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反省した裁判官と、正義感なき検察

河合幹雄 桐蔭横浜大学法学部教授(法社会学)

 東電OL殺人事件の再審が決定され、検察側の異議も認められず、ゴビンダさんはネパールへ帰国した。やがて無罪判決が下されることは確実である。この事件の処理を振り返り、良かった点、悪かった点を整理しておきたい。

 ゴビンダさんに注目が集まりがちであるが、刑事司法の本分に立ち返れば、まず、真犯人を逃がしてしまったことを悔やむところからはじめなければならない。真犯人のデータを保管していたことが、今頃出てきても、捜査にならない。弁護側の証拠開示請求があったにもかかわらず、ゴビンダさんに有利な証拠類に目をつぶり、そのような証拠があるかどうかさえ隠していた検察の行為は、言語道断、真犯人を裁きたいという、基本的な正義感が抜け落ちている。

 検察にも警察にも、まず冤罪を防いで人権を守れなどとは要求しない。人権は、裁判官や弁護士の役割とあいまって、守られれば良い。検察と警察の本分は、真犯人を上げることである。検察について、有罪を勝ち取ることが自己目的化しているという指摘がどこまで本当かは検証できないが、今回の事件で、正義感が欠如していることが明確になってしまった。ここが、この事件の最大の反省点である。私自身は、検察官には、立派な人が多数おられると認識している。検察の組織文化を大きく変える必要があると考えている。

 次に裁判官について見ておこう。この事件は、一審無罪の後も、裁判所の判断により、身柄拘束され、高裁で無期刑、最高裁で確定してしまっていた。ところが、再審請求の途中、高裁が、証拠の提出とDNA鑑定を求めた結果、有力な容疑者である第三者の存在が明確となった。これが決め手になり、嫌疑が晴れ、再審決定となった。

 裁判官は、検察を、よく言えば信頼し、悪く言えば頭が上がらず、その結論を追認するばかりで、有罪確率は99.9%を超えていた。この態度を改め、主体的に判断するという裁判官の本分に立ち返ったと見える。このことは

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