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[5]160キロ投手・大谷翔平を倒した盛岡大付の目指す打力

佐々木亨

 新たなスタイルで挑んだ夏だった。

 チームの変化を求めるきっかけになったのは、昨年の秋季岩手県大会準々決勝だ。盛岡大付は、県内のライバルにして、今や全国レベルを誇る花巻東に試合終盤に追いつかれて最後は2―5で敗れた。

 その試合、花巻東のエース・大谷翔平は、左股関節骨端線損傷の影響でマウンドに立っていない。それでも負けた。攻撃力の乏しさが、敗因の一つだった。もともと、手堅い野球が盛岡大付のスタイルだった。投手陣を中心に何とか最少失点で凌ぎ、小技を使って1点ずつ積み重ねて勝利する。そのスタイルで、県内では存在感を示してきた。

 だが、それでは勝ちきれない。さらに上の野球を目指すには、チームに変化が必要だ。昨秋の花巻東戦を一つの教訓として、関口清治監督はそれまで岩手になかった野球、全国でも通用する「打ち負けない野球」で勝つチームを目指した。

 冬場、選手たちはとにかくバットを握った。「情けない自分たちにリベンジ」を合言葉に、練習時間の大半を打撃強化に費やした。また、東北福祉大出身の関口監督は、同大学の先輩にあたる光星学院(青森)の金沢成奉総監督を臨時コーチとして招き、選手たちに「打」の真髄を注入した。投手寄りの足を大きく上げ、パワフルにスイングする打撃スタイルは、徐々に浸透していった。

 すべては、勝利のために――。その一心で、新しいスタイルの確立を目指した。

 ひと冬を越え、チームは変わった。今年の春季県大会を7年ぶりに制した原動力は、圧倒的な打力だった。

「盛岡大付は強い」

 春の時点で、東北地区では「強打・盛岡大付」が話題の中心となった。関口監督は、春季大会を終えてこう振り返った。

「冬場、打撃練習に力を入れて過ごしてきた中で、2死からでも長打2本で点が取れる攻撃を目指してきました。その成果が春に出ました」

 春以降も打力は衰えなかった。春から夏の県大会前までのチーム本塁打数は、練習試合を含めれば80本近くに達した。迎えた夏も、強打で岩手県大会を制した。

 4年ぶりの夏の甲子園は、打力に絶対的な自信を持って挑んだ。開会式の日、関口監督は自信をのぞかせていた。

「バッティングの状態は、今が一番いいと思います」

 大会2日目の第2試合。立正大淞南(島根)との初戦では、その言葉通りに1回裏から持ち前の打力が火を噴いた。2死二塁から4番二橋大地の中越え二塁打で1点。2回以降も5回まで毎回ヒットを重ねて3点を奪った。エース・出口心海が9回までに4失点。1点ビハインドで迎えた土壇場の9回裏も、選手たちに焦りはなかった。2死三塁から高めのストレートを強振して右前同点打を放った1番千田新平は言う。

拡大1回戦の立正大淞南戦、9回裏2死三塁で同点適時打を放った千田新平

「これまでやってきた自信があったので、9回裏もまったく負ける気がしなかった。同点打の打席も、思い切り振ることができました」

 打順の巡り合わせや点差、あるいはアウトカウントやイニングによって攻撃の策は変わるものだ。いくら打力に自信があるチームでも、時として犠打で走者を得点圏に進めることはある。この試合での盛岡大付も、 ・・・続きを読む
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筆者

佐々木亨

佐々木亨(ささき・とおる) スポーツライター

1974年、岩手県生まれ。スポーツライター。雑誌編集者を経て独立。。著書に『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)。共著に『横浜vs.PL学園――松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)、『甲子園 激闘の記憶』(ベースボール・マガジン社新書)など。