メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

RSS

子供を産んですみませんと思わせる社会

澁谷知美

澁谷知美 東京経済大准教授(社会学)

 「子供を産んですみません…‥の世の中、視たり」

 今から約40年前、子育てグループ「東京こむうぬ」がミニコミ誌に掲げた見出しである。1973年にも「ベビーカー論争」はあった。同年、国鉄・私鉄・地下鉄がベビーカーの車内への乗り入れを禁止したのである。理由は、ベビーカーが危険で、ほかの乗客の迷惑になるから。啓発用のポスターが貼りめぐらされ、「ベビーカーは電車に乗っちゃいけないんだよ」と小学生の男の子たちがいう状況にまでなった。

 子連れで電車に乗る母親たちの肩身の狭い思いは、読んでいるこちらが苦しくなるほどだ。「子供がとなりの人のズボンよごさないか、ストッキングをひっかけないかと気づかわなきゃいけない。ストッキングが、ひっかかってキッとし、はだがちょっとふれても、ビクッと身をひく、人々の緊張感!」。

 「はだがふれれば、子供がギャーッと泣けば、キーッとなる人々の疲れ、余裕のなさの中に、泣きわめく子供は邪魔、他人の迷惑、人の集まるところに子供はつれてくるな、と、ベビーカーをしめ出し、母親を家にとじこめていくような土壌はすでにあったのだ」(注1)。

 2010年代になっても母親の肩身の狭さは変わらない。母たちはいう。「いつもいつも周りに迷惑をかけていないか、冷ややかな視線を向けられていないか、ドキドキしながら外出しています。/最近のベビーカー論争で、さらに小さくなって過ごしています」

 「お出かけはとても不安でした。これだから若いお母さんは!と言われたらどうしようと周りばかり気になっていました」

 母子を気づかう周囲の声もある。「ママの中には結構いつ怒られるかって、/迷惑かけてないかビクビクしながら電車乗ってる人もよく見る。/そうなると子供にしわ寄せが行って。子がひどく叱られたりしてる。/じっとしてて!とか、しーっ!とか。/三歳くらいで間接的に周囲の大人にいじめられてる感じ」(注2)。

 「子供を産んですみません」の思いは現在の母親も抱いている。40年という歳月がいったい何を達成したのかと情けなくなる。

 そこで、この記事では、ベビーカーを畳まずに乗車したってOK!という立場から、「子供を産んですみません、と母親が思わずにすむ車内環境を作るにはどうしたらよいか?」という問いを解いてみたい。いいかえれば、肩身の狭い思いをすることなくベビーカー利用が可能な状況を構築するにはどうしたらよいか、ということを、あえて精神論に焦点を当てつつ検討してみたい(なぜベビーカーを畳まずに乗車したってOK!と筆者が考えるのかは、論考のなかで追い追い明らかになる。それに、片手で赤ちゃんを抱っこしながら荷物を下げたベビーカーを畳むのが曲芸なみの技術を要することは容易に想像がつく)。

 そのためにまず、約40年前と変わらないこと、変わったことを整理してみよう。変わらないことは、すでに述べたように母親の肩身の狭さ。そして、その原因であるところの人びとの不寛容さである。2012年、ベビーカー利用に理解を求めるポスターに寄せられたのは、「ベビーカーが通路をふさぐ」、「ドアの脇を占領され、手すりを使えなかった」といった他の乗客からの批判だった(注3)。

 通路はまあまあ納得できるとして、手すりについてはケチやなー!という思いを禁じえない。ほかの手すりに移動できないぐらい混んでいる状況なのだと察するが、他の乗客がいるために目の前の手すりが使えないという事態は混んだ車内ではよくあることで、文句をいう筋合いのものではない。相手はスペースを不法に「占領」しているわけではないからだ。おそらく相手が成人なら、くだんの人もそのことを理解し文句をいうこともないだろう。

 だが、相手がベビーカーに乗った赤子と母親だと「占領」だと感じてしまうのは、当人の認識のほうに問題があるのだと考えざるをえない。どこかで、おんな子どもはもっと小さくなっておれ、女は育児で苦労して当たり前と思っているのではないか。

 たしかに近年ベビーカーは巨大化した。でも許せないというほどでもない。ベビーカー1台で成人2人分のスペースに満たないだろう。ベビーカーとお母さんが乗ってきたら成人が3人弱乗ってきたと思えばいいわけである。それができないのは、おんな子どもが分不相応に場所を占めてはいけない、育児の苦労を軽減してはならないという思いこみがあるからで、不寛容、ドケチのきわみといわざるをえない。

 では40年前とくらべて変わったことは? いうまでもない、鉄道会社の対応だ。1973年に貼りだされたのは、ベビーカーの乗り入れ禁止のポスター。2012年は、「周りの方のお心づかいをお願いします」とベビーカー利用についてほかの乗客へ理解を求めるポスター。鉄道会社の態度は一変した(同時に「特に混雑時は周りのお客様への配慮をお願いします」とベビーカーを利用する側にも一言している)。

 変化の要因はというと、 ・・・続きを読む
(残り:約2119文字/本文:約4143文字)

全ジャンルパックなら本の記事が読み放題。
デモクラシーやJournalismの記事も読めるのは全ジャンルパックだけ!


筆者

澁谷知美

澁谷知美(しぶや・ともみ) 東京経済大准教授(社会学)

東京経済大准教授。1972年大阪市生まれの千葉県育ち。東大大学院教育学研究科博士課程修了。専門は社会学および教育社会学、主な研究テーマは男性のセクシュアリティの社会史。単著に『日本の童貞』『平成オトコ塾 悩める男子のための全6章』『立身出世と下半身 男子学生の性的身体の管理の歴史』、共著に『性的なことば』などがある。【2015年6月WEBRONZA退任】

 

澁谷知美の新着記事

もっと見る