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[1] 衝撃の「音」

青嶋ひろの フリーライター

 17歳の、世界選手権銅メダリスト。日本の男子フィギュアスケーターとしては、史上最年少の若さで世界の表彰台に立った男、羽生結弦。

 すでに誰もが認める成績をあげ、爽やかな風貌とキャラクターで、人気も急上昇中のアスリートだ。このまま成長すれば、日本のフィギュアスケート史を塗り替える選手になることは間違いない。

 彼を取材していて、とても興味深いこと。それは、メンタル面でもフィジカル面でもスーパーアスリートだけが感じること、経験することを、実にわかりやすく語ってくれることだ。たとえば世界で数人しか跳べないジャンプを手中にする時の感覚、日々の練習で限界まで滑った時の身体の変化、大一番を前にした時に感じる陶酔……。

 そんな、決して常人には実感できない心情や感覚を、言葉で理解させてくれる選手だということ。まだ17歳、高校3年生という若さだが、そんなクレバーさは初めて取材をした中学1年生のころから変わらない。

 本連載では羽生結弦という、すでに世界トップ3でありながら、まだまだ成長過程で、ひょっとしたらこの先10年は私たちを楽しませてくれるだろうアスリートを追いかけていきたい。「語れるアスリート」は、日々成長しながら、彼だけが見られる世界を、私たちにも垣間見させてくれるだろう。

 また彼を取り巻く様々な人物にも取材し、氷の上での羽生結弦がいかにして作り上げられていくかも、少しずつ解き明かしていきたい。

 彼がスケートに出会い、世界銅メダリストになるまでの道程は、彼自身の著書『蒼い炎』(扶桑社)に詳しい。本稿は羽生結弦が新拠点トロントに出発する、2012年初夏から始まる。

■世界一のスケーティングをめざして

 「彼はパトリック・チャンの『音』を聞いたんです」

 2012年、夏。数ヶ月前に17歳の愛息をカナダ・トロントへと送りだした父は振り返る。

 あれがターニングポイントだった――今になってそう思えるのは、2010年秋のグランプリシリーズ、ロシア杯。その年、羽生結弦は高橋大輔らに続く日本男子4人目の世界ジュニアチャンピオンとして、鳴り物入りでシニアデビュー。デビュー戦となるNHK杯(2010年10月)では4位となかなかの成績だったが、2戦目のロシア杯(11月)で7位。課題としていた4回転ジャンプも不発に終わり、不甲斐ない結果に地団太を踏むほど悔しがっていたのだ。

 「もーう、悔しい。本当に悔しい! 練習したい! ステップがしたい、スピンがしたい、ジャンプがしたい。何よりスケーティングがしたい! もう僕、エキシビションは観なくていいです。早く日本に帰って、練習したい!」

羽生結弦(はにゅう・ゆづる) 1994年12月、宮城県仙台市生まれ。東北高校3年。身長171センチ。2011―2012シーズン・グランプリファイナル4位、2012年世界選手権3位

 シニア1年目のロシア杯。ここで初めて同じ舞台に立ったパトリック・チャンの「音」を、羽生結弦は聞いたのだ。

 「ゴオオオーという、音。公式練習中、聞いたこともない音に振り返ったら、チャンが滑っていたのだそうです。ゆづ(結弦)がそれまでめざしていたのは、佐藤有香さんの滑りのような、音のしないきれいなスケーティング。でもチャンは、彼がお手本にしていたスケートよりも、もっと深くエッジを倒している。いったいこの音は何だろう? そう思って、ずっと聞いていた。試合前だというのに、ウォームアップも忘れて、聞き入ってしまった。それで、ロシア杯は惨敗です(笑)」(父)

 確かにその試合の終わった後、報道陣を前にして、彼自身も盛んにチャンの話をしていた。

 「今回初めて、一緒に滑ったんです。世界で一番スケートが上手いといわれてるパトリックと! 彼のスケートの音を聞いて、見て……。あれ、こんなにエッジを深く倒してるんだ、って驚きました。倒しても滑れるんだ! って。

 チャンのスケートを見て、感じて……もう僕、最後の練習ではジャンプを跳んでなかったですね。スケーティングの練習しか、してなかった! ああ、前よりも滑るううっって思いながら(笑)。おかげで滑りの感覚は、ちょっとつかめたと思います」(10年11月、羽生結弦のコメント)

 フィギュアスケートの靴についているエッジ(刃)は、実際に触ってみると思ったよりも厚みがある。スケーターは包丁のような鋭利な刃物ではなく、薄い金属の板で氷の上に立っている、そんなふうに想像してみてほしい。一般レベルのスケーターはこのエッジの氷に接する「面」、すべてを使って滑ることが多く、その滑りは「フラットエッジ」「エッジがフラット」などと評されることになる。

 しかしスケートが巧い、といわれるスケーターほど、エッジを大きく斜めに倒し、より深い角度で滑ることができる。氷に接するのはもはや「面」ではなく、「線」。エッジと氷との間の抵抗がより少なくなった彼らの滑りは流れるようにシャープで、スピードもある。

 「ディープエッジ」「エッジがディープ」という言葉が、そんな滑りのできる選手へのほめ言葉だ。採点方法が変わってからは特に、このスケート技術の巧拙が数字で評価されるようになり、旧採点時代よりもスケーティングテクニックに目を向ける選手が多くなっている。

 佐藤有香、荒川静香、小塚崇彦、高橋大輔といったディープエッジの持ち主は日本にも多いが、彼らとも違う滑りの深さを、羽生結弦はパトリック・チャンに見たというのだ。一般的に良しとされる「音のしない滑り」とも違う、「世界最高の滑り」の本質は、何なのか――?

 ロシア杯から帰った後も、彼はずっと考え込んでいたという。

 「耳にこびりついて離れない、パトリックの『音』。そのなかで、彼は外を向いたんだと思います」(父)

 仙台のリンクには、大勢の子どもたちがいる。彼を慕うちびっこ選手も多く、練習は楽しく、穏やかだ。でも、これでいいのだろうか? 名古屋、東京、大阪などのリンクとちがい、国際舞台で活躍する仙台の選手は羽生結弦ただ一人。このままここで練習し続けることに、彼はこのころ、ジレンマを感じ始めるようになる。

 そうこうしているうちに、シーズン最後に彼を襲ったのが東日本大震災。そこから先の2011-2012シーズンは、練習場所さえおぼつかない夏、アイスショー連続出演、初めての世界選手権代表入り、そしていきなりの銅メダル獲得、と慌ただしい一年が過ぎてしまった。

 改めて彼が「外」を向くのは、世界選手権3位の表彰台に立った後のことだ。最善を尽くした試合、初出場銅メダルという嬉しい結果。それでも彼の前に立ちはだかったのは、

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