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オピニオン3・11――東日本大震災を考える(6)【無料】

朝日新聞3月19日付オピニオン面(玄侑宗久さん、大西健丞さん)

 1週間たった。まだ、広範な被災地のどこで、何が起きたかすら、つかみきれていない。その被災地から、叫びが、訴えが届く。いま、何を緊急に必要としているのか。いま、何をしなくてはならないのか。

◆本当にとどまっていいのか

作家・僧侶 玄侑宗久さん

拡大玄侑宗久さん。

 私の住む福島県三春町は、福島第一原発から約45キロにある。原発近くで被災した私たちにとって、刻々と事態が悪化する原発事故に関する情報が圧倒的に不足している。

 どのテレビ局も、原発事故の状況をほかの避難状況や被災現場の報告などと場面を切り替えながら報じている。記者会見などがあれば横並びになる。この非常事態に、どこか1局でいい。原発事故に特化して正確な情報をリアルタイムで報じるべきだ。

 三春町では、津波被災者や避難指示が出ている原発の半径20キロ圏内から逃げてきた避難民を受け入れてきた。町民約1万8千人も、自宅損壊など深刻な被災者であるにもかかわらず、震災直後から町をあげて炊き出しなどの支援を続けてきた。「沿岸部の被災者の深刻さに比べれば、私たちの被害はたいしたことない」と奮闘している。

 三春町内の受け入れ限度は600人程度だが、一時は8避難所に3千人が避難してきた。その後、三春町も安全ではないのではと考え、他地域に逃れた人も多く、17日朝現在、約1170人がとどまっている。支援する町民の態勢も限界にきている。鍋や釜、食材などを避難所に提供し、避難している人たちに自炊してもらうよう要請した。

 ニュース番組の解説者や専門家は、原発事故について、なお希望的な見方をしているように見える。必要なのは根拠の乏しい見立てではなく、正確で迅速な情報だけだ。パニック誘発を避けて情報を抑えているのなら、そういう次元はとうに過ぎている。

 正確な情報とともに、せめて病院や緊急車両用の燃料、そして薬を届けてほしい。三春町だけではなく郡山市などの各病院も、気温0度前後の中、燃料不足で暖房が止まっている。薬も圧倒的に不足し、新たな患者を受け入れられない病院もある。

 私の父は郡山市の病院に長期入院している。その病院から17日、緊急連絡があった。原発事故が最悪の局面を迎える事態を想定して、「いざという時にどうしますか」というのだ。

 原発から離れた転院先を探す余裕はないという。最悪の局面を病院で迎えるのか、今のうちに自宅に戻すかという判断を迫られているのだ。医師たちこそ、彼らの生き方にかかわる選択を迫られているのだろう。

 このような状況下でも、三春町には自治体や企業から支援物資が届いているが、家屋の応急修繕用のブルーシートや大人用の紙おむつが足りない。屋内退避区域に向けた物資もあるが、原発事故を懸念して三春町から先まで届ける人がいない。屋内退避中の住民たちに、誰がどうやって届けるのかが喫緊の課題だ。

 政府は屋内退避指示の範囲を変えていないが、本当にそれでいいのか。原発から30キロ圏外ならば、このままとどまっていても安全だという根拠は何なのか。いつまでとどまっていていいというのか。

 現場はとにかく情報が交錯している。原発近くにいる我々は、この国の指示を本当に信じていいのかどうかという、自問の渦中にある。(聞き手・本田直人)

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 げんゆう・そうきゅう 56年生まれ。福島県三春町の禅寺、福聚寺(ふくじゅうじ)の住職を務める。01年、「中陰の花」で芥川賞受賞。

◆企業は力を NPOが手助け

ピースウィンズ・ジャパン代表理事 大西健丞さん

拡大大西健丞さん。

 13日から16日までヘリコプターをチャーターして宮城県の石巻市と気仙沼市に入りました。いずれもスーパーのイオンの屋上に着陸。イオンとは万が一、災害が発生した際には協力して救援活動をしようという話をしていましたが、今回、ヘリポートとして使わせてもらったのです。

 石巻市は街の3分の1が津波で流されていました。ただインフラがある程度は残っているし、仙台からも近いので、自力でなんとかなると判断。仙台から遠く、リアス式海岸にあって陸側からのアクセスも難しい場所がどうなっているか調査しようと、北の気仙沼市に移りました。

 気仙沼の被害は石巻よりひどかった。2004年のスマトラ沖大地震で大津波に襲われたインドネシア・アチェでの惨状が、ずっと広範囲に起きている印象を受けました。

 気仙沼では約700人が避難する気仙沼中学校で持参した衛星電話を無料開放。家族の安否を確認し、自らの無事を伝えようと、制限時間5分で多くの人が利用しました。発電機もあったので携帯電話の充電サービスもしました。もともとこれらの機器は海外で使うキット(道具一式)に入っていた。戦場用です。

 さらに約1500人が避難していた市立総合体育館では、家具会社の「イケア・ジャパン」と連携し、陸路で運び込んだかけ布団600枚を配りました。

 被災地で痛感したのは、食料を届ける手段の脆弱さです。いま避難所にいる人は分かっているだけで約40万人。指定以外の避難所などにいる人を合わせると、50万人以上が食料を待っているとみています。1日あたり朝夕の2食なら100万食、朝昼晩の3食なら150万食が必要ですが、それだけの食料を輸送する態勢ができていない。

 実際、発生から1週間弱たつのに、気仙沼で配られていたのは、おにぎりと水だけでした。阪神大震災の際には同じ時期にもっと色んな食料が届いていました。供給がうまくいっていないからです。でんぷん質ばかりだと、健康が害されないか心配です。

 食料輸送を自衛隊に頼るだけでは限界がある。政府は民間の運輸会社にも協力を求めないとダメです。食料増産を企業にお願いする必要もある。最初の数日間はともかく、いつまでも流通在庫を被災地に回していたら、一般の人のモノがなくなったり、足りなくなったりして、パニックが生じます。企業に対して政府が買い取り保証をすることも必要でしょう。

 日本では企業が力をもっています。災害援助にも加わってもらうべきです。ただ企業は援助のノウハウをもっていない。そこは経験のあるNPO(非営利組織)が協力し、企業を誘導します。政府や自治体だけで大規模災害に対応するのではなく、民間の力を総動員する仕組みを早急につくることが肝要です。

 東日本大震災では、大地震と津波に原子力発電所の事故も加わりました。これまで世界に類例のない事態です。政府、企業、NPO、ボランティアなどで協力し合い、なんとか乗り越えるしかありません。(聞き手・吉田貴文)

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 おおにし・けんすけ 67年生まれ。00年にはNGOと経済界、政府を結ぶジャパン・プラットフォーム設立に参画。海外の災害援助の経験も豊富。