ぶりに復職させた。この経営側の判断に対しJR東労組は猛反発し、それまで「労使協調路線」を執り続けていた両者に緊張関係が続いている。

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