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気になるTBSの現場の不満や疑問

緒方健二

緒方健二 朝日新聞西部報道センター記者

●TBS、好きでした

 TBSには思い入れがあります。大分で幼少期を過ごした私は例に漏れず、テレビ大好きのガキでした。昭和40年代の小学生時分に視聴できたチャンネルは、NHK、NHK教育、地元民放の大分放送(OBS)のわずか3局です。OBSはTBS系列で、よってTBSの番組にどっぷりはまっていたからです。

 「隠密剣士」に触発されて剣道を始め、「スーパージェッター」や「ウルトラマン」の強さを目指して柔道を習ったものです。「歌のグランプリ」に見入っては西郷輝彦さんや三田明さんらの歌を懸命に覚え、三木鮎郎さんのような司会者になるにはどうすればよいのか周囲の大人に聞きました。渥美清さんが毎回役柄を変えて演じるドラマ「泣いてたまるか」の主題歌は渥美さんが歌っています。「空が泣いたら雨になる」で始まる歌詞はきっちり記憶していて、今でも辛いときや悔しいときに口ずさみ、己を鼓舞しています。

 

●ドラマ、影響受けました

 フランキー堺さんが主人公を演じた「私は貝になりたい」は、戦争に召集された散髪屋さんが戦犯となり、処刑される内容でした。1958年の放送時にリアルタイムで見ていませんが、再放送で何度か見て、その度に戦争についてあれこれ考えました。まだまだあります。

 「七人の刑事」は、ほぼ同時期に放送されたNHKの「事件記者」とともに、私の仕事選びに大きな影響を与えたドラマです。警視庁捜査1課の刑事さんたちを描き、事件を通して社会の歪みをえぐり出していたように思います。「事件記者」は警視庁に詰めて警察や事件を取材する新聞記者たちが主人公です。その後、いつの間にか新聞記者になり、警視庁捜査1課も担当した私は、救いがたい単純な人間だと恥じ入ります。

 ほかにも「ザ・ガードマン」や「キイハンター」に「柔道一直線」「刑事くん」など夢中になった番組は数知れません。キイハンターの主役の1人、千葉真一さんは元新聞記者との設定でした。こうして振り返ると「ドラマのTBS」と称賛されていたことに深く納得します。

 

●報道番組、見入りました

 TBSを語るとき、よく用いられるもうひとつの代名詞は「報道のTBS」です。昔の記憶をたどるとこれも得心がいきます。放課後の野球や遊びで腹を空かせて帰宅すると、テレビで流れていたのがニュース番組の「ニュースコープ」でした。「NHKのアナウンサーとは少し違う風情のおじさんたちだなあ」と思いつつ、画面を眺めていました。その後、このおじさんたちはアナウンサーではなく、共同通信出身の田英夫さんであり、毎日新聞出身の古谷綱正さん、朝日新聞出身の入江徳郎さんらベテランジャーナリストであると知りました。それぞれが古巣の報道機関で豊富な取材経験を持っているため、単にニュースを伝えるのではなく、背景解説を時折交えていたのが印象に残っています。田さんは1967年、ベトナム戦争渦中の北ベトナム(当時)のハノイに入り、その取材成果を同年10月の特別番組「ハノイ 田英夫の証言」で報じました。戦争当事者の米軍の発表内容に誤りがあるとも指摘し、論議を巻き起こしました。

 いまは「ニュースキャスター」と称する人たちがたくさんいて、その人たちがニュース番組の司会を務めるのは珍しくありません。それぞれの局の判断ですからどんな人を起用しようが勝手ですが、ニュースについて思いつきの感想や聞きかじりの解説もどきをしたり顔でされると閉口することがあります。

 80年代に始まった「報道特集」もTBSの取材の深さと底力を証明した番組だと思います。中でもキャスターを17年間務めた料治直矢さんが好きでした。アナウンサーとしてTBSに入社し、後に記者となった料治さんはこの番組でもさまざまな問題を自ら取材し、報告していました。朴訥な語り口だが、取材対象にはぐいぐい迫る。当時、新聞記者に成り立ての私は憧れたものです。97年に61歳の若さで亡くなりました。一度お目にかかりたかった。料治さんの生涯は、瀧井宏臣さんの著書『武骨の人』(講談社)に詳しく書かれています。この本を読んでますます好きになりました。興味のある方はぜひお読みください。

 

●坂本弁護士ビデオ問題、許さぬ

 さて報道に定評のあったTBSですが、95年秋に発覚した事件でその看板が傷つきます。坂本堤弁護士ビデオ問題です。坂本弁護士は89年11月、妻と1歳の長男とともにオウム真理教幹部に殺されました。その9日前、ワイドショー「3時にあいましょう」の担当者が、教団を批判した坂本弁護士のインタビューテープを放送前に教団幹部に見せた。幹部からその内容の報告を受けた教団トップが、坂本弁護士の活動阻止を指示した。その結果、殺されたという問題です。

 発覚当初、見せたことを否定していたTBSですが、その後の教団幹部の公判で証拠が続出し、96年になってようやく認めました。報道部門の仕業ではないとはいえTBSに批判が集中し、当時の社長は辞任しました。坂本弁護士事件をはじめ、95年の地下鉄サリンなど一連の教団事件を警視庁捜査1課担当として取材していた私は、たぎるような怒りを覚えました。殺害のきっかけを与えたことに加え、縷々書いてきたように信頼と愛情を抱いてきた放送局への思いが踏みにじられたと感じたからです。

 TBSは96年4月、この問題を検証する番組を放送しました。同時に組織改革やチェック機能強化などの改善策を公表しました。TBSの別の報道番組のキャスターは「TBSは死んだに等しい」などと言っていました。それから15年、改革はできたのでしょうか。

 

●ある報道番組の打ち切り

 馬齢を重ねた私にはTBS社員の知り合いがそこそこいます。取材現場で競い合った彼ら彼女らの大半は士気高く仕事に取り組んでおり、尊敬の対象です。私たち新聞記者と違ってずっと報道部門にいる人ばかりではありませんが。ところがそうした人たちと話していて、やや気になることがあります。「会社が何を考えているのかわからん」だの「このままでいいのか」だのの声があるのです。

 不満の対象のひとつが2009年春の番組改編の目玉だった報道番組「総力報道!THE NEWS」の扱いです。月曜から金曜までの毎日午後6時40分~7時50分の放送で、開始時は「夜7時のNHKニュースに正面から挑む」と話題になったものです。それが1年で打ち切りとなった。

 ある関係者は「そもそも番組開始の理由が ・・・続きを読む
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筆者

緒方健二

緒方健二(おがた・けんじ) 朝日新聞西部報道センター記者

朝日新聞社会部員(組織暴力専門記者)。1958年大分県生まれ、同志社大卒。毎日新聞社を経て88年入社、92年東京本社社会部。警視庁警備・公安、捜査1課、国税などを担当、99~2004年警視庁キャップ。東京社会部デスクを経て、04年から警察・事件担当の編集委員。地下鉄サリンなど一連のオウム真理教事件のほか数多の殺人、贈収賄、暴力団犯罪などを取材。17年4月から西部報道センター。

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