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突然、ある技術者が逮捕された:記者が掘り下げた岡崎市立図書館事件

神田大介(かんだ・だいすけ)記者 朝日新聞名古屋本社 報道センター 社会グループ

 思いもよらず強制捜査を受け、逮捕されて取り調べを受けた38歳の技術者がいた。彼が釈放後に立ち上げたホームページを見て、取材に走った記者がいた。そして、ネットの議論が新聞の調査報道を加速させた。昨年を通して議論を呼んだ「岡崎市立図書館事件」、通称「Librahack」(りぶらはっく)事件を、図書館側の視点もまじえながら、朝日新聞名古屋本社・社会グループの調査報道担当記者が、事件を振り返る。

 関連リンク:1月18日付「岡崎図書館事件はまだ終わっていない」(産業技術総合研究所主任研究員・高木浩光さんインタビュー)

拡大岡崎市立中央図書館のある岡崎市図書館交流プラザ「Libra(りぶら)」。開放的で心地よい空間だ。

 【小見出し一覧】

 強制捜査は突然だった/逮捕がマスコミに発表された/不便だった新着図書ページ/ツイッターの議論に希望を持った/ホームページ公開、取材が始まった/図書館側からはどう見えたのか/守られなかった図書館の自由と秘密/取り下げられていない被害届(全3ページ、約1万5千字)

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 2010年6月下旬、取材場所として指定された名古屋市郊外のカフェに赴くと、男性は既に窓際の席に陣取り、テーブルの上に広げた黒いノートパソコンに向き合っていた。黒地にインベーダーがプリントされたTシャツ姿で、傍目には提出期限の迫ったレポートをまとめている学生のように見える。

 愛知県知立市に住むソフトウエア技術者、38歳(当時)。インターネットを利用するソフトウエアの開発を主に手がける。会社社長という肩書きだが、ビジネス上の都合で法人化しているだけで、実質的には社員は自分ひとり。特定のオフィスも持たず、喫茶店やファストフード店など、ノートパソコンを開ける場所さえあればどこでも仕事をする。

 パソコンとの付き合いは古く、小学4年生から。父親がNECのパソコン「PC-8801」を使っていたことをきっかけにプログラムの勉強を始め、のめり込んだ。著名国立大学の情報工学科に進学してコンピューターについて専門的に学んだのち、ソフトウエア開発会社に就職。銀行の基幹システムや大手製造業の業務系システムなどの開発に従事し、6年後に独立した。普段はスーツやネクタイも着用しないが、会社員時代に引けを取らない収入を稼ぎ出している。

 そんな男性を突然の出来事が襲ったのは、同年5月25日のことだった。記者の取材に対し、男性は当時の状況を振り返った。

◇強制捜査は突然だった◇

 名鉄名古屋駅から特急列車で約20分、愛知県知立市は人口約7万人の静かな地方都市だ。その住宅街の一角に男性の自宅マンションはある。いつも通り妻と朝食をとっていると、不意にインターホンが鳴った。時計を見ると午前7時半だった。

こんな時間に誰だろう。いぶかしがりながらモニターを確認すると、数人の男が陣取り、何やら紙を広げている。「警察だ。これ、わかるね」。家宅捜索の令状だった。偽計業務妨害容疑と書かれているが、まったく心当たりがない。

 玄関ドアを開けると、「岡崎図書館にアクセスしているね。大変なことになっているよ」と1人が話し、氏名と住所を確認された。そういえば2カ月あまり前に図書館の新着図書情報を集めるプログラムを自作し、ほぼ毎日1回走らせている。どうやらそのせいで、向こうのサーバーコンピューターに何か問題が起きているらしい。しかし、図書館のシステムには負荷を掛けないように配慮を施してあったはずだ。「大変なこと」とは一体何か、見当もつかない。愛知県警の警察官は全部で8人もいて、ワンルームのマンションは男たちでいっぱいになった。まるで部屋の中に殺人犯でもいるみたいだ。

 高さ1メートルほどの本箱の上に置いてあったノートパソコンを開き、促されるまま自らプログラムを起動して見せた。その様子を警察官の一人が写真に納める。インターネットへどのように接続しているかを検証し、IPアドレス(ネット上の住所)を確認しはじめた。ふと見ると、部屋の隅で妻が不安そうにしている。双子を身ごもり、臨月も間近に迫っていた。不測の事態が起きてからでは遅い。警察に事情を説明し、妻の実家へと向かわせた。

 結局、ノートパソコンやバックアップ用のハードディスク、仕事用の本、ノートなどを押収され、携帯電話も提出を求められた。しかし、それで終わりではなかった。警察官の乗ってきたワンボックスカーで、自宅から20分ほどの自分の実家まで行き、同じように捜索を受けた。ときおり実家の回線からもネットにつないでいたからだな、と理解した。どうやら事前に下見は済ませていたようで、実家の周りは狭い道が多いので小さめのワンボックスで来た、と警察官の1人が話した。

午前11時半、岡崎警察署の取調室に連れられて入った。岡崎市立図書館のホームページからどのように新着図書情報を取得していたのかを説明すると、捜査員は聞きながら机上のノートパソコンをタイプし、文書にまとめている。ひと通り話が終わると印刷され、内容の確認と署名を求められた。読んで仰天した。それは供述調書で、記憶では、次のような内容だったからだ。

 「私は4月2日から4月15日にかけて岡崎市立中央図書館のホームページに自作のプログラムを使って自宅ほか1カ所から約33000回アクセスしました。そのプログラムは自動的に新着図書ページのデータを取得するために約1秒間に1回のリクエストを送信するものでした。結果的にDOS(ドス)攻撃になってしまい、業務を妨害しました。迷惑をかけた責任は償いたいと思います」

 これまでの説明でまったく口に出してもいない言葉がいくつも含まれていた。すぐに引っかかったのが、DoS攻撃(=サービス妨害攻撃、サイバー攻撃の一種)という言葉だ。自分のつくったプログラムとはまったくかけ離れている。単に新着図書の情報を集めていただけで、結果的に攻撃になると認識していたなどということはあり得ない。文書では「DoS攻撃」がすべて大文字で「DOS攻撃」と誤記されていたのも気になった。

 「迷惑をかけた責任は償いたい」というのも、これまでの警察官とのやりとりでは一度も出ていない言葉だった。もし迷惑をかけていたと知っていれば謝る気持ちはあるし、すぐにプログラムの実行は止めた。しかし、これまで図書館側からはただの一度も注意や警告はなく、業務を妨害していたなんて知らなかった。知らないものを償うことはできない。

 どうやらこの調書はあらかじめ用意されていたものらしいぞ、と直感した。

 このとき、午後2時近く。コンビニで買ってきてもらったメロンパンとミネラルウォーターの昼食を挟み、取り調べが始まってから2時間以上が過ぎていた。早朝の強制捜査開始から数えればゆうに6時間以上が過ぎている。極度の緊張状態が続き、疲労はピークに達していた。プログラムは2か月前につくったもので、すぐに細部までは思い出せない。ひょっとして致命的なミスがあったのかもしれない。警察がこんな見方をしているのだから、ないとは言い切れない。どうすべきかを逡巡するうち、脳裏に妻の顔が浮かんだ。夫婦にとって初めての子どもだ。一刻も早く戻り、妻を安心させてやりたかった。警察の言うことに反論すれば余計な時間を取られるに違いない。そう思い、調書にサインをした。

 その後のことは、よく覚えていない。2時間あまりが過ぎた後、逮捕状の執行が宣告された。「えっ、ウソだろ」。驚く間もなく、手錠がかけられた。

◇逮捕がマスコミに発表された◇

 5月25日午後5時すぎ、愛知県警本部と岡崎署では、マスコミ向けに発表文が出された。「業務妨害事件被疑者の逮捕」という題で、男性の名前が記されていた。

 冒頭には「岡崎市立中央図書館のホームページ管理用サーバに対し、ホームページの閲覧要求を大量に送信して、サーバコンピュータの機能を停止させた男を業務妨害で、通常逮捕した」と書かれ、逮捕事実の概要は「被疑者は、岡崎市康生通西4丁目71番地所在の岡崎市立中央図書館の業務を妨害しようと企て、平成22年4月2日から同月15日までの間、被疑者方等に設置されたパソコンを通じて、図書館が設置・管理するサーバコンピュータにホームページの閲覧要求の信号を大量に送信し、同サーバに対する不特定多数のインターネット利用者からの閲覧要求に応じたホームページの提供を著しく困難にさせ、図書館の業務を妨害したものである」とされていた。

 県警生活経済課と岡崎署は、発表後にマスコミ各社の取材に応じている。朝日新聞の場合、県警担当記者が同課で他社の記者とともに説明を受けた。

 発表文の逮捕事実にある「大量に送信」とは4月2日から15日にかけて3万3465回アクセスしたことを指す▽被疑者からのアクセスは3月14日から始まり4月15日までに6万4008回あり、その期間にホームページが閲覧しにくい状態になったことが計21回あった。逮捕事実の期間中に限ると8回▽逮捕の罪名は業務妨害罪の中でも偽計業務妨害で、膨大な数の閲覧要求が短時間内に行われたが、実際にすべての内容をその場で見られるわけではなく、この要求が図書館をあざむく行為に当たるということ――などと説明があったという。

 被疑者の認否について記者が尋ねると、「行為については認めている」と説明。動機について聞くと「現段階では不明」としたので、個人的な恨みやトラブルは確認されていないかと記者が確認すると、「今のところトラブルはない」と答えがあったという。

 その結果、翌日の朝刊に掲載された記事では、「容疑者は同図書館の利用者だったが、目立ったトラブルは確認されていないといい、動機を調べている」という書き方になった。

◇不便だった新着図書ページ◇

 男性が取材に対して語った内容に話を戻す。

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