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NAHAマラソンと震災と走るということ

辰濃哲郎

辰濃哲郎 ノンフィクション作家

市民マラソンの原点のような大会がある。

 沖縄県那覇市から戦時中に激しい地上戦が繰り広げられた南部地域をめぐるフルマラソン、「NAHAマラソン」だ。

 東京や大阪、神戸、京都など都市型の市民マラソンが次々と誕生しているが、27回目を迎えるNAHAマラソンは、いわば老舗だ。

私は10年ほど前から、毎年エントリーしている。といっても、ジョギング程度のスピードしか出せない私は、毎年、制限時間の6時間ぎりぎりで完走する超スローランナーだ。

 12月4日午前9時、私は2万4000人のランナーとともに、スタート地点に立った。

 その3日前、皇居を走っていて左足首を捻挫した。前夜まで氷漬けにして腫れは引いたものの、いまだに左足を引きずるほど重症だ。大会当日の朝まで出走するかどうか、迷った。会場に到着し、チーム仲間が準備する様子を見て、自分の抑えが利かなくなった。「行けるところまで走ろう」。そう決めてTシャツに着替えた。胸と背中には、マジックでこんな文字を書き込んである。

 「東北に思いを馳せながら、私は、走る。」

 これを着たランナーが、途中棄権したのではみっともない。「自分の退路を断つ」と、かっこつけてみせた。

 スタートの号砲が鳴った。ランナーで埋め尽くされた国道を、押されるようにゆっくりと走り始める。スタート地点にたどり着いたのは、号砲から17分も経ってからだ。

 那覇市の中心街である国際通りに入ると、

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