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近年の日本人に対するひとつの天罰

三浦展

三浦展 三浦展(消費社会研究家、マーケティングアナリスト)

 物書きとして今何を書くべきか考えあぐねたままの時間がしばらく続いた。東北地方を中心とする広汎な地域に壊滅的な打撃を与えた未曾有の大震災は、東北が東京に直結している、東京には東北出身者が多い、東京自体もある程度被災し帰宅難民が生まれた、福島原発の事故が東京にも大きな影響を与えたなど、もろもろのことから、阪神淡路大震災以上に、東京に住み、働くわれわれに、都市防災のあり方ばかりか、われわれ自身の都市生活のあり方を問いなおさせたと言ってよい。

 都市生活のあり方を問いなおすとは、単にエネルギーを浪費する生活を反省するというだけでなく、東京の暮らしが地方の産業に支えられているということを、あらためて、というか、むしろ初めて意識するということであった。また、東北の人々の粘り強さや地域住民同士の支えあいの姿に、隣に住む人の顔すら知らない東京人たちは、自らの暮らしのあまりの脆さに内心震え上がったに違いない。もし、これほどの大震災が東京を襲ったら、東京人たちは一体生き延びられるか、助け合えるかと。

 石原慎太郎はこの震災を天罰と呼んで問題視されたが、選挙前ということもあり、彼としては珍しく発言を撤回し、陳謝したが、私はこの大災害はたしかにひとつの天罰だったと思う。

 もちろん東北の人々が天罰を下されたという意味ではない。真に天罰を下されるべきは浪費の国の東京人だというのでもない。大相撲の八百長だの歌舞伎役者の泥酔だの、枝葉末節なことばかりを騒ぎ立てるマスコミや、政策を論じずに脚を引っ張り合うだけの政治など、考えるべきことを考えない近年の日本人に対して、今はもっと日本人が日本人としてまとまって真剣に将来を考えるべきときなんじゃないのかという神の怒りがあの大震災だと私には思えてしまうのだ。

 もちろん、神なんていない。だが、

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