メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

被災地・岩手から――支援される側と支援する側

大久保真紀

大久保真紀 朝日新聞編集委員(社会担当)

国会の動きを見ていると、被災地の岩手で取材を続けている身からすると、いったいこの国はどうなってしまっているのか、と危惧します。いますべきことは何なのか。国民の代表である政治家たちのあまりの哲学のなさにあきれるばかりです。

 不信任案への反対、賛成の数を数えたり、かけひきを考えたりする暇があるなら、その時間とエネルギーを被災地の復興、エネルギー政策の転換などに注ぐべきです。なぜこれほどの国難なのに、協力できないのでしょうか。私は決して管内閣を評価しているわけではありません。ですが、被災地そっちのけの足の引っ張り合いは腹が立つのを通り越して、悲しくなります。

 先日、日本政治に詳しい米コロンビア大学のジェラルド・カーティス教授が「日本は社会がしっかりしているから、政治が貧困なままでいられる。日本の政治家は国民に甘えている」と発言したと伝えられました。まさしくその通りです。ですが、その政治家を選び、そういう政治を許してきたのは私たちであることも事実です。

 人としての気高さを微塵も感じなくなってしまった国会とは違い、岩手では必死に人としての生き方を模索している被災地の人々に出会っています。

 避難所暮らしをしている岩手県陸前高田市の被災者たちが、「一本松プロジェクト」という名の活動を立ち上げました。支援物資として送られてきたタオルなどの物資を活用してグッズを手作りし、販売して、名勝・高田松原の復活のための資金にしようというものです。ただ支援してもらうだけでなく、自分たちも立ち上がっていることを発信したい、という思いから始まりました。

 高田松原には松が7万本あったといわれます。そのうち、あの大津波を乗り越えて残ったのはたったの1本です。プロジェクト名は、復興のシンボルにもなっているその松にちなんだものです。

 プロジェクトを立ち上げたのは、陸前高田市高田町にある避難所「サン・ビレッジ高田」に身を寄せる被災者たちです。約100人が生活するなかで、震災から1カ月半ほどがたって、震災当時のことと先の見えない話ばかりをする自分たちのことを、「このままじゃいけない」「支援されてばかりじゃダメだ」と感じ始めたことがきっかけでした。

 最初は、ただ喪失感、失望感から動き出したいと、支援物資で届いた多くのタオルや軍手を利用して何かできないかと試作品を作っていましたが、仲間で話すうちに、松林再生の目標をもって取り組もうということになったそうです。

 メンバーは自宅を流され、避難所に身を寄せる会社員や公務員など30~40代の女性約20人が中心です。仕事のない土・日や、仕事から避難所に帰ってきた後の平日の夜にミシンや針を動かしています。

 何回も作り直してできたグッズは、一本松をモチーフにしたビーズの携帯ストラップ「松りん」(1500円)、軍手を利用した動物の人形「ぐんぐん」(1200円)、タオルで作ったマフラー(1本400円、2本700円)などです。

 「松りん」は「松林」から、「ぐんぐん」は軍手を2本使っていることと、子どもも松も「ぐんぐん」育ってとの願いを込めました。一本松をデザインしたステッカーや缶バッチも用意し、ホームページ(http://www.ipponmatsu-pro.com)で4日から第1弾の販売を始めました。収益金は松原再生の松を植える資金にするそうです。

 ホームページの作成は避難所に来たボランティアが協力しています。

 プロジェクトのメンバーで団体職員の岡田美智恵さん(40)は「松林はキャンプをしたり、遠足に行ったり、私たちには本当に身近な存在だった。その再生を心から願っている」と思いを話してくれました。さらに、「みな仕事をしながらの手作りなので、一度にできる個数が限られるが、活動は続けていくので、陸前高田を忘れずに長い目で見守っていってほしい。プロジェクトはさまざまにご支援いただいたみなさんへの感謝の気持ちを伝えるものでもある」と訴えています。

 もうひとつは、支援物資を受け取る中でこんなことがありました。震災で家とともに野球道具なども一緒に失った陸前高田市の子どもたちに1カ月ほど前に、

・・・ログインして読む
(残り:約1181文字/本文:約2893文字)