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3・11以前と以降、という区分けは無意味だ――「蹴散らされた他者」の存在はどこへ

赤木智弘(フリーライター)

震災や原発事故は未曾有の危機だ。しかし、それ以前から広がっていた大量失業や非正規労働者の急増は危機ではなかったのか、と赤木智弘は問う。彼の「希望は戦争」論文(『論座』2007年1月号)に端を発した論争は、「希望は震災」や「現実が戦争」で終わってはいけないだろう。※最近の発言については、朝日文庫『若者を見殺しにする国』文庫版あとがき、4月26日付『朝日新聞』「震災を【希望』にするな 社会変革、持続的でこそ」、『一冊の本』5月号「震災後のこの国で」など参照。

■赤木智弘(あかぎ・ともひろ)1975年8月生まれ。栃木県出身。数々のアルバイト勤務を経て、『論座』2007年1月号で「『丸山眞男』をひっぱたきたい 31歳フリーター。希望は、戦争。」を発表し、反響を呼んだ。非正規労働者や就職氷河期世代の実体験にもとづく社会への提言を続けている。著書に『若者を見殺しにする国』(朝日文庫)『「当たり前」をひっぱたく――過ちを見過ごさないために』(河出書房新社)がある。ライブドア「眼光紙背」を連載中。個人ブログは「深夜のシマネコBLOG」、twitterは@T akagi

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「支援の輪」への、いささかの疑問

 今回の震災に対しては、公的な支援はもちろんとして、企業などからも様々な被災者支援が行われた。

 中には、被災者に向けて、正社員の枠を用意して、これを被災者支援とする企業などもあるようだ。

 震災で被害を受けた人たちが大変なことは、今更言葉を重ねる必要もないほど明白である。だからこそ、官民ともに、被災者に向けて支援をするのは当たり前であり、そうした支援は絶対的に良いこととして、世間に受け入れられている。

 穿った見方をすれば、企業にとっては、それが報じられる事自体が宣伝になるという目論見もあるのだろうが、被災で仕事を失った人々に対して、生活の糧となる仕事を提供したいという善意や、そうしなければ企業活動を支える社会そのものが危機に陥ってしまうという切迫感は、決して嘘ではないだろう。

 だが私は、そうした支援に対する良心を疑わない一方で、そうした「支援の輪」がもたらす結果に対して、いささかの疑問を感じずにはいられない。

非正規労働者の問題は3・11以前も以後も変わらない。キャリアアップハローワークで就職相談をする人たちする人たち=さいたま市大宮区で
 今回の震災で、地震や津波、そして原発事故の直接的な影響を受けた被災者が多数存在することは間違いない。

 しかし、被害を受けたのは直接的な被災者だけではない。震災は被災地に限らず、多くの不安定な立場の労働者を直撃し、彼らもまた間接的な被害を受けている。

 震災の影響で仕事がないと言われてシフトを減らされたり、賃金補償のない自宅待機を強要されたり、辞めさせられたりする非正規労働者も決して少なくないと聞いている。

 しかし、今後の仕事に対する見通しがつかないという意味では、被災者も非正規労働者も同等であるはずだ。

 自然災害は本人の責任ではないが、市場の選別によって振り分けられた人は自己責任だという考え方もあるだろう。しかし、個人が自然に太刀打ちできないように、市場もまた個人で太刀打ちできるものではない。その片方にのみ責任があるとする考え方には無理がある。

 また例えば、去年の就職戦線はこれまで以上に厳しい「超買い手市場」であったし、来年もそうであろう。彼らは震災によって職を得られなくなったわけではないが、仕事に困っているという状況は同じである。日本の非正規労働者は震災前からずっと不安定な境遇に置かれており、景気がよかった時代にであっても安定した仕事に就けなかった人は決して少なくない。

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