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スポーツと審判

植島啓司

植島啓司 植島啓司(宗教人類学者)

 オリンピックを見ながら改めてスポーツにおける審判の役割について考えてみた。たとえば、なでしこの女子サッカー決勝ひとつとってみても、前半30分の宮間のフリーキックをアメリカのディフェンスが「故意に」手に当てて落としたシーンなど不可解な判定は枚挙にいとまがなかった。ボールが勢いで手に当たったというのとはちょっと違う。みんなが一斉にハンドの反則を指摘して手を挙げたが、ドイツの女性審判は簡単にスルーしてしまった。決勝の笛を吹くくらいだから下手な審判ではないのだろうが、翌日のドイツの新聞『ヴェルト』紙もこの自国の審判を強く批判しているし、ニューヨーク『デイリーニュース』紙も「(主審が)反則だとはっきり分かる位置にいたにもかかわらず、笛を吹かなかった」と書いている。それ以外、後半開始2分の日本のコーナーキックの時にDF熊谷が背後から手を回され身体を抱きかかえられたシーンなどあって、インターネットには非難の書き込みが殺到したのだった。

 この試合ではなかったが、勢いでちょっと足をひっかけてしまっただけでペナルティーをとられることもあるし、抱きかかえてもお咎めなしということになれば、なんとも不公平感は否めない。ボールがサイドラインを割るときに相手側のボールにされるケースなど日常茶飯事だし、

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