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オスプレイ配備は日米安保を危うくする

大矢雅弘

大矢雅弘 ライター

 オスプレイ配備を強行しようとする日米両政府に対する強烈な「レッドカード」だった。30度を超える日差しの中、Tシャツや帽子など、県民大会のシンボルカラーの「赤」を身にまとった人たちで埋め尽くされた会場で、沖縄の怒りを体感した。

 沖縄県民の間では「民主主義は与えられるものではなく、奪い勝ち取るもの」という感覚が根強い。復帰前の米軍統治下で、沖縄の住民は「銃剣とブルドーザー」と形容される、1950年代の米軍の強制的な土地接収や、犯罪の限りを尽くす米兵らによる被害に耐えた。住民の命とくらしを守るため、やむにやまれぬ叫びをあげ、集会やデモで直接に民意を示すことで、自らの手で民主主義を勝ち取ってきた歴史が沖縄にはある。

 今回の参加者は主催者発表で約10万1千人。復帰後に開かれた米軍基地関係の県民大会としては過去最多だ。参加者は政治的な意図を持った人たちではない。党派を超え、世代を超え、オスプレイ配備に怒りを募らせて集まった。

 かつて沖縄で1万人規模(主催者発表)の県民大会が開かれた際、知人のジャーナリスト、森口豁さんが言った言葉を思い起こす。「人口からみれば本土なら100万人規模の集会を意味する」。今回の大会は、首都圏にあてはめれば、どれほどの規模の集会を想像すればいいのだろうか。

 大会への出席が期待されていた仲井真弘多知事は「市民運動の高まりを受け、行政が実務交渉をおこなうという役割分担が大切。両者がそれぞれ問題に取り組むのがよりよい形だ」として、参加を見合わせた。

 会場で知事の代読メッセージが読み上げられると、「いらないぞ」「読むな、やめろ」などと抗議の怒号が飛び交い、一時騒然となった。知事に向けられた怒りの激しさを目の当たりにして、政府が拙速な判断をすれば、沖縄の住民は政府に対する長年の積もりに積もった不信と怒りを爆発させかねないとさえ感じた。沖縄の憤りが臨界に達していると言っても過言ではないだろう。

 1996年に日米合意した米軍普天間飛行場返還の原点は、過重な基地負担の軽減と危険性の除去だった。それなのに、世界一危険な普天間飛行場の「危険」が一向に取り除かれない中、日米両政府がオスプレイを配備しようとするのは異常というほかない。

 県民の怒りに油を注いでいるのは、米軍基地をめぐる構造的差別があると県民が受け止めているからだ。たとえば、米国内でのオスプレイの運用は米国の国内法に基づいて、安全面、環境面でさまざまな配慮がなされている。

 米海兵隊は最近、ハワイの二つの空港で予定していた訓練を取りやめた。隣接する遺跡への影響や、騒音に対する住民の懸念などを考慮

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