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大相撲のビジネス構造改革が本当の険しさ

倉沢鉄也 日鉄総研研究主幹

大相撲名古屋場所が24日に千秋楽を無事終えた。大関魁皇は通算勝星1047勝という新記録を残して土俵を去ったが、横綱白鵬の8場所連続優勝(優勝制度制定以来史上初)も、琴奨菊の大関昇進(栃東以来9年半ぶりの日本人大関昇進)も、すんでのところでならなかった。しかし怪我から復活した日馬富士の優勝は見事、複数の大関・関脇が終盤まで優勝戦線にからむことは久々で、見どころの多い場所、力を出すべき力士がちゃんと力を出した場所、日馬富士の横綱昇進、琴奨菊と鶴竜の大関昇進を期待して来場所を待つ、と総括していいだろう。

 中継は毎日NHKで流れ、ダイジェスト番組も深夜に放映されている。名古屋での観客の入りが少ないのはいまにはじまった話ではなく、人気力士のストーリー性、法人需要に象徴される日本経済(とくに東京以外の経済)の景気の影響だ。特に後者は仕方がない。

 以上の論評を本筋ではなく前置きとして、周辺情報のみそぎが済んだか否かのように論じなければならないのは、正直言ってもう日本社会にとって生産的ではない。娯楽消費の1メニューを選ぶも選ばないも個人の自由だ。不祥事はどんなスポーツにもあり、それで離れていくも行かないも自由だ。大相撲の後にも、八百長その他の不祥事はさまざまに起きている。

 身から出たサビ(証拠を残したことが史上最大の失態)とはいえ、今場所の興行が普通に行われるために、多大な汗と涙と血(失職)が流された。切り捨てられた元力士たちの無念は察するに余りある。「血を流す」しかなかった大相撲の歴史は、過去にも何度かあった。それでも日本社会と表裏一体の存在としてほどほどの規模を維持しながら、大相撲は続く。

 不祥事以前に、政府予算が投じられる公益法人自身の営利興行に問題がある(不祥事さえなければ公益法人が営利事業をしていいのではない!)、という法人改革の論点が残るが、これはたとえば日本サッカー協会とJリーググループ企業のように、公益事業と興行を行う営利事業を法人として切り離すしかないだろう。いわゆる公益法人改革とともに、ビジネスとしての存続策、たとえば現有資産と収益に対する税金を支払って成り立たせることができるのか、あるいは両国国技館などの大規模資産を国に返上した上でレンタル契約をどうしていくか、などの議論は、公益法人申請締め切りの時点での詳細議論に繰り越しさせていただきたい。大相撲存続にかかわる問題の本質は、むしろそちらにある。

 スポーツのみならず娯楽が多様化して久しく、不祥事のみそぎ如何にかかわらず、大相撲という興行ビジネスの構造的な低迷は続く。不祥事以前の問題としてテレビ・ネットの視聴者数と、本場所の観客数を取り戻すことはしばらくあきらめる必要があろう。今後は親方や上位力士という職業がリッチなものではなくなるという腹をくくることで、大きく前進できるものだ。公益法人認定は、もらえれば幸甚、ない前提で残ったファンとともに歩む方策を組み立てる、というスタンスで取り組む覚悟を示していくしかない。ビジネスの改革はまだまだやることがある。

 みそぎ場所の総括としてやや脱線してしまったが、

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